帝王院高等学校

参章-脆弱な夜想曲-

たまにはピンチが訪れます

コーラが零れた。
背後を何となく振り返った瞬間の話だ。

「遠野俊だな」
「はふん」

忍者の様に黒装束で身を包んだ男に腕を引かれた瞬間は眼鏡を光らせたものの、折角桜が注いでくれたコーラは何となく一口しか口にしていないまま、宵闇に弾けて。
いつも愛飲している銘柄のコーラじゃなかった気がするからとか、コーラよりも気になる事があったからとか、余計な事を考えていた自分を、無意識に罵りながら見た光景は黒と白のツートーンコントラストだった。

白い紙コップが舞っている。
白い宮殿の様な寮壁を強かに濡らす黒い液体、世界を染める夜の色。



「くろ」

月のない夜は暗い。
口元を布で覆われて、抵抗しようと足掻いた途端、耳元で低い男の声が囁いたのだ。

「王の元へ連れていく。無駄な抵抗は身を滅ぼすぞ」

下半身直結型の声だ。
オタク本能が麻痺し、何だか甘い臭いがする布が外されても動けなかった。

「クロロホルムは必要なかったかも知れない。…どんな猛者かと思えば、とんだ勘違いだった」

独り言すらセクシーな声に痺れたまま、何となく攫われたお姫様気分を味わうべく必殺狸寝入り。

隼人の口癖だ。
寝た振りをマスターすれば、隠れてこそこそ佑壱がお菓子を食べているのを見逃さない。

『ユウさんだけチョコドーナツ独り占めしてるかもしんない、ズッコイよねー』
『ああ、独り占めは駄目だ。今日は餡ドーナツしか食べてない』
『昨日もさあ、マフィンみたいなの焼いてた癖にー、食べさせてくれなかったねえ』
『そうだな、俺も今日は蒸しケーキしか食べてない』

今まで佑壱がお菓子を食べている現場を見抜いた事はないが。

『コラ隼人、総長が起きるまで勝手に食うんじゃねぇ!』
『えー、だって隼人君がリクエストしたチョコドーナツなのにー』

寧ろ隼人の方が盗み食ってそうだったが。
多分きっと、まだまだ狸寝入りの修行が足りないのだ。今こそ修行の機会ではないのか。


(スパイダーマンみたいな忍者にょ!ハァハァ、もしかしてタイヨーを狙う某国の間者かしら!)

然しクロコダイルとは何だろうと、オタクは首を傾げた。
母親のバッグにそんな名前のものがあった様な気がする。バーゲンで買ってきた黒光りする安い奴だ。


「…王、天の君を連れてきた」
「ああ、早かったですね、李」

リーと言う何だか映画チックな呼び名に目を閉じたまま萌センサーを反応させ、ドサリと下ろされたのがどうやらベッドらしい事に僅かばかりビビる。
何だか襲われる主人公な気分だ。ハァハァが止まらない。

「先程、我が城の防御システムが起動しました。システムが狂わない所を見ると、いつものセキュリティ巡回か、はたまた何処かの物好きか」
「王のセキュリティを破れる輩は少ない。慌てて逃げ出したか、帝王院のマザーセキュリティが稼働したかどちらかだろう」

薬品の匂いが鼻を擽った。
何だか怪しげな会話に目を開けてみるが、薄暗い室内には微かな照明しか灯されていない上に、お洒落な不良を引退してから伸び切ったオタク前髪や分厚い眼鏡のお陰で、このまま目を開けていてもどうやら気付かれそうにない。

「吾の恐ろしさに今更気づいた所で、憎きあの男が姿を現す事はないでしょう。…彼は吾を恐れ逃げる哀れな神」
「その通りだ、王。美月こそ真の覇者だと知らす刻が来た」
「李、手筈を整えます。…その前に、」

不良時代は主に服装を拘っていたが、今や眼鏡に拘っているので日々お洒落眼鏡探しに余念がない俊は、何事も形から入るB型だ。
そして暗い所では一人で眠れないと言う持病がある為、テレビを付けっ放しにするか電気を付けっ放しにするしかない。
が、これまた明るい所では眠れない奇病も併発しているので、やはりテレビを付けっ放しにするしかない。難儀だ。

「この汚い生き物が、本当に天皇ですか?」

先程から話し込んでいる黒い影が何処となくお化けチックで大分ビビっているのだが、振り返った黒髪の男が凄まじく美形だと気づくなり興奮状態に陥った。

「体格はアジアの標準に満ちている様ですが、…醜い」

彼だけ輝いて見える。
何だこのどうしようもなくツンデレセンサーに引っ掛かる美貌は、何だこのどうしようもなく攻めも受けもバッチコイな男は。
二葉と日向を足して二で割った様な、綺麗で格好良い男。黒装束の男よりまだ背が高く、黒装束の男が『メイユエ』と呼んでいたのをオタク心のメモにしっかり刻んでいる為、きっとそれがこの美形の名前だと思われる。

「憎らしい神帝がマシに見えるほど、間抜けな寝顔」

白く長い指が接近してくるのを眼鏡は見た。家政婦ではなく、黒縁眼鏡が見たのだ。
眼鏡が離せない。いや、目が離せない美貌。もしも自分が美形主人公だったり、平凡主人公だったりしたなら絶好の萌シーンではないか。


だが然し、腐っても遠野俊15歳。
ファーストキスを済ませたばかりのオタク。一応主人公だが、


「きゃー!」
「な、」

乙女に叫びながらベッドの上へしゅばっと立ち上がり、近付いてきた美貌を投げ飛ばせば一件落着。

「僕にはカイちゃんと言う旦那様とイチと言うオカンと、45匹のワンコと可愛いタイヨー&桜餅が居るのでごめんさァい!」

ていっ、とベッドから飛び降り、弾かれた様に駆け寄ってきた忍者を回し蹴りしたら、主人公の危機は秒速で去った。

「な、何ですか、貴様は」
「くっ、…油断した。気絶した振りをしていたか、天の君」

ふらりと立ち上がる二人が、然し次の瞬間言葉を失う。
俊を凝視しながら、いや、俊のまだ背後を凝視しながら、黒髪の男だけが憎々しい表情で指を突き付けたのだ。


「現われたか、神帝!」
「ぇ」

恐らく入り口だと思われる方向を振り返りながら、ドクリと跳ねた心臓の音を聞いた。
スローモーションの様だ、などと。客観的な自分が嘲笑っている。

「吾を忘れたとは言わせぬ、Bグレアム…!」

隣を素早く通り過ぎて行った長い艶やかな黒髪を、けれどコマ送りの緩やかなフィルムを見る様に眺める網膜。


「統率符へ危害を加える生徒は、速やかに排除する」

流れる様な白銀の髪、闇を照らす月の光に良く似たそれを。懐かしげに、異様な緊張感を止められずに。

「王!」

流れる様な動作で黒髪の男の背後に回ったその腕を、ワンと異国の言葉で叫んだ下半身直結型の甘い声を聞きながら掴んだ。

「こん、にちは」

顔を全て覆い隠す銀の仮面、違和感はその姿が何の変哲もないワイシャツに黒のスラックスを纏っている所だろう。
コマ送りの風景に反して、その腕を掴んだ自分の行動はまるで一瞬の事の様だった。でなかったら、こんな行動に出る筈がない。

「生徒会長」

まるでゲームの中に登場する様な剣を左手に、凄まじい威圧感を放ちながらゆっくり近付いてくる長身を。
こんなにも近くから見たのは、二度目。もう二度と近付きたくなかった、出来るなら。敗北感ばかり教えてくるからだ。


誕生日の蒸し暑い雨の夕暮れ時を思い出した。
叩き付ける雨は激しさを増すばかりで、通り掛かった少女趣味な本屋の軒先、濡れそぼるアスファルトに落ちた一枚のチラシを見たのは俯きながら歩いていたからだろう。
初めて理由無く人を殴った右手、本屋の軒先の雨避けに蹲り、だからその紙を拾い上げたのはただの偶然なのだ。


『…運命の恋、か』

銀髪の青年と黒髪の少年が並ぶ、煌びやかなそれは。拾い上げた瞬間に破れて落ちた。
手に残ったのは銀髪の青年と、運命の恋と言う気障な文字の羅列。アスファルトで雨粒を受ける黒髪の少年がまるで自分の事の様で、それを振り切る様に入った店内で、漫画好きは初めて少年漫画以外を読んだ。


「…天の君」
「初めまして、神帝陛下」
「ああ、…そうだな」
「入学式、途中で居なくなったでしょ?多分、副会長と擦り代わって」

表情がコントロール出来ない。折角、新しい高校生活の為に覚えた話し方も出てこない。

「とても残念でした、会長。期待していただけ、凄く」

下手な丁寧語には愛想の欠片もなくて、微動だにしないその長身を直視する勇気すら存在しない自分は、逃げる為に意識を注ぐだけだ。

「…それではさようなら」
「待ちなさい、」

出入口は長い白銀の後ろだけ。
掴んでいた腕を離し警戒しながら威圧感を放つ男の隣を擦り抜け、呼び止める黒髪の男を振り返える余裕もない。
いつの間にか忘れていた呼吸を思い出し、後ろ手で閉じた扉に背中を預けたまま崩れ落ちれば、そこが廊下ではない事にすぐ気づいた。



「何だ、此処」

誰も居ない、暗くても判る煌びやかな広い部屋だ。
恐る恐る振り返れば、赤い十字架を光らせた扉が厳かに存在している。
広い部屋、薄暗い、奇妙な部屋。ダンスホールの様なシャンデリアが天井で威圧感を放っている。ソファ、ローテーブル、高級そうなチェスト、広いが庶民的な自分の寮室とは違う。

「クロノスライン・オープン」

誰も居ない。
振り返っても奇妙な威圧感を放つ赤い十字架があるだけで、振り返ってもそこには誰も居ない。
逃げなければ、早く早く、逃げなければあの男がやってくる。

『回線解除、コード:マスタークロノスを認証しました。接続先のコードをどうぞ』
「白羊宮、コード『アリエス』へ」
『了解、接続します』

助けて。
いつも隣に居て。
ギュッてして、怖いものなんか存在しないと囁いてくれれば良い。冷たい美貌とは真逆に暖かい胸元へ招いて、人懐こい犬の様に擦り寄って来て欲しい。


だって、怖いから。
初めて暴力に訴えてしまうくらい、その生き物は恐ろしかったのだから。
追い掛けられていると聞いて、逃げ出したくなったくらい怖いから。なのに、逃げ腰だと知られたくなくて足掻いてしまうくらい。



「…俺は、」

馬鹿だ、と。
続いた筈の台詞は、冷気を纏いながら開いた背後の扉に奪われる。
砕けた腰は微動だにしない。振り返る勇気があれば、ドクドク耳障りな心臓を抑えたりはしないだろう。
近付く微かな気配、



「カ、─────カイちゃんっ!」

口を付いた叫びと同時に走り出して、薄暗いホールを駆け抜け煌びやかな光の空間に飛び出た。


「な、何者だ?!」
「待て、此処は中央フロアだぞ!」

目を丸くする執事姿の男性達が近付いてくる。何か叫んでいるがそれを理解するのは不可能だ。

「クロノスライン・オープンっ、カイちゃんっ!カイちゃんカイちゃんカイちゃんっ!」

涙が出てきた。
迷路の様な廊下をただ宛てもなく走るだけ、見様見真似で指輪を握り締めながら何度叫んでも、あの囁く様な擽る様な声は聞こえない。

闇雲に走り回った。読み更けた入学案内に載っていた地図なんか思い出せない。
ただただ闇雲に走り回った果て、何処かで見た扉が視界に割り込んで足を止める。


「中央、執務室…?」

この扉は校舎で見た筈だ。
何故、寮にあるのだ。黒装束の男は寮の建物から一歩も外へ出ていないのに。
エレベーターも使わず、あの黒髪の男の居た薬品臭い部屋に辿り着いた筈だ。だから、現在地は寮、なのに。

「何、この学校…」

膝が震える気がする。
此処に飛び込めば神威が居るかも知れないと扉に張り付いたが、押しても引いてもそれは開かなかった。
昼間は、何の苦もなく開いたのに。中で日向が可愛らしい少年ととんでもない状況になっていて、

「カイちゃん」

初めてキスを、したのだ。

「カイちゃんカイちゃんカイちゃんっ!開けて、開けて欲しいにょ!ふぇ、カイちゃんっ!」
「俊!」

囁く様な声ではなく、吠える様な声を聞いた。
血が滲むくらい扉を叩き付けていた拳を奪われ、背中を暖かい何かに包まれて。荒い息遣いが耳の近くに、力強い腕の感触を腹と右腕に。



「駿足だな、お前は…。名のままに」

擽る様な声、鼻を啜りながら振り返えれば、想像通りの美貌と、キラキラ煌めく短い白銀。

「カイ、ちゃん」
「怖いものを視たのか?ならば最早案ずる必要は皆無だ」

背後に決して開かない扉、顔の両端に手を伸ばしてきた美貌が、穏やかに穏やかに微笑むのを見た。

「外部スピーカー設定のまま、回線解除した所で俺の声は届いて居なかったろう?」
「…ふぇ?あ、そっか、イヤフォンなかったにょ」
「何度呼び止めようが馳せていくお前を、見失わず済んで良かった」
「あ、あにょ、知らない人に誘拐されちゃったにょ。でもお菓子貰ってないのに、えっと、でも知らない人に付いていったから、」

ぐすり、と。啜った鼻がツンと痛む。

「カイちゃん、怒るにょ」
「咎めたりはしない」
「だ、だって、ふぇ、知らない人に付いていったら、めー。だから会長が、うぇ、ふぇぇぇん」
「俊」

ズレた眼鏡をそのままに、目元・額・頬の順で口付けを落としてくる神威が、穏やかな笑みを零した。

「恐れるものは何も存在しない」
「し、神帝居ない?ぐすっ、追い掛けて来て、ひっく、出ていけって言わない?」
「何故、お前を追い出す必要がある」
「だ、だって平凡地味ウジ虫で不細工で汚くて寝顔が醜いから、ふぇ、きっと僕なんか消えてなくなっちゃえって思ってるにょ!」
「…誰がそんな事を言った?」
「黒い会長」

黒長髪の美形、と言う時点であの男は神帝二号だ。髪の色と仮面の有無くらいで、長身も大差なかった。

「…祭美月、か」
「カイちゃん、抱っこ」

頬のラインを伝い、いつの間にか顎の下や首筋にまで吸い付いていた神威の頭を抱え込み、サラサラの銀髪に鼻を埋める。
低い鼻はズビズビとオーケストラに忙しく、ふわりと浮かんだ足元に怯んでぎゅむっと首筋を抱き込んだら、直ぐ様高い鼻が擦り寄ってきた。

「万一、お前を追い出そうと企む輩が現われたなら、片っ端から俺が追い出してやる」
「ぐす、神帝でも?」
「ああ、何人たりとも例外はない」
「えへへ、カイちゃん大好き」

慰められている腑甲斐なさと脆い涙腺に今更照れながら、ズレた眼鏡を押し上げた。
蜂蜜色の瞳が瞬いて、神威の喉が音を発てた様な気がしたのだ。

「俊」
「なァに?」
「…愛らしいものを未来永劫独占する為には、どうしたら良い?」
「ふぇ?それって生モノ?生き物?それとも絶版した同人誌?」
「人間だ」
「なら簡単にょ、俺のものになれって言えば一生二人はラブラブ、互いに互いを独占禁止法ですっ!俺様攻めの王道台詞にょ!」
「…成程、」

心臓に地震を起こす微笑を滲ませた口元が近付いて、抵抗する暇も無く奪われた唇。
口腔を犯される感覚にはやはり慣れる気がせず、這い回るとしか言い表わせない舌の動きに、役立たずな膝はふにゃける一方だ。



「…私のものだ」


だからキスの合間に囁かれた台詞の意味になんか、気づく筈がない。
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©Shiki Fujimiya 2009 / JUNKPOT DRIVE Ink.

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