目が覚めたら平凡受けの寝顔。
萌えぇえええ!!!」
嘘ばかり重ねれば呼吸すら思い通りにはならなくなるのだ、と。誰が言った話だろう。
烏滸がましいものだ。
『…何処に居る』
「内緒〜」
『答えろ、何処だ』
「ふぇ?えっと、」
『何故外へ出た。騒ぎを知らぬ訳ではあるまい?』
「あにょ、でも、」
『リングを所持せず外出する危険性を、何故懸念しない』
一秒毎に明日へ近付く。
(心拍と共に)
一秒毎に明日を飛び越える。
(脈動を尚強く強く)
知っていた筈だろう?
何故忘れた振りをするの。
「ふぇ、あにょ、ごめんなしゃい。でも、でも、此処が何処か全く判んないにょ!お先真っ暗にょ!」
『一人か?』
「ふぇ?あにょ、はい。独りぼっちは慣れてます」
『何処だ。…風の音が近い、金属の摩擦音が紛れているな』
「カイちゃん?」
『…スコーピオか?ならばリブラではなくティアーズキャノンだ。何故一人で外へ出た』
「あにょ、」
一秒毎に終焉へ向かう。
(今、この刹那さえ)
(いつか死ぬ為に生み落ちた魂は)
(自立を足掻きながら)
(今日を捨て去る運命)
(逆らえない絶対なる運命の力に)
(明日へ絶えず放り出されて)
『敷地内ならば特定は容易だ。目先に何が見える?』
「えっと、あんよの下にレンガが見えます。もっと下にぐるぐる階段の出口と、壊れ掛けのデバガメ…はふん。眩暈がするにょ」
『煉瓦、だと?眼下に螺旋階段…』
「ハァハァ、カイちゃん、眩暈がするにょ!いきなり下向いたからお目めがショボショボしますっ」
『付近に羅針盤があるか?』
「おっきい時計なら背中にありますっ。さっきから針が動くとお尻に当たるなりん、チクタクハァハァ」
『ま、さか、時差調整塔ではなかろうな?!』
昨日の幸福は明日不幸に擦り代わる。
知っていた筈だろう?
『何故斯様な所へ行った!動くな、すぐに行く!』
「あっあっ、めー。駄目にょ!僕は誘拐犯の健気受けをパパラッチしなきゃいけないなり。お迎え不要ですっ」
『何?』
「えっと、だから、誘拐には誘拐で、えっと、つまり…ど〜ゆ〜事かしら?」
『連れ去られたと?付近に首謀者が居るのか?会話を傍受されているなら、』
「僕が誘拐されちゃったらカイちゃん怒るにょ。それは困ります…ふぇ、でも俺様会長は生徒会長だから、オタク誘拐事件でも仕方なく探しに来るかも知れないなり…」
『俊、』
「えっと、あにょ、だから僕は只今誘拐中ですにょ。えっと、つまり、萌えーっと叫んだら生徒会長に捜索願いを出して欲しいのでございますわよーっ!」
生み落ちた日。
魂は破滅へと廻り始めた羅針盤の音を聞いたのかも知れない。
生み落ちたあの日、初めて光を映した網膜は母親の顔ではなく終焉を見つめていたのかも知れない。
初めて呼吸を覚えた日。
細胞が初めて酸素に犯された日。
Serenade-小夜曲
Reo give Sanddog a mutter
眠る犬へ唄う獅子
刻一刻と飛び越えていく一秒に、赤子は絶望して泣いたのだ。
「三台、かよ。…派手に壊してんな、あの人」
初めて空を見上げた時から。
「素手でンなモン壊せる野郎なんざ、ゴリラかユウさんくらいだろ」
星一つ見えなかった空に漸く煌めきが生まれ始めた。薄い雲が晴れたのだろう、ポツポツ姿を現し始めた光の粒を見上げながらポケットの中の手を取り出す。
静まり返った最中の孤独は嫌いではない。
「また、あの人はあの人でンな所に…」
校舎の左端、並木道を隔てた時計台は遺伝子螺旋をモチーフにしたシンボルゲートの中央に佇んでいた。
帝王院で唯一、深紅に染め上げられた塔は三階まで続く階段の隣に小さな扉がある。階段の先は理事長室や理事会議室があり、三階フロア全てがそれで埋まっていた。
1階からは先程の階段横にある小さな扉からエレベーターや螺旋階段が続き、最上階まで何も存在しない。レトロな造りの、スイス職人により作られた時計台そのものを窺えるが、許可を得た人間以外立ち入りは不可能だ。
その扉が、僅かだけ開いていた。
真っ赤な塔の根元で口を開けた漆黒の扉、銀の羅針盤が妖しい存在感を放つそれはまるで奈落への入り口の様だ。天へ昇るのではなく、地獄へ落ちる様な。
「うちの副長が閉め忘れた、…訳ゃねーか」
躊躇い無く開いた奈落の扉を潜る。
無数の燭台に照らされたホールは最上階まで吹き抜けだったが、生憎の暗さで上は見えない。やはり奈落の穴だと思った。
電灯代わりの電燭台の仄かな灯りに導かれるまま、上へ上へと足を進める。古代バビロニアに築かれた神の塔に似た深紅の最上階には、衛星から時差調整波を受信する為のアンテナ塔に左席委員会創設者へ贈呈された『蒼の羅針盤』が嵌め込まれていた。
地上から見上げるそれは、白亜に色付く一輪の薔薇の様に純然と凛然と、然し最早風景の一部として誰から振り向かれる事無くそこに在る。
今の今まで存在していた事さえ忘れ去られた深紅の塔、辿り着く先は天国か地獄か、
「天の名を持つ暗黒皇帝、か」
呟いて己の文学的センスの無さに溜息一つ。
「…面倒臭ぇ」
また、壊されたセキュリティカメラを横目に。
「勘弁して欲しいぜ」
誰かの歌声が聞こえた気がする。
「犬にゃ羽なんてねぇんだぜ、総長。」
とても良く知っている、歌声が。
DEAR 愛しく愚かな貴方
「邪魔、すんなら本気で潰すぞテメー」
我ながら陳腐な書き始めだと嘲笑った日。見上げた空には半身を喪失った様な月が浮かんでいた。
「テメェのそれは。…忠誠か、自立の威勢か」
「んだと?」
「フェインに対する甘えか、馬鹿正直に『初めて負けた相手』をライバル視しやがるだけか。…好い加減、はっきりしやがれ」
「…何が甘えだと?」
「一目瞭然じゃねぇか、餓鬼が」
目前で全身の毛を逆立てる佑壱を見やりながら、今頃二葉に追い詰められているだろう健吾の身を想像し息を吐く。
大人しく捕まっていれば恐らくまだマシだっただろうが。性格最悪の二葉によって十中八九隼人の元へ誘き寄せられた挙げ句、全てに秀でているのと引き換えに全てを欠如した『神』の領域で囚われているだろう。
「フェインに、森羅万象の『価値』はねぇ。知ってんだろ、テメェの方がよっぽど」
「…黙れ、淫乱が」
「自分の存在価値すら『存在しない』、ンな奴に甘えん坊の構って攻撃なんざ意味はねぇ」
「黙れっつってんだろうが!」
左手が痺れを帯びた。
久し振りに見た無表情のレッドアイには、然し燃える様な殺意が滲んでいる。初対面の時とは比べ物にならない強烈な拳を受け止めた左手を振り払い、右手でブレザーの埃を叩いた。
「だから甘えん坊だっつーんだよ、野良犬ちゃん」
「…テメー、」
「自立心っつーのはなぁ、孤独を知らない、自立する必要無く甘やかされて育った奴に芽生えんだよ」
間髪入れず殴り掛かってきた男の赤い髪が舞って、殺意が憎悪に擦り代わる間際の真紅を他人事の様に観察しながら全ての攻撃を避けていく。
「親に甘やかされて育った奴が自立したがる。誰からも支援して貰えねぇ孤独な奴には、甘えたい心が芽生える」
初めて殴られたのはいつだたったろうか。
「沈黙は金、隣の芝生は青」
「黙れ」
ああ、そうか中等部に進んだ頃だ。イギリス分校から漸く日本へ戻って、機械人形の様にしか振る舞わなくなった二葉が徐々に年相応の人間らしく『擬態』してきた頃。
「テメェの中身はフェインだ。テメェの全てがアイツを中心に構築してやがる」
「Why, don't you wanna live?(命が惜しくねぇのか?)」
「そう育てられたんじゃねぇ。Because、奴に『有意義が存在しない』からだ」
「I can't feel it.(意味判んねぇな) …御託はそれだけか」
唇に笑みを滲ませた佑壱は気付いているのだろうか。
自分の表情を、自分の行動が導く意味を、
「アイツにお前は必要ねぇ」
「中央委員会は敵。…殲滅命令が出てたの、思い出した」
「お前に、…シュンは必要ねぇ」
「Good bye, have a forever dream ruler.(バイバイ、一生寝てろ王子様。)」
まるで燃え盛る紅蓮の炎の様だと考えた。何故、気付こうとしないのだろう。
何故、認めようとしないのだろう。
一秒毎に明日へ近付くと。
一秒前の昨日を忘れてしまう。
一秒毎に犯されていく脳細胞から。
一秒後には今の出来事すら消えて、
「…なぁ、」
「ひっ」
「お前に手ぇ出したら、殺されんだろうな。…時の君」
もう、生み落ちた日の自分が何を考えていたのかすら判らない。
「二葉のお気に入りだろ、チビ」
「イチ先輩をっ、離、離せよ!」
「あー?じゃ、…川南とそっちの豚は殺しても良いっつー訳かよ」
嘲笑はただただ妖しく低く大気を揺るがすだけ。
「ユウさ、ん、を…、離せっ、カスが!」
「だとよ。…じゃ、まずはこの俺様に刃向かおうなんざ意気がったテメェから死ぬか?」
「やめっ、」
「ひっ、かわ、川南先輩ぃっ」
いつだったか呟いた台詞で、全てに秀でているのと引き換えに全てを欠如した男が囁いた。
「…弱ぇ。次はテメェか、チビ豚」
「ゃ、」
「巫山戯んな!桜に指一本触れてみろっ、絶対許さないからな!」
「雑魚如きが吠えんな。テメェ一人消すのがどんだけ簡単か、判らせてやろうか。あ?」
「………どっちが、雑魚、だ、コラァ…」
足首を掴む凄まじい握力に目を落とし、掴まれていない方の足を振り上げる。
二葉が脳細胞に『刻む』山田太陽が泣き声混じりの悲鳴を上げた。声すら放てないもう一人の凡庸な男が崩れる様に膝を落とし、
「肋骨一本くらい砕けようが死にゃしねぇよ。…なぁ、犬コロ?」
「淫乱の台詞、な、んざ、…聞こえねぇなぁ」
「威勢が良いこった、その様で」
『全部滅びてしまえば良い』
『何故そんな事を望む』
『生きるのが面倒だから。意味ねぇし』
『愛らしいな、そなたは』
『馬鹿にしてんのか、テメェ』
『私は斯様に些細な望みすら持ち得ない』
『何処が些細だボケ。世界崩壊っつってんだよ俺は』
『葬る価値が見出だせんな』
『─────は?』
『何故、斯様な些細な望みを抱く。…人間とは不可解な生き物よ』
『テメェだって死ぬのは嫌だろ』
『何故』
『何故って、』
『生が無意味と謳うならば、死もまた無意味ではないのか?』
『…』
『解せぬ生き物だな、高が生死で頭を悩ませるとは。私が存在しようが消え果てようが、時の流れが果てぬ限り世は存在していく』
『………』
『何故、生に拘るのだ。何故、生死を苦楽に分類しようとする。
生で覚えた総て、死の間際に覚えた苦痛絶望、それら全て僅か一秒後には塵と消えるにも関わらず』
酸素が無ければ生きていけない人間は、酸化していつしか老いていく。
知らず知らずの内に毒を吸い込み、蓄積毒で眠るのだ。
哀れな生き物。
「中央委員会を殲滅、か。相変わらずカッケーな、あの人は」
「イチせんぱ、イチ先輩っイチ先輩っ!」
「おい、」
「煩ぇ、山田。…とっととナミオ連れて失せろ!」
儚い生き物だ、と。
無表情で咲き綻ぶ百合を握り潰した親友が、最後に笑ったのはいつだったかと考えた。
「麗しい友情じゃねぇか。可哀想に、泣きながら行っちまったぞ」
「…死に絶えろ、病原菌野郎」
「飼い主に伝えてやろうか、愛犬は懐いた振りして結局野良犬のまんま、昔のご主人様しか見えてねぇってな」
「キエサレ」
片言の暴言に唇の端で笑えば、足首を掴んでいた凄まじい握力が消える。俯せに倒れた佑壱を蹴り転がせば暢気な寝息を発てているではないか。
「脳細胞一杯、神の下僕…か。気楽で良いな、テメェは」
嘆息混じりに座り込んで、閉じられた瞼の上に手を翳す。
「カラコン入れたまま寝てんじゃねぇよ、馬鹿犬が」
一秒毎に老いた脳細胞から消えていく記憶は加速する。
「お前は、無意識にアイツを差し出すつもりなんだろ。…理性が虚勢を張った所で、本能が従おうとする。
護りたいなら全てから遠ざけろ。隠したいなら全てから覆い隠せ。
だから餓鬼だっつーんだよ」
親友の笑顔もいつか芽生えた感情も何も彼も混ざり合って、化学変化したに違いない。
「お前は護りたいんだろ?お前は傍に居たいんだろ?全部作り物の意志だろうが、…足掻くくらいならはっきりしやがれ」
自分へ言いたかったのかも知れない。
もう、この感情に相応しい名詞すら見付けられなくなったのだ。
「俺が俊を見付けてしまう前に。」