帝王院高等学校

漆章-朽ち果てた楽園の回帰録-

そんなバナナなんて言ってたまるかい!

「鍵はまだ僕にある」

ぼそりと呟いた唇が笑みを刻む光景を、見た者は居ない。
前を歩く数人の背を暫し眺め、どうしたものかと目を落とす。

「…そうだよ、ナイトは僕から離れられないんだ」
「何ぶつぶつほざいてんだ」
「君には関係ない事だよ嵯峨崎クン」
「面倒臭ぇ奴」

まずはどうしようかと考えた。
予想通りシナリオは崩壊している。ならばもっと壊してしまえば楽しくなるのではないだろうか。

「ねぇ」
「…あ?」
「僕、何処に連れていかれるの?」
「黙ってついてこい。悪いようにはしねぇ」
「うふふ。本当かなぁ」

どう見ても好意的な雰囲気ではない。
特に同じ赤毛でももう一人の方は、殺気で満ちている。覚えてもいない癖に。

「ナイトを見たのに覚えてもいない癖に…」
「あ?お前いい加減にしろよ、ぶつぶつぶつぶつ、根暗か」
「一人が長いと独り言が増えるんだよ。幸せな君には判らないだろうけどねぇ」
「タチの悪い絡み方してんのな。友達居ねぇだろ」
「ねぇ、天と空はどちらが近いと思う?」
「はぁ?ソラとソラだぁ?」
「良いや、もう少しだけ待つ事にした」
「…もう良い、ずっとほざいてろ。ついたぞ」

保健室か、と。
前を行く数人が入っていくのを認めた瞬間、響いた奇声に目を丸めた。

「何だ?」
「さぁ?僕が判ると思う?」

嫌そうに眉を潜めた男に笑みを深めれば、掴まれた手首に鈍い痛みが走った。














何事だと騒がしさに瞼を開けば、聞き慣れない声が鼓膜を震わせた。

「きゃー!おき、おき、起きたんだわー!」

悪くもないが決して良くもない寝起き一発目で、そんな甲高い悲鳴じみた声を浴びせられた錦織要の開口一番と言えば、

「…煩い」

以外の何物でもない。
他の言葉を選べと言うだけ無理な話だった。

二度寝しようとした要に悪気はない。多分、だが。























「感動的な開幕を」

時を止めた様に、元々色のない美貌から血の気を失った白磁へ、その澄み渡る黒は淡く微笑んだ。外から差し込む微かな光は儚く、日との肌を青白く発光させている。

「約束を覚えているかい」
「…何?」
「大丈夫」

会話は形を成さない。
自分は誰と会話しているのだろうと、神威は目を細めた。成程、常々言われてきた事だ。回りくどい物言いをやめろと、何度も。

「…そうか。お前のそれは、私を映したものか」
「心配しなくてイイ。皆、目が覚めたら忘れてる」

眉間を抑えたまま屈み込む一人へ、男は近付いた。
神威からは黒い影にしか見えないそれは、恐らく二葉だ。

「この状態を例えるなら…そう、浅い眠り。夢すら見ないほんの僅かな忘却された時間の境だ。だから今、皆に俺の言葉が聞こえている。…ご機嫌よう、二葉先生」
「ご機嫌よう、天の君」
「君は約束を覚えているかい」
「ええ、覚えています」
「じゃあその約束が、どうなったかは?」
「…さぁ?」

二葉は闇の中で首を傾げた。
俊の姿は見えない筈だ。けれど何一つ疑う事なく応えた二葉の声は、それを最後に沈黙する。

見えている。
聞こえている。
けれど眠っている時の様に時間が流れている。
これが、魔法の正体だろう。完全催眠。今、殺されたとして。本人は恐らく、気づかない。

「お前が選択した分岐点で、俺は選ばれた。壊れた楽器は戻らない。そう、それが例え、唯一無二のチャーチオルガンだとしても」
「…俺が、選んだ?」
「お前は俺を神格化した。お前は俺を他の誰とも違う、他の何かへ差別化しようとした。ならば俺は、『人としての遠野俊』はもう、必要ないと判断したまで」
「…」
「穢らわしきは悪魔の血か、我が子よ」

己の唇が奏でる他人の声音を、まるでクラシックの様に聴いている。
ああ、なんと美しい生き物だろう。この暗闇の中であって彼だけは、まるで月の様に煌めいている。

きらり、きらり。


「お前には紛れもなくグレアムの血が流れている。それなのにお前は、ノアでありながら何故、ナイトに辿り着いてしまったのか」
「その声は…あの時の者か」

欄干から飛び降りる光景を思い出した。
行くなと叫んだのに彼は、身を翻したのだ。

「人は私を悪魔として迫害し、神として崇めた。流れ着いたドーバーの向こう、松明を灯す女神の爪先に復讐を誓った」

予想は容易だ。皆まで聞かずとも判る。

「八代、レヴィ=グレアム」
「お前にはそう見える」
「…お前は、何処から何処までを把握している?私の預かり知らぬ総て、即ちノアの埋もれた歴史さえ、記憶しているのか」
「人は一人分の記憶だけを抱えている。他人の記憶なんか、人間の体には何処にも存在しない」

きらり。

「全ては物語を紡いだ果ての結果だ。初めから俺が望んで知る必要はなかった。何故ならば俺は、全てを知っている。そう、『全』とは『個』の果て。それは経緯を必要としない、淘汰を繰り返した果ての虚無なんだ。どんな形であれ、結果こそが、全て」
「虚無。…そうか、ならばお前は初めから、何一つ望んでいなかったと言う事か。あらゆる起承転結をも受け入れ、ただ読了の刹那を待つだけの」
「演者にして読者」
「私は」

闇の中から、白い手が伸びてくるのを黒い双眸は見た。
避ける必要はない。触れる間際、一瞬だけ動きを止めた男の瞳に差し込む月光が煌めく。深紅に染まるそれは、いつか見た宝石と同じものだった。

「…俺は、お前の思惑通り動いていたか?俊」
「演者の行動パターンに興味はない。定められた結末へ向かうだけの退屈な時間を、呼吸を繰り返しながら待つ。人の本能だろう?」
「俺には耐えられない。繰り返される退屈な時間とは、待てど暮らせど永続の枠を脱しないものだ。自ら行動せねば、何も変わらないと。言ったのは、お前ではなかったのか」
「それは本物の俺の事だ。遠野俊、哀れにして脆い一人の人間だった。けれど壊したのはお前だろう?焦がれる様にただの人間に、神の偶像を押しつけたんじゃないか」
「…」
「白日は全てを白へ塗り潰す。夜は全てを黒へ塗り潰す。そうしてお前は今、灰色だ」
「何故、そう思う」
「だから俺は今、曖昧だ」

体温を感じない掌へ頬を擦り寄せる。



「カイちゃん」

望むものを与えて、喜ばないペットはいない。

「綺麗なお目めね」
「………よせ」
「大好きょ」
「…やめろ、もう良い」
「僕が居なくなっても、平気でしょ?だから簡単に離れられる」
「…」
「イチはカイちゃんが大好きだったの。親離れ出来ないヒヨコみたいに。だからねィ、親離れさせないといけないって、思ったのょ」
「いつからだ」
「忘れちゃった事は無理に思い出す必要はないんじゃないかしら?忘れられないのは僕の方。約束を守れなかったのは僕の方。ねね、それでイイにょ」
「俊」

もう一方の手が頬を鷲掴む。
引き寄せられたのか覆い被さられたのか、把握するより先に唇は塞がれた。呼吸さえ許さぬ様に。

「…は。望んだものが偽りだった時、人は憎しみを覚える。そこで愛は、殺意へ変化するんだ」
「そなたは私に何を望んでいるんだ、俊」
「幸せにしてあげたい。望んだものは、一つ」
「幸せ、に?」
「そう。お前は俺に、どうして欲しい?」
「………判らない」
「そっか。じゃあ、結末は決まった」

けれどお前に魔法は効かないから・と。
闇に溶けた漆黒の眼差しへ笑みを浮かべた男は、

「今度こそ約束を果たさなければいけない」
「約束?」
「罪の烙印はどう購おうと消えない。全てのカルマを刻み無に還す、それが俺の役目だ」
「お前は何を隠している?答えろ俊、それは誰から命じられたんだ」
「全て、お前が望んだ事じゃないか」
「な」
「お前が言ったんだ。ブラックシープ、自分は常に一人だと。だから俺は実践した。お前と同じ、誰からも虐げられる人間である為に」
「…」
「お前は帰国してすぐにABSOLUTELYの総帥になった。そう、脚本通りに。中央委員会会長だからだ。だから俺は実践した。お前と同じ、誰からも敬遠される人間である為に」
「…いつからだ」
「カルマは俺が作ったんだ。知らなかったろう?」
「いつからだ」
「お前の為に、黄道十二宮を揃えた。もう寂しくないだろう?」
「俊!」
「お前が知っている俺は何処にも居ない」

まるで指揮者の様に腕を広げ、零れんばかりに目を見開いた相手にただ、微笑んだまま。




「何故ならば俺は、初めから一つの狂いなく、俺だったからだ。」



空に月はなく。
宙に風はなく。
闇は尚深く、全ての光を呑み込む間際。






「Close my eyes.」


声なきレクイエムは、誰のものだったのか。


























失敗した。
目を開いて開口一番、彼はそう呟いた。これはまた、見事に体が動かないではないか。

「大丈夫ですか?!しっかりして下さい!」
「おじさん起きてえ!ちょ、これやばくない?!生きてんの?!」
「息は、あるぜ」
「退きなさいリヒト、私が心臓マッサージをする」
「おーい!AED持ってきたっしょ!(;゚∀゚)=3」
「落ち着かんか師君ら、ネルヴァ…カミューもだ。息子の方が余程落ち着いておるぞ」

騒がしい。
随分賑やかだが、映像はまだ、定まらない。

厄介な事態だ、記憶が錯乱している。
最後の記憶はまるでないが、こうなってしまった理由だけは知りたくなくても判った。本当に、厄介な事態だ。

「私だ、判るか秀皇!おい秀皇!目を覚まさんか秀皇っ!」
「…起きてますよ。そう大きな声を出さないで下さいますか、父上」

どうも全て解けている。
そう、自分だ。頭の中は酷くクリアで、だからこそ、錯乱していると言えるだろう。見事に綺麗さっぱり、自分は、ただの自分だった。

ただ一つの偽りなく。

「意識が戻ったか!秀皇!私だ、お前の父だ!判るか秀皇ァ!俺だ!駿河だ、お前のパパだ秀皇ァアアア!!!」
「だから判るっつってんでしょうが。俺の耳元で叫んでも良いのはシエだけなので、とっとと離れて下さい」

舌打ち一つ。
目元に散る前髪を掻き上げ、一度、目を閉じた。再び開けば覗き込んでくる幾つもの顔が見える。
その内の幾らかは見覚えがあるが、今はまだ、把握しきれない。脳に考えるだけの気力がなかった。

「ああ…一人だけ判る」

少しばかり離れた所に佇む男が、聡明な双眸を歪めているのが見える。

「…久しいな、十口」

トクチ。
そう呼ばれた男は目を見開いて、唇に笑みを浮かべた。いつも野菜ばかり育てている男だった。賢い癖に知られたくないのか、いつも背を丸めて土を弄っていた男だった。

「お迎えに上がりました、陛下。ご無沙汰致しております」
「迎え…ね。出来れば会いたくなかった」
「でしょうねぇ」

肩を竦めて吐き捨てれば、微かな笑い声が鼓膜を揺する。そろそろ起き上がれそうだと上体に力を込めれば、傍らの父親からすぐに支えられた。

「ふらふらではないか…!何があったんだ秀皇」
「…ちっ、我が子ながら扱い難い。まさか今、リセットするとは…」
「秀皇?」
「ああ、すみません。情けない話ですが、俺…私の人格は11年ほど前に書き換えられていたんです、父さん」

はぁ。
深い深い溜息を零す。最初に目があったのは、親友の息子だった。

「…何と言うか、改めてはじめまして、山田太陽君。戸籍上俺は、君の伯父に当たる。聞いているかも知れないが」
「は、はい、遠野課長」
「はは。あの会社は俺の暇潰しさ。ここに通っている頃から、俺達はずっと、ドラマで観るような普通の生活に憧れていた。…なぁ、村崎?」

息を切らし駆け寄ってきた後輩へ片手を上げれば、昔から何一つ変わらない癖毛を乱した男はスライディングせんばかりに飛びついて、声なく悶える。

「ちょ、シノ先生?!」
「よ、良かったぁあああ!!!くっそ、いい加減にしろよマジェスティ!貴方に万一の事があれば、俺はマスターからぶっ殺されんだからな!」
「悪い、悪い。まぁ、流石のオオゾラも後輩を殺すような真似はしない…と、思いたい所だな」
「もー!こっちは学園内に入り込んでる怪しい奴を片っ端からぶっ潰すので必死なんですから!自分の身は自分で守って下さいよ?!」
「すまん許せ」
「これだからボンボンは…!」
「や、お前もボンボンだろうがタコ」

がつん。
躱す暇なく殴られた東雲村崎が屈み込み、カルマ一同硬直する。佑壱暴走事件で東雲がただのダサジャージではない事は、誰しも知る所だ。それを佑壱に負けない拳骨で殴るとは。

「と…遠野課長って、もしかして、何か武道とか…やってました?」
「武道?ああ、家訓で二歳の頃から一通り習ってきたが、それがどうかしたか?」
「も…もしかして俊も、とか?」
「あの子は生後半年から空手を始めた」

広げていたAEDを片付けていた健吾と裕也が互いのデコとデコをうっかりぶつけ、太陽の背後に立っていた隼人は滑り転び掛けて太陽の背中を膝蹴りしてしまい、痛みから復活した東雲は涙目で「当然や」と宣う。

「この人はABSOLUTELYの初代総帥…っつーか、親衛隊を近衛兵が如く鍛え上げて散々学園から抜け出しまくった人やで」
「き、鍛え上げる?」
「せや。学園内にSPやら執事やら配備されとったで、それから逃げ出すには手助けが必要やろ?特にあの頃の副会長がそらもう恐ろしい人でなぁ…氷炎の君が笑う時、世界が滅びるとまで言われてたんや…」
「ヒョウエンの君ですか…あ、あはは、会いたくないなー」
「呼びましたか?」

ガシャーン!
廊下の窓を突き破る音と同時にすたりと着地したスーツ姿の男が、落ちた眼鏡を拾い掛け直しながら首を傾げた。

「「「「な」」」」

哀れ、帝王院学園が全く誇らない左席委員会の仕事をしない役員一同は絶句し、腹黒大魔王までも珍しい表情で、その隣で長い髪を翻し今正に逃げようとしていた男と言えば、真顔でその髪を鷲掴んだ眼鏡が壮絶な笑みを浮かべた瞬間、動きを止める。余りにも顔色が悪い。

「待て、中等部一年Sクラス叶文仁。人の顔を見て逃げるとはどう言うつもりだ?」
「…いつの話をしている!」
「ああ、確かに。私が卒業してから随分経っていた。それにしても叶如きがこの私の前でヌケヌケと顔を出しやがって、…おや、これはこれは二年Sクラス叶冬臣ではないか、まだ生きていたとは相変わらず図太い男だな君は」
「ご機嫌よう、三年Sクラス小林…こほん、氷炎の君。昔と何ら変わらずお元気そうで何よりです」
「親戚面はしないでくれよ、君達と違って私は…おや!これはこれは太陽坊っちゃん!ああ、そこに見えるは太陽坊っちゃんではございませんか!」

叶兄弟には刺々しかった男の眼鏡がきゅぴんと光り、でれでれと猫なで声で平凡に張り付いた。

「ああ!一ヶ月もご無沙汰しておりました不始末、何とお詫びすれば良いやら、太陽坊っちゃん!少し見ない内に大きくなられて!この小林、涙で前が見えませんよええ!」
「いやー、一センチも変わってないと思うんですけどねー…、あはは、あはは…」
「どんどん社長に似てこられて!ああ坊っちゃん!この小林が来たからにはもう大丈夫、うっかりゲームをやり過ぎて視力低下と言う不慮の事態を招かない為にも良い子は寝る時間です!小林が坊っちゃんが眠るまで絵本を読んであげましょうね、うふふ」
「お断りしますー」

ぐりぐりと頭を撫でまくり、ドン引きしている太陽をぎゅむっと抱き締め、

「あ、何だ遠野課長も居たんですか。ついでに…見覚えのある天パも。名前は…忘れた」
「東雲です…」
「何してるんですか?坊っちゃ…社長はどうしました?」
「窓叩き割って現れといて何だその物言いは、少しは俺の心配もしろ」
「アンタは頭叩き割っても死なないでしょうが、そんな事より大空坊っちゃんの方が重要ですよ。ったく、」

ぐちぐち総務課長を詰っていた男はそこで動きを止め、今更ながら、他の人間に気づいたらしい。太陽のダサいTシャツと、彼らのブレザーを何度も交互に見つめ、

「坊っちゃん、何ですかあの金髪と緑とオレンジは」
「え?えっと、友達、です」
「近頃耳が遠くなってきましたかね…。友達?こんな糞餓鬼共が坊っちゃんの?」

呆れている一同の中、ピクリと反応したのはジジイ二匹だった。それぞれ眉を吊り上げたが、白衣は隼人から、白髪は裕也からそれぞれ足を踏まれ沈黙を貫いた。

「良いですか、あんな不良と付き合ってはいけません。太陽坊っちゃんがこのつるつるつやつやの黒髪をピンクだの紫だのに染めてしまったら、小林は…小林は…!」
「や、染めないし」
「いいえ!本人にその気はなくとも学生時代の誘惑とは中々抗えないものなのです!かく言うこの小林も若かりし頃は様々な悪しき誘いを幾度も掻い潜りうんぬんかんぬん」

長い。
話が長い。
山田太陽は悟りの笑みを浮かべ、呆れている皆へ顔を向けた。

「えっと、うちの会社の小林専務。どう説明したらいいのか…多分、冬臣さんと、」
「ふゆゆ」
「…ふゆゆと親戚だと思う。シノ先生…助けて」
「悪く思わんどって山田はん、先生にも出来ひん事はあるんよ」
「使えねー教師め。そこのイケてる神崎君…」
「やだ」
「藤倉君」
「オレにも無理だぜ」
「うっうっ、高野君」
「仕方ねーな(;´Д⊂)」

腹黒兄弟は当てになりそうになかったので、順番に助けを求めれば、仕方ないとほざいた健吾が空気と化していた榊を蹴り飛ばし、渋々近づいてきた榊が太陽の手を掴む。ぐいっと引っ張り、未だ長話を続けている眼鏡専務から平凡を一本釣りだ。

「有難うございます、店長さん…!俺、これから榊さんを頼りますね!」
「や、頼らんでくれ」
「そこを何とか!」
「何か今だけ耳が聞こえん様な…」
「ひど!」
「さてと。どうしようか」

立ち上がった男が呟いて、榊を睨んでいた鬼専務は眼鏡を押し上げた。

「どうしようも何も、私は一ノ瀬を探しているので見つけるまでは何もしませんよ」
「…一ノ瀬も来てるのか?」
「はい。一緒に居た筈なのですが、いつの間にか居なくなってましてねぇ…。つい、発作が」
「そ、そうか。それは何と言えば良いのか、面映ゆいな…」
「…は?」

ぽかん。
痙き攣る課長を間抜けな顔で見つめた専務は、じわじわと唇を震わせ始め、まさか、と小さく呟く。

「まさか、貴方…!」
「ああ、悪い。俺…私だ」
「な、んて事を…!急いで逃げ、」
「良い。見ろ、父上の御前だ」

肩を竦めた男の体で隠れていたもう一人の男を見るなり、太陽以外には目付きが鋭かった眼鏡は破顔した。


「が、学園長…?」
「ああ。秀皇と大空が永く、世話になったな」
「お元気そうで…何より、です。本当に…」
「積もる話もあろう。まずは、食事に付き合って貰えんか。無理にとは言わん」
「いえ、勿体ないお誘いでございます。私などで良ければ…」

榊にビタリと張りついて引き剥がされた太陽は、頑張って空気を読んだ。目的の遠野秀隆を発見し、このままスタコラ逃げ出せば理事長の無茶ぶりをなかった事に出来るのではないか。
恐らく同じ事を考えていたらしい隼人が逃げようとしているのを目敏く発見した太陽は素早く隼人に張り付き、やはりすぐに引き剥がされた。何とも雑魚過ぎる。

「ああ、時の君。待ちなさい」
「ひょえ!」

然し学園長に寄り添っていた腹黒大魔王に呼び止められ、身長はともかく体の細さは大差ない健吾の背後に隠れつつ顔を覗かせた。アレをシカトする勇気はない。

「な、何ですか…?」
「さっきの話、考えていて欲しい。良いかな?」
「さっきのって…ほ、本気だったんですか?!」
「勿論。私は冗談は言わないよ、関西人だけどねぇ」

にっこり。
男前のアダルトスマイル攻撃を受けた太陽は縮こまり、健吾の背後で無理無理無理と呟き続けたが、叶ロン毛腹黒を残して去っていく腹黒大魔王には聞こえていない様だ。
否、聞こえていたとしてもシカトされていたのかも知れない。

「…何を考えているのか、冬ちゃんは」

ぼそりと低い声で呟いた二葉そっくりの長身が、ジロリと睨んでくる。涙目で健吾の背中に張り付いた太陽に、当の健吾はガリガリと頭を掻く。

「おい、白百合の兄ちゃんよ(´°ω°`) タイヨウ君を睨むのやめてくんね?ビビってっから」
「餓鬼が誰に口利いてんだ、あ?」
「だからオメーに向かって言ってんだよ。何で判んねーの?馬鹿なん?(*σ´Д`)」

怖いもの知らず過ぎる健吾の物言いに涙目で飛び上がった太陽は、しれっと逃げようとしている隼人のシャツを素早く掴み、涙目で「行かないでくれ」テレパシーを送信した。それに構わずシャツを脱ごうとした隼人は裕也に止められ、二人は太陽を余所に臨戦態勢だ。そうだった、今の隼人と裕也は険悪な状況だったのだ。
どうしようと狼狽えればいつの間にか健吾は胸ぐらを掴まれており、笑顔で腹黒中魔王と睨み合っている。相手が神威並みの長身である為、太陽から見ると健吾の方が分が悪く思えた。

どうしていいか判らない山田太陽が本気で泣きそうな時、睨み合う隼人と裕也の遥か彼方、割れた窓ガラスの向こう、ライトアップされた時計台の下、いつの間にか屋台が並んでいるヴァルゴ庭園までの遊歩道にそれを見つけたのだ。



「おっ、お母さーーーーーん!!!!!」

ああ。
何て派手な山吹色の甚平、何て派手な赤毛。あんなに目立つそれを見間違えるほど、太陽の視力は低くはなかった。


ゲーマーにあるまじき、両目1.5なのだ。
























「らっしゃい!紅蓮の君、お疲れ様っす!」
「ラムネ持ってって下さい!」
「安くしとくんで甘栗いかがっすか、紅蓮の君!」

一歩歩く度にあちらこちらから、幾つもの声が掛かる。一般客の大半が帰ったのか、遊歩道に夥しく並ぶ工業科無礼講の屋台行列は殆どが両校の生徒で溢れ返っており、かなりの盛況だ。
この日ばかりは出費の多い工業科生徒らは稼ぐのに必死で、完売と書かれたたい焼きの屋台で何故か焼きそばを売っている者も見られた。

全ての屋台にOBからなる有志を募り、食品衛生管理者等を配置している為、贔屓目抜きで良くやっているとは思う。
それにしても、だ。

「ふん、安い栗使ってやがる。この時期にこんだけ集めたって事は冷凍もんだな?」
「ち、違いますよ…!やだなぁ!は、ははは」
「ネタは上がってんだ。瞬間冷凍の技術を家庭用冷凍庫に使えるようにして特許取った奴居んだろ。製品化まで時間が懸かるからってテメー、悪用してんじゃねぇだろうなぁ?」
「か、勘弁して下さいよぉ…!それはオフレコでお願いします…!」
「荒稼ぎしてんじゃねぇ。ンな暇があったら腕磨け、この甘栗は18点だ」
「すいません…」

どれもこれも、暑苦しい男か人相の悪い奴らばかりが話し掛けてくる。もう一つの共通点は、佑壱には友好的なのに、その隣の自分に対しては怯むか睨んでくるか、そのどちらかと言う所だ。これまた見事にアウェーらしいと、睨まれる度に壮絶な笑みを投げつけてやる我が身が哀れだと、高坂日向は眉間を押さえた。大人げない事は痛いほど理解している。

「おい」
「何だよ、栗欲しかったのか?うまくねぇぞ、あれ」
「誰がンな事言った。いつまでうろついてんだ、とっとと戻るぞ。騒ぎになってんじゃねぇか」
「だって美味そうなもんがねぇんだもん」
「もん言うな、吐き気がする」
「お前な、そう言う時は誉めるもんだぞ?呆れた男だぜ、いつもそうなんかテメーは」
「あ?」
「大して痩せてねぇ女にもグラマーだ色っぽいって誉めてやるのが男だろうが、だから振られんだよ」
「はっ、俺様は振られた事なんざねぇ。テメェと一緒にすんな、駄犬」

ピタリと動きを止めた佑壱に、殴り掛かってくるのかと眉を跳ねれば、どうやら違ったらしい。チョコバナナ風アイスプリンバーと言う、最早この世のものとは思えないロゴを掲げた悍しい屋台に張りついて、赤毛は見えない尻尾を振っていた。

「…何でブラックコーヒー飲む癖に甘党なんだよ、アイツは」
「おい高坂!どれでもくれるってよ!お前どれにする?!ホワイトチョコとミルクチョコと、」
「喰えるかそんな甘いもん!」
「判った、プレーンだな!」

日向は罪のないヨーヨー掬いの屋台を殴った。
スキンヘッドに痛々しい量のフェイスピアスを空けていたどう見ても厳ついヤンキーは無言で見て見ぬ振りをし、水に浮かばず沈んでいる、恐らく釣れない為の重りが入っているのだと思われるヨーヨーをそっと片付けていく。二葉よりはマシだとは言え、ABSOLUTELY副総帥にイカサマがバレるのは避けたいのだろう。


「プ。ほらよ、高坂」

にやにやしながら戻ってきた佑壱の両手に、余りにも大きなバナナ型と言うには歪な棒状のものが握られている。片方はチョコレートが掛けられており、片方はただのプリン色のものだ。

「スゲーだろ、プリンをこの形で凍らせてんだと」
「近付けんな」
「そんで、あの屋台の店主、あの見た目でオカマだった。しかもお前のファンなんだって、キャーキャー言ってたぞ。プ。この形、お前のアレを妄想して作ったらしいぜ。プ。良かったな、デカく作って貰えて…!ぎゃはは!」
「…んだと?!ちょっと待ってろ、そいつ片付けてくる」
「待て待て待て、無礼講だろうが。人気者の義務だ、笑って許してやれ」
「巫山戯けんな!裁判沙汰にしてやるわ!」
「お母さーーーーーん」

今にも殴り込みに行きそうだった日向の肩を佑壱が掴んだ瞬間、響いた声は酷く聞き覚えがあった。

「イチお母さーん!たーすけてー」
「…誰だ?」
「あー?あれ山田じゃねぇか?何してんだアイツ」
「それとお父さーん!!!…じゃなかった、光王子ー!助けて下さーい!」

賑わう屋台周辺が、日向のバナナ型アイスプリンバーより冷え固まった様な気がしたのは、気の所為ではないだろう。
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©Shiki Fujimiya 2009 / JUNKPOT DRIVE Ink.

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