「では部活動入部希望、見学希望があれば提出して下さい」
「遅くなりました」
クラス委員長に決定した眼鏡キャラのクラスメートに、眼鏡を輝かせ携帯カメラも輝かせていたオタクが弾かれた様に立ち上がる。
「きゃ、きゃーっ!」
「あ?」
しゅばっと立ち上がったオタクにクラス中の生徒が怯み、然しドアを開けて入って来た男を見るなり歓喜の悲鳴だ。
「チョコたんチョコたんチョコたんっ、いらっしゃいませ!」
「おう、遠野。イカした眼鏡掛けてんじゃねぇか」
「えへへ、有難うにょ」
ドアのすぐ隣に腰掛けていた俊が零人の前で頭を掻き、微妙な表情でそれを見る要が口を開く様だ。
「…お久し振りです、烈火の君」
「よう、金魚の糞その1。うちの愚弟が世話になってんなぁ」
「金魚の糞、ですか。それはまた、…人聞きの悪い」
「はん、副担任を睨む様な不良生徒に言葉を選んでやる必要があるか?」
「副担任?!」
眼鏡を吹き飛ばさんばかりに零人へ張り付いたオタクと言えば、クネクネ喜びの尻ダンスを見せ、無表情に暗雲を巻き起こす神威に捕まっていた。
「カイちゃん、カイちゃんのお席は後ろにょ」
「何で、コイツが此処に居るんだよ」
俊を膝に抱いたまま一番前の席に座った神威は終始無言で、零人の今にも吹き出しそうな表情を見ても表情一つ変えない。
「何で、って」
「ラブラブなこったな、新学期初日からよ」
「ラブラブって」
きょとりと首を傾げた俊を余所に、
「嵯峨崎、遅刻した罰や。自己紹介したれ。…ま、要らん思うけども」
「了解、マジェスティ」
「東雲先生言え、ボケ」
窓辺でストレッチなんぞしている不良教師の言葉で、委員長がチョークを握ったまま硬直している教卓までつかつか歩いた長身は、
「ん?何をジロジロ見てやがる、眼鏡君」
「いや、あの、その、その、」
「あ?…はーん、まさかこの俺に抱かれてぇのかな、眼鏡君は」
「ひゃ!」
「キャアアアアアアア!!!抱いてフォーリンボーイズラブ!」
大人しそうな委員長の顎に手を掛けたホストに、眼鏡からサンシャインシャワーを発動させたオタクがデジカメをフラッシュしまくる。
「俊君、輝いてるなぁ」
「つか眩しっ、明るい昼下がりの教室を眩しくさせるなんて…っ、やるな、嵯峨崎兄!俊のツボを心得てる」
「天の君…素敵…」
「輝いてらっしゃるよ…」
「ああ、やっぱり帝君は一般人とは違うんだな…」
桜と太陽の的を外した台詞はともかく、クラス中の視線は教卓の二人にではなく俊へ注がれていた。
皆から見つめられている事にも、神威と要が周囲を威嚇している事にも、自分が主人公である事にも全く気付いていない鈍眼鏡は興奮状態だ。
「ハァハァ、ハァハァハァハァハァハァ」
「悪いが、面白味のねぇ奴には興味ない。退け、そこで指咥えて俺様の講義でも聞いてろ」
「も、申し訳ありませんっ、烈火の君!」
「きゃ、きゃーっ!出たァアアア、THE☆俺様!チョコたんチョコたんチョコたんっ、すーてーきー!」
「判った判った、チロルやるから座ってろ遠野」
ぽいっと零人が放ったチョコレートを、ガシッとキャッチしたのは神威だ。
「腹の足しにもならん」
ピシリ、と眼鏡にヒビを入れるオタクに構わず包装を剥いでポイっと口に放り、
「きゃ、」
「もきゅもきゅもきゅ」
「きゃ、きゃーっ!返して返して返して、チョコたんから貰ったチロルチョコちゃん返してー!」
「知らない輩から与えられた物を口にするなと言った筈だ、もきゅ」
「チョコたん知ってるもんっ、チョコたん俺様ホストだもん!ふぇ、僕が貰ったチョコだったにょ!うぇ、カイちゃんこそ知らない俺様攻めから貰ったチョコ食べちゃ、めー!」
ポカポカオタクパンチを受けながら、全く避ける気配のない神威は緩く目を細めて、
「俺と嵯峨崎零人は知り合いだ」
「はふん」
俊の耳元で囁いた。
ピタリと動きを止めた俊は首を傾げるが、手を叩く零人に促され前へ向き直る。
「今日から今学期終了までお前らの世話をする事になった、4A総合課程の嵯峨崎零人だ。三年ちょい前まで、この高等部生徒だったからな、大半の奴が俺を知ってんだろうが…そこのぼーっとしてる奴、」
「え?は?俺ですかい?」
「ああ、起きてんのか。寝てんのかと思ったぜ」
零人から指を差された太陽が背を正し、揶揄めいた笑みを滲ませる佑壱瓜二つな表情に瞬いた。
「俺の事は知ってるよなぁ、平凡その1」
「…嵯峨崎零人先輩、二年前まで中央委員会生徒会長、親王陛下として三期務める。初等部から現在まで一貫して帝君、嵯峨崎財閥次期社長候補で、嵯峨崎佑壱先輩のお兄さん…で、いいですかー?」
「ひゅー、流石左席に名乗り出るだけの事はあんな、ヒロアーキ=ヤマダ」
「恐れ入ります、烈火の君ー。覚えて下さってどーも」
「きゃーっ!生きてて良かったァアアア!!!」
目を細めて笑った零人へ、負けじと笑い返した太陽にオタクがデジカメを光らせた、
「頼もう!」
まさにその時。
「此処か、一年Sクラスは…」
ガラッと開いたドアから遠慮無く踏み込んで来た男の所為で、教室内に黄色い悲鳴が轟いたのだ。
「クンクン、近い。限り無く近いぞ、クンクン、ん?うざい奴の匂いもする様な…」
「…馬鹿壱、お前こんな所で何やってんだ」
「あ?テメ、何でこんな所に居やがるゼロ!」
「何でも何も、副担任だからだろ、俺が」
「ふんっ、テメーなんか相手にしてやる暇は…あ、居た」
キョロキョロ教室内を見回していた佑壱の表情が輝き、神威に抱かれているオタクをひょいっと奪い、その後ろの空席に腰掛けて満足げだ。
「ふぅ、やっと見付けたぞ遠野。全く、探索時間20分も要るとはな…」
「ふぇ?」
「ったく、どう言うフォーメーションチェンジだっつー話。馬鹿猫に後でクサヤでも投げ付けとくか…」
俊を奪われた神威の周囲に雨雲が立ち込めている気がするのは、太陽だけだろうか。
「えっと、あにょ、嵯峨崎先輩?」
ワンコに膝抱きされてしまったオタクは不満げだ。
「良し、馬鹿兄貴、授業を進めろ」
「阿呆か、二年帝君が一年に混ざってどうすんだ。早く教室帰れ」
「嫌だね。大体、授業なんざ受けなくても毎回帝君なんだし、別に俺が何処で勉強しようがテメーにゃ関係ねぇだろーが」
佑壱の天才発言に黄色い悲鳴が威力を増し、感心げな桜を余所に太陽が立ち上がった。
「イチ先輩、中央委員会、統率符は黄昏。…速やかに出てかないと、取り締まりますよー」
「あ?何だ山田、あっちいけ」
「………吊されてバシバシ叩き付けられたい、と?」
「ふん、今の俺は犬の様に自由気儘に生きるただの高校生だ。ただの高校生であるからには、こうやって授業も受ける」
開き直ったらしい佑壱は、総長の匂いを追ってこのクラスへ辿り着いたのだ。
生きる変質者かただのワンコか、晴れやかな佑壱の膝に座らせられているオタクがいつの間にか曇らせた眼鏡を押し上げ、
「愚か者がァ!」
「ぐふ!」
片手で眉間を押さえる要の前で、ワンコが黒板へ投げ付けられた。
ドカン、と凄まじい音を発てた割には無傷な黒板はともかく、叩き付けられた佑壱を無表情でダイレクトキャッチした兄は、投げ付けたオタクに親指を立てそうな勢いだ。
「平凡受け、ぷに受け、更には眼鏡健気受けまで揃ったパラダイスに在りながら、照れの余り行動に移れないとは何と言う有様だ!」
「え?いや、あの?」
「情けない…やはり所詮、貴様はただのワンコ攻め止まりかァ!」
短い助走と共に回し蹴りの態勢を取った俊を見るなり青冷めた佑壱は、お姫様抱っこなどしている零人を振り払うでもなく寧ろ抱き付き、ピシッと硬直したブラコンはオタクの回し蹴りから逃げる余裕がないらしい。
「萌えの名の元に成敗してくれるわァアアア!!!」
「ひ、ひぃいいいいい、ちょ、ちょっと待って下さ、」
余りの早業に付いていけない太陽も桜もただただ眺めているしかないのだが、
「はーい、そこまでー」
オタクの回し蹴りを片手で止めた村崎が、ふわん、と欠伸を発てながら佑壱諸共零人を弾き飛ばして、黒板へ背を向ける。
ピタリと動きを止めたオタクは暫し無言で、
「チョコの代わりに飴やるから、座りや」
佑壱の尻ポケットから勝手に奪ったキャンディを村崎から手渡され、コクリと頷いてプリプリクネクネ尻を振りながら自ら神威の膝の上に戻った。
「桃ちゃん味の飴ちゃん貰ったにょ。ホストパーポーは知らない人じゃないなり」
「ああ」
「むしゃむしゃむしゃ」
糖分欠如で不機嫌だったらしいオタクが飴を貪り、
「助かったぜ、東雲!」
「先生を呼び捨てにすんなや、嵯峨崎弟」
「逃げんな馬鹿壱」
「煩ぇ、追い掛けて来んな!」
弟を抱いたまま村崎に弾き飛ばされた零人はしゅばっと逃げ出した佑壱を素早く追い掛けて、教室の隅で嵯峨崎鬼ゴッコを繰り広げている。
「委員長、プリント集めてや。それが終わったら明日の説明して解散やでな」
大丈夫だろうか、このクラスは。太陽の心の声が聞こえた気がする。
「カイちゃんは部活決めたにょ?」
「庶民愛好会、だったな」
首だけで振り返り、擦り寄ってくる鼻先の擽ったさに目を細めた。戯れる様に追い返しても、この距離では意味を成さない。
「庶民愛好会は庶民しか入れないにょ。だからカイちゃんは入れないなり、イギリス人だから」
「俺はイギリス人ではない」
「ふぇ?」
頬を掠める鼻先と、襟足を弄ぶ指の感触と。まるで恋人同士の様な錯覚を覚えるから不思議だ。
「ダブルクォーターだ」
こんな美形を恋人にする様な甲斐性も勇気もないのに。
「ダブルクォーターって、なァに?」
「父がイギリスとフランスの混血、母がアメリカドイツ日本の混血。配分率では日本の血脈は四分の一、両親のどちらもが混血だからな」
「ふぇ?ふぇ?ふぇ?」
「つまり、イギリス人ではない。国籍も本籍も、今の所は日本に存在している。…俺は日本人だ、恐らく」
「ふむふむ、なら、カイちゃんも庶民愛好会入るにょ!皆一緒のほ〜が、楽しい筈っ!やっぱ部活帰りはマックかしら、ミスドかしら!」
はしゃぎながら神威の分のプリントに記入していくオタクは、四隅の空白にドーナツやハンバーガーの落書きをしながら涎を垂らしている。
「カナメさんっ!」
然し此処に来てまた、教室のドアが開いた。息を弾ませた乱入者に教室内が沈黙し、慌ただしい足音だけが響く。
「北緯先輩ではありませんか」
「川南弟、略してナミオ。何しに来たんだ?」
「此処に居たのか副総長、いきなりスカイダイビングしてるから心配して、…いや、それはどうでも良い。マズイ事になった!」
「あん?」
クラスメートである佑壱を見掛けるなり叫んだ北緯に、要が立ち上がる。
「何があったんですか?」
「カナメさんっ、」
首を傾げる俊や、怪訝げな桜、太陽を余所に静まり返った教室へ、要には敬語を使うが佑壱にはタメ口な二年生は眉を寄せ、
「ハヤトが連れてかれたかも知れない!早く見付けないと…!」
「んだと?!何処の誰にだぁ、ナミオ!」
「まさか、隼人が?!そんな馬鹿な…」
「恐らく、セントラルクラスのABSOLUTELYに!さっきまでリング反応は確認出来たのに、カード反応がありません!」
「…ABSOLUTELY、だなんて、そんな、」
「あんの、ド腐れ野郎らがぁ!行くぞ要!ナミオ、裕也と健吾にも報告して来やがれ!」
その叫びはまるで、何かの幕開けの様に。
「Sleeping for you!(ブッ潰す…!)」
愉快げに緩く目を細めた神を、
「カイちゃん、今日のお夕飯は食堂で食べる?」
「ああ、そうだな」
ただただ、静かに静かに。