「こちら対空情報部、セントラルスクエアです」
ランチタイムを過ぎたばかりのオフィスには、ゆったりとした旋律が流れている。
気怠い雰囲気と巨大モニターに囲まれたドーム状の広い室内には、然しきびきびと職務に従事する社員らが見られた。
「送迎要請ですか。戦闘機・小型機の希望がなければ当日出動可能ですが…はい、了解しました、御予約として受け付けます。それでは只今の申請に際して確認の為、パーソナルステイタス認証にご協力下さい。まずは階級を………S1…シングルファースト、ですか?」
ヘッドホンを着けたオペレーター中でも、年若い社員が片手でキーボードを操りながら、ヘッドホンにもう片手を掛ける。
「申し訳ありませんが、このまま少々お待ち下さい。…えー、何だか可笑しな通信だなぁ。あ、先輩!」
「何だ新入り、また腹の調子でも悪いのか。痛んだキャビアはやめとけ」
「…違います、いつまで昔の話で揶揄うんですか。今ちょっと変な通信が入ってるんですが、確認して貰えません?」
「どんな通信だよ」
「ランクSからの要請なんです」
本部勤務でも平社員はランクC、係長以上の役職があって漸くランクB、部長階級でランクAとなる規則だ。平社員の彼らからすれば、ランクAであるABSOLUTELYのマスター階級ですら雲の上の存在であるのに、最高幹部を示すランクSからの通信など受けた事もない。
「SINGLEぅ?CAPITALでもBYSTANDERでもABSOLUTELYでもなく、ランクSだと?んな馬鹿な」
「ですよねぇ。一応、コードも聞いたんでメモしておいたんですけど…たちの悪い悪戯でしょ?保留したまま通報しようかと思って」
「通信録音で声紋認証に掛けろ、特定してから通報した方が確実だ。通信が切れたら録音も消えちまうからな」
「あ、そうか。…出ました、社員番号S1-0005、コード:ルーク」
ディスプレイに映し出された社員情報に目を見開いたイタリア系男性は、くたびれたシャツの襟を正し部下の胸倉を掴んだ。
「おい、間違いないのか?何処からの通信だっ」
「そ、それが日本からなんで、可笑しいなと…。日本には関連ファンドもありませんし、」
「馬っ鹿野郎!日本っつったら、俺ぁベラベラ日本語話してる癖に行った事もないが、我が社が決して手を出せない国だ!何てこった、ピッツァにアンチョビ乗せない三ツ星ぐれぇ一大事だ!」
「わ、わわ、せ、先輩っ!P, please don't shaking to me!」
「ああ、もう良い、お前じゃ話にならん。マスター!」
余りにも流暢な日本語を話すイタリアンは、スラングと言うより現代語が多過ぎる。独自のピザ理論が通じなかった所為か否か、保留ボタンを確認し転送ボタンを叩き押した。
「一大事ですマスター!」
『…何だ騒々しい。また対外情報部の誰ぞシャドウウィングを壊したのか?部長不在のあそこには文句を言うだけ無駄だ、修理費ふっ掛けて直接経理課に回せ』
『マスター、組織内調査部に貸し出してるブラックウィングも三機、まだ返ってきていません』
『ケチな対陸管制部がイエローカード二枚で貸し出し禁止処置を講じたお陰で、国内出張で申請を出しているんだ。組織内調査部に関しては文句の言い様もない、下手したら来年の経費がゼロになりかねん』
『去年マスターが経費でビンテージワイン購入した事、あっさりバレて請求書と警告が届きましたもんね…』
スピーカーから上司らの愚痴が流れ出し、口を挟む隙が見つからず頭を抱えた。あわあわとスピーカーと先輩を見比べる新入りと言えば、自分には何も出来ない為に黙って見守るしかない。
『ゴホン。…嘘か真か、南部統括部は未だに徒歩でメキシコからアルゼンチンまで往復しているそうだ』
『あの部のマスターはジャンクポット=ドライブですから、大陸縦断くらい楽々果たしそうですね。欧米統括部にも見習って欲しいものです』
『とにかく、我が部に負担が掛かり過ぎている今、対陸管制部に少しは融通と言う言葉を教えてやるしか、』
「あーもー、マスター!536番に通信が入ってます!チーフとの雑談はパーティーの時にでも取っておいて下さい!」
『おお、536番か。536番で私に確認を取ったと言う事は…全面的に許可しよう。シャドウウィングなりブラックウィングなり、ベルセウスなり私の命なり、須くお望みのものを』
「…え?」
『我が対空情報部が選ばれた事を誇りに思いますと、我が神へお伝えしろ。ああ、素晴らしい空の旅をお約束するとも・な』
聞いていた全ての社員が背を正し、左胸へ手を当てた。
『いや、私が直々に御命令を伺おう。すぐに回線を回してくれ。…唯一神の冥府揺るがす威光を須く知らしめんが為に』
「ど、どぅだったのぉ、セイちゃん!」
「…桜」
転がる様に駆けてくる…寧ろ転がった方が早いのではないかと思わせる幼馴染みを認め、一礼する役員に頷いて踵を返す。
廊下の突き当たりにある会議室を横目に、必死で駆けてくる桜の元へ大股で歩み寄った。
「天の君に怪我はないそうだ。風紀委員会内で加害者の特定を急がせている様だが、時期が時期なだけにそう人員を割けないだろうな」
「はぁ、でも良かったぁ。俊君の事だから大丈夫だって信じてたけどぉ、三階から落ちるなんて…。もしかしたらぁ、窓の外でラブラブしてるカップルか裸の太陽君でも見つけたのかもぉ」
「桜?俺にも判る様に話してくれないか。それはどう言う意味なんだ?」
「だってぇ、俊君だものぅ」
首を傾げる東條に構わず、うんうん頷く桜は深い皺を顎の下に刻む。立派な二重顎だ。
ぼーっと眺めている東條の鼻の下が1ミクロン伸びた気もするが、足早にやってきた人物の所為でそれ所ではない。
「ちょっと!そこのデブ!」
「はぃ?何ですかぁ?」
「…失敬な!桜はふくよかなだけで標準体型だ!貴様、来客だとて許さんぞ…!」
「セイちゃんセイちゃん、喧嘩は駄目だよぅ。えっとぉ、確か…太陽君の双子の………お兄さん?」
「僕が弟だ。君、左席委員会の役員だったよね。アキは何処に居るの」
桜と同じくらいの身長のイケメンに、髪型以外は似てないな、と考えながら首を傾げた桜は、ギリギリ歯軋りしている幼馴染みを見上げた。
見慣れているとは言え、親衛隊持ちの東條と山田弟が並ぶ姿は圧巻だ。隼人と要が並んでいる時の衝撃に似ている。
「太陽君は多分、俊君と一緒じゃなぃかなぁ?あ、でももしかしたら白百合様と一緒かも…」
「白百合?…ああ、あの陰険オカマ野郎。十年前も今も、本当に人を苛々させてくれる」
「ぇ?あの〜、山田君は白百合様とは昔からぉ知り合いですかぁ?」
「殺しても殺し足りないネイキッドに言っておけ。僕は昔の事を許した覚えはない。今後またアキを傷付ける事があれば、次は必ず殺すとね」
力強く吐き捨てた男は、眉を跳ねた東條へ勝ち誇った笑みを浮かべ、
「この学園には君程度の家柄はゴロゴロしてるそうだけど、言葉には気をつける事だよ」
「…何が言いたい」
「アゼルバイジャンも光華会も、大河にも僕は興味がない。確実に言えるのは、公私共にネイキッド=ヴォルフが僕のターゲットと言う事だけだ」
「神をも恐れぬ戯言を言うんだな。…一介のジャパニーズに、何が出来るんだ?」
「出来るも何も、やるんだよ。まずは家名を語った人間を探させて貰う。勿論、つまらない妨害をしない事だね。…白髪君、東雲財閥と嵯峨崎財閥を敵に回したくはないだろ?」
目を見開き息を飲む東條を見やり満足したのか、桜の腹を一瞥し苦々しい表情を浮かべた美形は去っていった。
「太陽君のお兄さん…じゃなくて弟さん、何かちょっと怖そぅだねぇ。すっごく白百合様に恨みがあるみたぃ…」
「時の君の実家は、新進気鋭の総合ショッピングセンターだと記憶していたが…違ったか?」
「太陽君のお家はワラショクだよぉ。今度、西東京市に新しいワラショクモールが出来るんだってぇ。それがぁ、どぅしたのぉ?」
「…一部上場してまだ日の浅い企業が、嵯峨崎は勿論、東雲財閥と何故コネクションがあるんだ?」
「さぁ?上流階級の内情はぁ、判らなぃよぅ。あ!シロちゃんに聞いたらぁ、判るかもぉ」
スマホを機敏に操作した桜が、不思議そうな東條を見上げながらニコっと笑う。無言で悶えている白髪頭を余所に、
「もしもし〜、シロちゃん?今ぁ何処に居るのぉ?ぅん、判ったぁ。今からそっちにセイちゃんと行くからぁ、待っててくれるぅ?あ、セイちゃんはねぇ、幼馴染みなんだぁ。ぅん。差し入れ持ってくねぇ。ぅん、じゃあまたねぇ」
「桜、誰と話していたんだ?」
「友達のぉ、シロちゃんだょ〜。イチ先輩のファンでぇ、カルマなのぉ」
ニコニコと満面の笑みの桜は、うっかり忘れていた。それを聞いている東條こそ、獅楼以前にカルマに入隊している事を。
「まさか加賀城?加賀城獅楼か?」
「ぁ。そっか、セイちゃんも知って…。シロちゃんならぁ、お父さんが加賀城財閥の社長さんだしぃ」
「待て、加賀城獅楼は加賀城財閥の社長だ。数日前に発表があったのを知らなかったのか?」
「ぇ?えぇ?!嘘ぉ!えぇ〜、どぅしよう、知らなかったからぁ、シロちゃんへの差し入れはぁ、金平糖なんだよねぇ。今から芋けんぴ作るとぉ、明日の朝になっちゃうよぅ」
「桜…土産の問題じゃない。ビジネスパートナーでもない俺らに、軽々しく話せる内容ではないだろう」
どうしたものかと顎に手を当てた長身は、もう一度会議室方面へ目を向けた。
「…光炎閣下に探りを入れる、か」
「光王子様に…?そ、それって、大丈夫なのぉ?」
「少しばかり貸しがあるからな。…あの人なら、西園寺財閥会長ともコネがあった筈だ」
「心配だよぅ。高坂先輩はぁ、優しいけどぉ、何かぁ…一線引いてる気がするんだぁ…」
のほほんと腕を組んだ様に見える桜に瞬いて、沈黙する。相変わらず、脳天気そうに見えて鋭い男だ。
「桜、お前から見て、天の君はどう見える?」
「俊君はぁ、最初に僕を助けてくれた時からぁ、すっごく面白ぃの〜。赤ちゃんとお年寄りが混じったみたいでぇ、ごちゃごちゃしてるからぁ」
「ごちゃごちゃ?」
「ぅん。太陽君以外にはきっとぉ、あんまり興味ないんじゃないかなぁ。あ、でも、学園内のカップルを見てる時はぁ、本心から楽しそぅ?判んないけど…」
「そうか。お前には、そう見えるのか」
「ぅん。…でも、カイ君はちょっと怖ぃ。神帝陛下よりも怖かったなぁ。俊君と一緒に居る時のカイ君は、サメみたぃなんだもん…」
か細く途切れた声に辛うじて頷いた。本能的に、桜は桜で気付いていた様だ。その二人が同一人物であり、目的にも。
「あの会議室が自治会役員の休憩所になっている。招集が掛かってるから俺はひとまず行ってくるが、桜はどうする?」
「僕はぁ、」
「あっれー、さくらちゃんじゃーん♪」
「わわっ」
ガシッと、桜の胸に巻き付いてきた腕に東條が無表情で青筋を発て、当の桜は振り返ろうとして足を滑らせる。然し力強い腕に支えられ、事なきを得た。
「ぇ、あっ、王呀の君ぃ?」
「桜ちゃん、今日も良い乳してんな。ど?今からベッドん中で揉みしだいてやろっか?」
「ぁの、お構いなくぅ」
「…ウエスト、貴様」
「あン?何だ、イーストじゃねぇか。桜ちゃんを邪険にしてたオメーが、なんで桜ちゃんと?あ、判った。また桜ちゃんに意地悪してたんだな?」
「違いますぅ!セイちゃんはっ、」
「俺が桜ちゃん口説いても構わねーっつったよなぁ、お前?」
にんまり、人の悪い笑みを浮かべた西指宿に青ざめる東條は、拳を握り締め歯噛みするしかない。
きゅっと眉を寄せた桜が口を開く前に、
「あ〜!さっくーん、さっくーんじゃあるまいかあ〜」
「ぇ?あれぇ、はっくん?どぉしたのぅ、そんなに慌ててぇ〜」
「カナメちゃんが〜、こっちに来なかったあ?」
「錦織君〜?来てないよぅ?何かあったのぉ?」
「判んないけど〜マズい感じ…げ、うざい奴が見える〜」
「隼人〜、愛い奴め、ダッシュで兄ちゃんの胸に飛び込んで来たのか?」
隼人の美しい跳び蹴りが金髪紫メッシュのナンパ師の顔に、これまた美しく決まった。