炬燵。
麗らかな春も暮れ。梅雨に向けて徐々に暖かくなってきた時分に、自分は何故、閉じ込められなければならないのか?
答えを知りたい様な知りたくない様な、山田太陽は塩っぱい表情で涙汲んだ。頭は正座した着物男…自称『極々平凡な中年』、明らかに堅気ではない雰囲気ある『ふゆゆ』の膝の上。
ふゆゆ。
彼は臆面なくそう呼べと恐ろしく嘘臭い笑みで宣い、サドの卵、山田太陽をチキンに退化させた。二葉の兄、流石はあの魔王白百合の肉親。見た目は全く似ていないが。
そう言えばもう一人兄が居たな、と思い出して、太陽は考える事を放棄した。頼まれても自分から近付いたりはしない。長男次男、出来れば三男にも、だ。
実は今日一日、まともに顔を見れていなかった。その所為か否か、迂闊にも神威に二葉の唇を奪われてしまったのは、返す返す、腹立たしい。
闇討ち。
据わった目で暗い炬燵の中、呟き掛けた太陽の額が揺れた。黙れ、のサインらしい。勿論、喜んで黙ります。
「おや、物々しいねぇ、そんな大所帯で」
至極楽しげな腹黒アルティメットの声が聞こえる。小柄な太陽も炬燵の中は狭苦しいが、尻を向けている側に座る遠野院長がうっすら布団を開けていてくれているので、何とか窒息の危険は回避だ。
見た目は黒髪バージョンの西園寺学園生徒会長、然し中身はナイチンゲール。ドクター聖人君子。男前院長は、腹黒マッハが喋る度にびくびく膝を震わせている。
天下無敵の男前医師でも、やはり腹黒長男は怖いのか。ならば天下御免の平凡高校生が怯えてしまっても仕方ない話だ。情けなくはない。君子危うきに近寄らず、膝には頭を乗せる但し炬燵の中に限り。
眠たくなってきた。
「申し訳ありませんが、来賓招待は明日以降の予定になっています。招待状をご持参の方に限られますが…」
満腹だ。
腹黒はもう良い、膨満感。聞き慣れた声を認めるや否やゲップを漏らし掛けた太陽は慌てて両手で口を塞ぎ、脇腹側の布団の隙間から転がってきた丸いものを見た。オレンジだ。
学園長の心ばかりだろうが、余りにも酸っぱい。あらゆる意味で。優しさが逆方向に働いている。
何故腹黒に放り込まれた炬燵の中、息を殺しオレンジと戯れねばならないのか。そして学園長、貴方は一体何がしたいんですか。
腹黒アルティメット長男メイドイン叶を雇っていると言う、目付き悪く無口で空気も読めないロマンスグレー学園長、日本一お金持ちな人。庶民には全く判りません。何故二個目のオレンジを転がして下さるのか、まな板の胸に詰めて腹黒を誘惑しろと仰るんですか?
いやいやいや、そんなん俊しか喜ばないよねー。
「招待状、ねぇ。生徒は家族知人を招待する事が出来る、だったか。ふふ、私と文仁には残念ながら届いていなくてねぇ」
「…でしたら大変残念ですが、お引き取り頂かなければなりません。敬愛する兄さんであろうと例外には出来ない私の立場を、ご理解下さい」
「ふぅ。ふーちゃんは風紀委員長だから、仕方ないね。悲しいけれど…ふぅ」
何故だ。
全く悲しそうではない男の声に、恐らく微笑を浮かべ静かに怒っている二葉の表情が思い浮かぶ。見えないにも関わらず、だ。
三個目のオレンジはそっと押し返し、二つのオレンジをもそもそと、腹黒アルティメットマッハの着物の袷を解いて放り込む。わざとじゃない、暗くて間違えました、あははー。
「多忙にかまけて兄さん方に招待状を送り損ねていた兄不孝、お詫びします。明日改めて招待状をお送り致しますので、御面倒は承知の上、今夜はお引き取り下さい。車をお呼び致します」
「所で二葉、こちらは遠野総合病院の院長さんだ。昔お世話になったんだよ。ご挨拶しなさい」
腹黒は股間にオレンジが乗っかっても微動だにしなかった。流石だ。いっそ尊敬してきた。いつかこんな男になりたいものだ。だから学園長、オレンジはもういいですって!
四個目のオレンジは、お医者様の足の方向へ転がす。ビクッと震えたイケメン院長、ごめんなさい。
悪いのは学園長です。優しさが面倒臭いんです。
形式的な挨拶を済ます二葉に、何とか社交的な挨拶をする院長は大人だ。炬燵の中で丸まっているしかない太陽の何とも言えないフラストレーションは、然し腹黒アルティメットマッハクライシス大魔王の最強呪文によって、砕け散った。
「で、あれは噂高き神帝の意向だったのか、悪名高きノア=グレアムの命令かね?」
これは、一介の高校生が聞いて良い話、じゃない。
冷や汗がぶわっと滝の様に流れ出したが、捲れた生身の太股にオレンジを二つ乗せたままの腹黒最強愉快犯は、崩れない鉄壁の正座と涼しげな声音でやはり涼しげな笑い声を忍ばせた。
「お前がつい最近、鷹翼学園と総合病院に繋ぎを取ったと風の噂で聞いてねぇ。推察するに失踪した秀皇君を捜しているそうだね」
ミコは見つかったかい、と。
腹黒は愉快ながら恐ろしく冷えた声で零した。ヒデタカギミ、ミコ、それが同一人物てある事だけは判る。二葉がどんな顔をしているのかは判らないが、あの性悪腹黒が一切喋らないと言うのは、不気味だ。
「嵯峨崎財閥にも圧力を掛けたろう?いけない子だ、嵯峨崎会長はファースト殿下のお父上じゃないか。ルーク坊っちゃんの叔父に当たる方に、悪戯はいけないねぇ」
怖い。怖すぎる。何故、院長は平然としているのだろう。オレンジにはビビった癖に、この恐ろしく凍える雰囲気は平気なのだ。
「それとも坊っちゃんは、御自分の身内にすら興味がないのかな?そうだろうねぇ、あれほど徹底的に日本には侵出しなかった筈のステルシリーが、こそこそと買収を進めている様だから…」
「穿った意見はご容赦願います。直ちにお引き取り下さい。幾ら兄さん相手でも、実力行使しなければならなくなりますよ」
「ああ…可愛いふーちゃんは何処にお嫁に行ってしまったのかな。近頃は決まった時期に決まった日数だけ帰省して、さっさと帰ってしまうし…。まるで儀礼通過だ。面倒臭い兄さえ居なければ里帰りしなくて済むのに、なんて、思っているのかな?」
「ご冗談を」
恥ずかしくて今日一日まともに目を合わせられなかった二葉が、哀れに思えてきた。こんな兄が居たらそりゃグレて不良にもなるだろう、全身真っ黒で青銅の仮面を被った挙げ句、深夜の街を徘徊したくもなる。可哀想に。そりゃ腹黒性悪二重人格にもなる。多分。
だからと言って炬燵から飛び出す勇気はない。腹黒にビシッと指を突き立て、寒くなるから黙らっしゃい!などと言えれば、忽ちギネス認定だ。勇者として。
「この私も皇子には失踪以来お会いしていないんだ。お前が見付けたら是非伝えて欲しい。チェスの勝負が付いていない、と」
「…悪趣味な悪戯は兄さんの方です。時の君を何処へ隠したんですか?」
あら?
白百合様のお目当てはワタシ?
ぱちくりと瞬いた太陽を余所に、端から判ってましたとばかりに腹黒アルティメ(略)は、やはり微動だにせず、ころころ笑う。もうやだこの人、だから高校生を炬燵に封印したのか。可愛い愛称に騙されはしない。ふゆゆめ!
「はて、時の君?」
「ご冗談を」
「ああ、ワラショクのコマーシャルソングの歌詞に出てくる、ご長男の太陽君の事か。彼なら親友である天の君の元に行ったよ」
「ご冗談を。」
今度こそ、二葉がいつもの寒々しい笑みを浮かべたのが判った。
「天の君は陛下の元にいらっしゃいます。付け加えるなら、天の君のお父上も…我々が丁重に持て成していますよ」
オレンジが、ゴロゴロと転がってきた。
今度は学園長からではなく、今の今まできっちり正座していた男の膝から、だ。炬燵の中の太陽にしか判らなかったろうが、見える三人分の足が何らかの反応を見せた。特に学園長の震え方は尋常じゃない。
然し、布団の下で腹黒ふゆゆの手が学園長の膝を一瞬押さえたのを見て、どうやら『知ってはならない話』だと言う事は判った。
「おや、天の君の父上は構わないのに、私は追い出されなれけばいけないのかな」
流石は大魔王。あっと言う間に形勢逆転、苦々しく退散していく二葉と風紀委員と思われる足音が遠ざかり、ドアが閉まる音。