帝王院高等学校

陸章-刻まれし烙印の狂想曲-

現実逃避不可能なヘビーベイビー

強かに滑り落ちる汗ばんだ肌、貼り付く皮膚と皮膚が剥がれる刹那の痛みは虐殺されるに等しいものだ。
細胞の膜は人を個として造り上げ、個は個のまま決して他と混ざり合う事はない。同じ禁忌ならばキメラツインズであれば、どれだけ救われただろう。少なくとも、このけぶり立つ欲情を崩御させる術を探す必要はなかった筈だ。

個が個のまま決して混ざり合わず、己と彼が向き合える他人であったからこそ、私は愛を知り己が獰猛な欲の脆弱さと傲慢さを突き付けられた。

去り逝く者に褒美などない。
甘美にして猛毒なその肉を咬み喰らい、血肉の一部として共に在ろうと猟奇的偏執性を覗かせたシナプスは、健やかな寝息と共に紡がれた我が名を耳に燻らせた時点で崩壊する。

挑むまでもない。
過去へ遡り神と謳った愚かな自らへ教示してやれたとすれば、無駄な足掻きは首を絞める、と。


網膜を艶やかな黒が凌辱する。
鼓膜を夢にたゆたう柔らかな声音が支配する。


心臓に意思が宿るならば最早この身に心はなく、規則的に脈動を刻む夢追い人の血に熔けたのだ。







私はこうも愚かに今尚、真の神に愛を問う。






はぁ、と。
誰からともなく零れた溜息にたじろげば、ぺらっと捲られた布団の向こうから手を差し伸べてきたのは、まさかの大魔王だった。

「ごめんね、苦しかっただろう?」
「あ、や、大丈夫です」
「流石に苛めすぎた。あの子にはファンが多いのは知っていたけれど」

揶揄めいた眼差しに、僅かばかり好意的ではない色合い。どうやら大魔王は、太陽が白百合ファンだと思ったらしい。オレンジか。オレンジの仕返しか。俺の弟に色目遣ったら廃人にするぞ、そんな目だ。
乾いた笑みで乗り過ごす。ファンでも親衛隊でもないが、白百合に下心があるかないか聞かれたら、ある。ありまくる。旅館で暇さえあれば触りっこしてました、勉強そっちのけで。

などと言えば打ち首だろう。

「あの子はたまに質の悪いものを惹き付けてしまうからねぇ」

意味ありげな眼差しにギクリとしつつ、いい加減にしろ、と吐き捨てた院長のお陰で腹黒の興味は無事スライドしたらしい。

「状況を整理するんじゃなかったのか。わざわざこんな所まで乗り込んで来させておいて!」
「付いてきたのは貴方でしょ。お願いした覚えはないのだけれど」
「…可愛くない。年下なら少しは素直になれないのか!」
「おや、私を可愛いと言う人間など居ませんよ」
「冬臣」

学園長の声で、大人げない二人の諍いは終了。恥ずかしげに咳払いなどしている腹黒と、毒々しい顔で睨んでいた院長と目が合えば、途端に院長は笑顔を浮かべた。

「お前がそう甘えるのは奇特な事だが、嫌われるぞ」

どうやら叶長男は、院長限定で子供になるらしい。

「は?あ?叶さん?」
「それは嫡子として育てられた分、甘える事を知らん。…おおよそ、年の近い年輩者に対しての勝手が判らず、迷走しておるのだ」

あからさまに沈黙した腹黒に院長の目が丸くなり、ぷいっと顔を逸らした腹黒の目と太陽の目が合う。
暫し何やら考える様に見つめてきた男の元から着信音が響き、袖口から携帯電話を取り出した彼は切れ長の目を見開いた。
そして、浮かべたのはおぞましい程の、笑顔。

「宮様、ただいま監視から報告が上がりました。ひとまず東雲は急速に書き換えられている株式の買い戻し、現在のところ然程の増減はないと」
「あい判った。何処の監視からだ」
「嵯峨崎財閥会長秘書です」

学園長ではなく太陽を眺めている腹黒の視線が痛い。わざとらしくない様に目を逸らし、手持ち無沙汰からオレンジの皮を剥く振りをする。この壮絶な嫌な予感は何だ。

「坊っちゃんの義理の息子の長男が、二葉と関係しているそうですねぇ。因みに、学園長の義理のお孫さんは、死んだ振りをしてどうやら忍び込んでいる様です」
「…何だと?あれは昔から想像を絶する。貴様、同期の誼で何とかならんのか」
「御冗談を。彼は帝王院学園を恐怖で支配した白百合様でらっしゃいますよ?あらゆる男をその美貌で従わせ、か弱い私は這う這うの体で息を潜めるより他なかかったのですから」
「戯言を抜かしおって」
「…まぁ、主なき叶には眩しい存在であった事は確かですよ」

肩を竦めた叶長男は静かに太陽を眺め、炬燵で頬杖を付いた。

「山田君」
「はい?」
「君、幸せとは何だと思う?」
「は…?」
「私はね、そんなものは必要ないと思うんだ」

助けを求める様に院長を見れば、同じく不思議げな目と目が合う。互いに首を傾げれば、学園長の溜息。呆れている様だが止める気はないらしい。

「誰かの命を待ち、誰かの為に生きてきた。私達には長い年月が築き上げた遺伝子が代々受け継がれているんだよ。だから幸福とは主のものであり、私達には必要がないと思っている」
「必要は、あるんじゃない、ですかねー?」
「問いを変えよう。なら、人の命を奪った者に幸福は必要?」
「え、」

眉を寄せた太陽は然しすぐに目を見開いた。無関心げな眼差しを緩く眇めた腹黒は、唇にわざとらしく笑みを乗せる。

「凄いね君は。二葉から聞いたのかい?」
「…」
「隠す必要はないさ。確かに私の妹、叶貴葉は僅か十歳で死んだ。生きていれば28歳になる」
「…だ、から?」
「ん?」
「だから、叶先輩には幸せになる資格がないって言うんですか?実の兄が。たったそれだけで?…笑わせる」

笑みを浮かべ真っ直ぐ見つめ返す太陽の眼差しは、とことん楽しげだ。何処から見ても楽しくて笑っている様にしか見えない。

「たったそれだけ、かね。人の命は」
「じゃあ聞きますけど、俺には弟が居ます。くっそ生意気でミジンコ程も可愛くないけど、俺がもし弟を守って死ぬ事になればきっと、こう思う。助けられて良かった」

幸せになってくれ。
呟いた太陽に院長の眼差しが潤み、会話の意味は判らないながら感動している。

「貴方は長男の癖に目の前で弟が死にそうだったとしても、見捨てるんですね」
「まさか。弱ったねぇ、ただの質問にそこまで熱く答えてくれるとは」
「…すいません」
「私達の両親は揃って病弱だった。母は17年前、父は21年前に亡くなったんだよ」

白い薄皮まで丁寧に剥いた太陽が二つ目のオレンジに手を伸ばすと、剥き終わったオレンジを遠慮なく掴んだ男は身を分け、一房頬張った。

「あ、れ。21年前?」
「おや、気づいたかな。そう、父は私が中学の頃に亡くなった。英国人で、苦労知らずの坊っちゃんでねぇ」
「ヴィーゼンバーグ、ですよね」
「…困ったな、本当に君は何処まで知っているのか」

本当に困った表情だ。弱々しげな雰囲気に瞬き、どうしたものかと一度目を伏せる。

「俊から聞いたんで、光王子…高坂先輩と親戚になるって。あ、あと、叔父さんにもお会いしました。えっと、確かお母様の、義理の弟さん?でしたっけ」
「…成程、確かに守矢叔父は母の腹違いの弟だ。本来なら嫡子として我が家を継ぐ立場だから」
「そうなんですか」
「そうなんですよ」
「…」
「母が私を妊娠したと聞いて、最後まで出産する事に反対していたそうだよ。何せ母は、家からも布団からも出た事のない、本当の意味での箱入り娘だったから」

もぐもぐ食べ進める男の指を何となく見つめ、どうしたものかと学園長を見れば、微かに苦々しい表情で頷いていた。まるで、この会話には太陽以外口を挟めないのだと言わんばかりに。

「けれど父が懇願したんだ。どうしても産んで欲しい、家族になりたいとね。あの人には、家族が居なかったから」
「え、っと。居なかった、って」
「父もまた妾の子供なんだ」

どう言う意味だろうと沈黙すれば、オレンジを一房摘まんだ指が唇に押し当てられた。見上げ、真顔で見つめてくる男を見返したまま口を開く。
ああ、酸っぱい。

「祖父は入り婿で、ヴィーゼンバーグは祖母の家、と言ったら判るかな?夫婦関係は正に最悪、生粋の貴族である今の女王は祖父を見下していたそうで、祖父は居場所がなかったのだろう。余所に子供が生まれ、体裁の為に祖母は夫の不義の子を引き取った。それが、私の父だ」
「…ヘビーだぜベイビー」
「その後にも何人か生まれたみたいだけど、嫡子の父だけで良かったんだろうねぇ。祖母が他の子供を引き取ったのは、父以外には一人だけ。これは祖父が頼み込んだ様だ」
「誰ですか?…あ、そっか…高坂先輩の?」
「そう。父の義妹は、母親がすぐに亡くなってしまったんだ。だから祖父は頭を下げて、彼女を引き取らせるのと同時に自殺した」
「自っ?!」
「自分の命と引き換えに、とね。妻ではなく女王に文字通り命懸けで懇願したんだ。でなければ、彼女は生きていない」
恐ろしい話だ。何故こんな話を聞かされなければならないのか。

「彼女は男として育てられた。公爵家に女王以外の女性は必要なかったから。そして私が生まれ、文仁が生まれ、待望の女の子が産まれて。父が亡くなり母は心身共に衰弱して、私も文仁も何も出来なかった。ただ、快活で前向きだった貴葉が気弱な母を慰めていたよ。女同士だからと、彼女は遠慮しなかった」
「…」
「貴葉が望んだんだ。弟か妹が欲しいと。母はその言葉に生きる望みを得た。亡き夫の夢、暖かい家族に囲まれた生活を、と」

二つ目のオレンジは剥き掛けのまま。一つ目のオレンジはもう、ない。

「父が亡くなった二年後に、体外受精で四人目の子供を妊娠した。医者は勿論、私達も反対したのだけれどね。貴葉と母が揃って頑固に貫いたから、その内、待ち望む様になって…」

叶の家に恨みがあった人間が妊娠中の当主を狙い、咄嗟に母を庇った快活な娘は、命懸けで守ったのだ。自分が名付け親になった、まだ見ぬ家族を。

「何も出来なかった私と文仁に、幸せになる権利があると思うかね。少なくとも私にはそうは思えない」
「…」
「姉の命を奪い、産み落ちると同時に母の命まで奪った二葉にも、そんな権利はあるのだろうか。誰かの不幸と引き換えの幸福など、矛盾しているだろう?」

どう答えれば正解だろうかと考えたのは、一瞬。

「私には子供を作る機能がない。残念ながら二葉にも祟ってしまったそれこそ、罪の証だと思わないか」
「…」
「因果応報。…私もあの子も、死ぬ時は独りぼっちだろうねぇ」

目の前が真っ赤になった。
ああ…久し振りに見た、鮮やかな真紅だ。
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©Shiki Fujimiya 2009 / JUNKPOT DRIVE Ink.

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