帝王院高等学校

陸章-刻まれし烙印の狂想曲-

刻まれし烙印の狂想曲

今はもう、名を呼ぶ事さえ罪だと思えた。



















失った時に、初めて気づいた。





(苦しいと言える権利は)
(幸福を知る者が持つものだと)
(寂しいと思えるのは)
(真の孤独ではないからなのだと)



(ただ一度も甘えた事のない人間は、)
(甘やかして欲しいなどとは考えない。)





二度と会えないのだと。





(もうこの手の中には戻らないのだ・と)




(今)








夏。
まだ夏であってるか。

開口一番の問い掛けに、白衣を纏う男は呆れ半分、揶揄半分と言った顔だ。

「半日意識がなかっただけだ。然し、師君らしからぬ失態だのう。よもや師君が他人…それもただの子供を庇うとは」
「…年寄りの御託は間に合ってる。手術は」
「幸か不幸か、あの騒ぎで師君の左目に於ける視神経、並びに脳下垂体の一部に破損が見受けられた」

痛みを忘れた体は麻痺させる。

「…道理で、さっきから痛みがねぇな、とは思ってた」
「お陰で麻酔を使わず済んだのは僥倖だった。案じる勿れ、手術は成功、殿下ももうお気付きになられておる」
「そう、か。…ファーストは」
「師君以上の重傷だが、今は何も考えず暫く安静にしておれ。痛感がないとは言え、麻痺しておるだろう」

鏡を差し出され、何の気なく見た鏡像世界。反転した自分の左目が黒い。つまり、右目。
麻痺と言うよりは凄まじい違和感のある手を持ち上げれば、我ながら笑えるほどにミイラ状態だ。蒼い左目を覆い、再び見た鏡像世界の自分は歪んでいる。

「…視力に影響はないんじゃ、なかったのか」
「角膜を差し替えるだけではのう。視力が落ちておるのは手術の所為ではないぞ、ヒーロー殿。師君の片眼と引き替えに、一人の園児が助かった」




それならば、視力などどうでも良い。









晩夏。

漸く全身の違和感にも慣れてきたが、まだ外れない包帯はほぼ全身。

「ねぇ、宿題終わったぁ?」
「まーだー。もう死にたいわ」

風に弄ばれる蝉の死骸を幾つか横目に、ただただ路上を見ている。

「うわ!何あの子、包帯だらけじゃん!」
「ちょ…ちょっと、可哀想だよっ、写メ撮んないのっ。やめなって…」


全ては幻の様に、
(もうこの手の中には戻らないのだと)


「つーかアイス屋の汚い車、見なくなったね」
「あー、明日で夏休み終わるからねぇ」



独り。

(失った時に今、初めて気づいた)
(苦しいと寂しいは、同じものだと。)



 
 








柱時計は既に午前を越えて二周しており、絶えず時を刻んでいた。
自室とは違い、窓一つない地下の檻は白一色。未だ整わない艶やかな吐息を零す濡れた唇、収縮を繰り返す胸元を暫し眺め、掻き抱いていた腰から手を離した。


意思の強い眼差しは瞼の下。
際限なく吼え狂う醜い欲望は脳膜の下。

人は、それぞれに己の何処かを覆い隠す事で形を保つ生き物だ。


例えば今、漆黒の睫毛を震わせる瞼が再び開けば、漸く訪れた刹那の眠りは二度と戻らない筈だ。

辛うじて残る理性で塞き止めた醜い欲が、脳下垂体を狂わせ全ての理性を取り払う。
喰らえ喰らえと唆し、為す術なく滅びよ・と、嘲笑うのだろうか。


己の名も、己の過去も、全ては虚無へ屠られる。



「…安らかな夢を。」

引き抜いた醜い欲望の具現は未だ猛々しく、無防備な体躯の臟腑から溢れる体液は酷く現実味がない。すぐ隣の牢獄に誰が囚われているのか、鑑みずとも明らかだろう。


何も考えていない。
吐き出した己の蛋白質を備え付けのタオルで拭い、上質とは到底言えぬ安普請なブランケットで眠り人を包む。

睦み抱き合う最中、幾度となく強く吸い付いた躯のあちらこちらから滲み出る鮮血を舐め取り、口腔を強かに犯した鉄錆の匂いに今、僅かな実感を得た。



もう、良いだろう。
己の愚かにも貪欲な好奇心は、今此処で跡形も無く消え去らなけらばならない。三度も貪り、果てぬまま終えた一度を除いて二度も、この気高い生き物の肉の奥深くを濡らしたのだから。


もう、何の興味もない筈だ。
未練など知らない。依存など知らない。だから新たな退屈凌ぎばかり探してきたのだ。16年にも渡り、いつか唯一だった全てを喪失して今、淘汰の果てに残ったのが自分。そうだっただろう。


今の胸中には何の感慨もない。
今になれば過去の自分はなんと感情豊かな人間だったのだろうかとすら、思える。
簡易ベッドの脇の床に腰掛けたまま、暫く静かな寝息を聴いていた。窓のない部屋からは空など見える筈もなく、無意識に目を向けている先には天井があるばかり。


どうしても手離さなければならない(言い聞かせて尚、気付けば腕に抱いている)、
どうしても手離さなければならない(殺してしまえば楽になるだろうか)、
そればかり考えて(二度と会えぬ所へ追いやれば逃げる必要はない)、


(ただ)


どうしたら手離せるのかを、考えた事は一度たりとも。
(彼の消えた世界に何の意義があるのか)
(とは、考える。)




「来た、な。待ち兼ねたぞ」

窓のない部屋に唯一の黒い扉を潜れば、鉄格子の向こう、王座に似た椅子に腰掛ける黒髪の男と目が合う。

男はゆったり、不器用な笑みを刻んだ。こんな顔をしていただろうかと考えて、そもそもまともに見るのは初めてだったと今更ながら。


「私を覚えているか、神威」
「…」
「思い出したくもないか。確かにお前には…可哀想な事ばかりしてきた。俺を、恨んでいるだろう?」

穏やかな声音と僅かに伏せられた王者の双眸。
それをただただ無機質に眺めているだけの自分は、最早人間ですらない、動物なのかも知れない。

「16年前も…ああ、さっきもだ。俺は、大空にもお前にも秀隆にも、大切な家族に酷い事を、」
「家族」

口から滑り落ちた声は無機質に、唇が俄に震える始めると、喉の奥から初めて。
そう、18年の人生で初めて、笑い声が解き放たれた。

「何、」
「ははは…ははははは、ははははははははっ」
「神、威?」
「家族。…家族?何度聞いても都合の良い言葉だ。何を以て何を示すのか、畏れながら私には理解しかねます。私と誰が家族だと?貴方と?悪魔と?ああ、それとも、」


壊れてしまえ。
壊されてしまえ。
今はもう、謝罪も贖罪も懐古も戦慄さえ総て。そう、あまねく108に連なる感情の一切が、須く。



(失った時に初めて気づいた所で)
(遅すぎるのだ)







「『死んだロード』と?」



今はもう、祈る事さえ罪だと思えた。



(最後に淘汰したのは、後悔。)













布と布、皮膚と皮膚。
二人分の人間を分かつ隔たりがなければ、喰らい尽くそうと喚く欲の証がその魂を喰らっていた筈だ。

「あ…つい…」

言葉通り、湯気発つ様な吐息を漏らす唇を視ていた。

「そうですか」

これ以上、その唇が言葉を奏でない内に黙らせよう。だから今度は近寄るつもりなどなかったのに。



もう、いつかの二の舞は御免だ。
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©Shiki Fujimiya 2009 / JUNKPOT DRIVE Ink.

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