帝王院高等学校

陸章-刻まれし烙印の狂想曲-

混乱を極めればキャラも変わりまする

「執行部の様子を見てきますので、各自持ち場に戻って下さい」
「承知致しました。時の君は…如何しますか?」

言い難そうに伺う他人に、自分は何と答えたのだろう。ただ、こんな時まで笑みを絶やさなかった事だけは理解した。
納得した様に去っていく他人の気配、振り返り、閉ざされた扉を見やる。壁に預けた肩と頭、静かな廊下の冷たいリノリウムに反射する照明。

あの扉の向こうに居る筈だ。
ロッカーの中、場違いに並んだ古臭いゲーム機器、ちょこんと存在感を放つ畳の間。何処に隠れて、いや、隠されているのか。


「ちっ」

皆を帰して正解だった。
敬愛する中央委員会会計が無表情で舌打ちする光景など、見れば卒倒するに違いない。風紀委員長らしからぬ態度に、何人かは見放すだろうか。構わないとしても、リコールはお断りだ。
何の為に、ただでさえ面倒臭いお守りを抱えた上で、自ら風紀委員長の座を手にしたと思っているのか。

面倒臭い神威のお守りから離れる代わりに面倒臭い日向のお守りを引き受け、尚且つ、当時まだ中央委員会に所属していなかった自分が、来日早々何故、当時の風紀委員長を実力行使で引き摺り下ろしたのか。

知っている。
自分は何処かが可笑しい。初等部の乳臭い子供を偏執的に目で追い、彼が他人に笑い掛ける度、彼が他人に触れる度、彼に誰かが話し掛けるだけでも、何度思っただろう。

消えてなくなれば良いものを。
他人を見つめる彼の視力、現存する全ての他人、他人に語り掛ける彼の声、他人に触れる彼の四肢。そして、そんな事を終始考えている自分。


いつから狂ったと聞かれれば答えは単純、最初からだ。自分は最初から可笑しい。何一つ欲しいものなどないのに。それは今でも。あの、天空に燦然と輝く灼熱と同じ名を持つ人でさえ、手に入れようと思った事はない。
傍に。望めば声を聞ける距離、望めば姿を映せる距離、それで充分だったのに。


触れてしまった。
高が人間如きが。地を這う獣風情が。燃える様な体温に、誰にも触らせた事がないと言う、目眩のする様な台詞を投げ掛けられた場所に。

素手、で。

「…」

何度思い返しても目の眩む光景だ。
触れても嫌がられない、どころか頬を染めて絶えず熱い吐息を零す唇、上下する喉仏、背に回された手、全てが。生身の自分の元に。

譫言の様に熱いと繰り返す唇を塞いだ。一言一句漏らさぬ様に喰らい尽くそうと、彼の唇から零れる全ての台詞を、他の誰にも。そう、自分と言う人間にさえ、与えたくなかったから。

『服従と依存は違う』

手に入れようと思った事はない。
(恋だの愛だの名付けた所で)(依存じみた服従)(何を望めるのか)(革命でも起きぬ限り)(下剋上、と言えば笑い話だ)(相手に認識してさえ貰えていない立場で)

けれどそれは確かにこの腕の中に、あったのだ。
(喘ぐ声が鼓膜を震わせた)(実感が湧かず何処か他人事の様に、現実味のない光景で網膜の浸食を許す)(触りたい、と)(命令調ではなく窺う様に見つめてきた眼差しは常世のものとは思えないほど艶やかに)(色気を漂わせ、自分の様なつまらない人間を誘惑している)

『会長の言うコトだけ聞いて、グレアムの為だけに生きてくって言うの?』
『変なのー。食べたいならー、一口ちょ〜だいってゆったらいいのにー』

情けない。このままでは駄目だ、期限付きの幸福に永久を望んでしまう。自分如きが。



『キスしたい』

姉の命と引き換えに産声を上げた、人殺し風情が。


「…はぁ」

壁に預けていた肩を離し、未練を断ち切る様に見つめていた扉から顔を背ける。兄は確かに苦手たが、彼の近くに居るなら何よりも安全だ。そんな事は初めから、部室の前に刻まれた印を見た時から判っていたではないか。

何も望んでいない、そう、繰り返す様に呻いた。
まるで唸る様に。


「あ、」

螺旋階段を目前に、背後から響いた声は幻聴だと本気で思った。反射的に振り返り、その姿を目にしてまだ、幻なのだと。
往生際が悪いにも程がある。

「先輩、すいません」

近付いてくる。これが自分の願望がもたらした幻でないとすれば、彼自ら。

「ちょっと俺、いま物凄く混乱してて、何かもう頭の中が破裂しそうなんですけど」
「おや、そうは見えませんが」
「ふゆゆに頭突きカマしちゃったんで、後で謝っておいて下…あ、や、俺が謝らなきゃいけないんです。やっぱ今のなしで。さっ、急いで行きましょう、追っかけてきたら死ねる!」
「…ふゆゆ?まさか、兄に頭突きをした、と?…君が?」

何の特徴もない平坦な顔だと、酷評したのは日向だったか。黙れ不細工、と吐き捨てたいのをどれだけ我慢した事か。

「あはは…ちょっとムカついて」

そんな理由であの男に頭突きをした、と?そんな馬鹿な話があろうか。裏社会の人間が恐れる竜神を、こんな子供が。

「は…」
「それよりももっと大変な事が…いやいや、これはとても言えない、エレベーターはあっちか、もうやだ、楽しい新歓祭の筈なのに」

ぶつぶつ呟きながら手を握られて、ぼんやりと前を行く背中を見た。やはり幻なのだろうか。でなければサービスが豊富過ぎる。今日二度目だ。ああ、手袋などするんじゃなかった。


「おへぇ」

エレベーター、中に入った背中に顔を埋める。
奇妙な声を放つ気配に笑い、襟足を鼻先で掻き分けて、髪の生え際に口付ける。やはりこれは幻だ。だって叱られない。
汗ばんだ皮膚の匂いがする。今夜はゆっくり風呂に入る時間さえ惜しい、浮き足立った雰囲気が学園中を包んでいるから。浮き足立った家畜が主人の手を噛む事も、あるのではないか?

例えば、うなじに噛み付き吸い付いて、ビクッと大袈裟に震えた体躯に気付かない振りをする、誰かの様に。

「えーっと。…あー、やっぱ混乱してるのかなー。もう駄目だ、…とんだ変態さんだよ俺って奴は…」

呟きと同時に振り向いた小さな体が、繋いだ手をやはり女のものではない力で引いた。
油断した訳でもないのに何の抵抗もなく傾ぐ己の体、視界一杯に情け容赦なく写り込んだ人はトンっとエレベーターに背を預け、眼を閉じている。

反射的に伸ばした左手が、太陽の頭の隣、冷たい壁に押し当たった。
屈み込む様に曲がった己の背中、右手は繋がれたまま、何が起きているのか確めるにも、声を奏でる器官は塞がれている。艶やかな睫毛は伏せられて、眼を見開く二葉の眼鏡に触れているのが見えた。

「…は、」

短い吐息と共に眼を開いた人の茶の双眸を前に、繋がれていた右手を振り解いた。そのまま最早無意識で手袋を噛み外し、大気に触れた指先を濡れた唇に押し当てる。

「何、した」
「え」
「今、何したの」
「な、に…って、え?そこで聞きますか、それを俺に答えろと?えっと」
「ああ、やっぱ良い。今更違ったとか言われても無理だし、つーか俺の思い違いだったら立ち直れないから黙って」
「ちょ、何かキャラが…んっ」

持ち上げた顎、無防備にも開かれていた唇に噛み付いた。


「ふ…っ、ん!っ、た…っ」

余裕なく喰らい付いた証に、太陽から漏れた痛がる声音、身動ぐ腰を壁に押し付けた刹那、錆び付いた血の味が掠める。
竜神にさえ刃向かう勇ましい人の体躯を押し付ける様に屈み込み、何の抵抗もなく従順なまでに素直に、座り込んだ足を持ち上げた。

奇跡だ。
膝に乗せる様に腰を引き寄せ、掴んだ顎をもっと深くにと強く押し上げて、尚。叱られていない。

首に腕が回される気配まで幻だとしたら、絡めても逃げない舌は何だろう。思い込みだとしたなら随分、生々しい感触だ。これは革命だろうか、服従に飽きた家畜の下剋上だろうか。

「…切れてしまいました、ね」
「ふ、ぅ。はぁ…は…」
「手当てしましょう」

我ながら呆れる程に馬鹿馬鹿しい。






この世には矛盾ばかりが息吹いている。
息を潜め虎視眈々と、人が罪を犯す瞬間を待ち構えているのだ。


例えば血の繋がった兄妹が愛し合う事を、禁忌と倫理は唱える。然し二人の間にもしも子を孕めば、同じく人の紡いだ倫理はこう言うだろう。産まれてきた子供に罪はない。


ならばどちらが正しいのかと迫られた時、答えを持つ者など居ない。ありふれた日常に棲まう矛盾こそが倫理的に生きる事を強いられた人の枷を壊し、罪を犯させるのだ。


私は考えている。
禁忌を肯定する方法を。そして否定する。己が犯した過ちから眼を背ける事を。

一度罪を犯せば幾ら重ねた所で同じ事だ。
一度だろうが二度だろうが、償おうが逃げようが、何の変わりもない。



昼だろうが夜だろうが、宇宙に違いがない様に。
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©Shiki Fujimiya 2009 / JUNKPOT DRIVE Ink.

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