紅き黎明の花嫁

未だ視ぬ海の果て

1.フィリス永世中立国

その日早く届けられた一通の書簡で、白亜の宮殿は騒然一色に染まる。

北方に点在する群島諸国の一つ、聖地バルハーテを首都とするガヴァエラ皇国出身であるフィリス王妃は、その書簡に記されたけして長いとは言えない文章を何度も読み返すと、北方独特の白亜の美貌から血の気を失わせた。


「バルハーテの神は、何と言う酷い試練をお与えでしょう…」

信仰深い王妃はその言葉を最後に崩れ落ち、民から愛される国王は王妃を抱き抱えながらも狼狽頻りだ。

「エリシア!しっかりするんだエリシアァアアア!!!」
「陛下、お妃様を早くロウゼン先生へ!」
「ああ、ああ、そうだ、そうだとも。愛しいエリシアよ、すぐに助けてやるからなァ!」

若い臣下の言葉に今にも泣き出してしまいそうな表情を引き締めた国王シャナゼフィスは深く頷き、王妃エリシアを抱え直すと国一番の名医を求めて駆け出していく。
常に冷静沈着で国一番の物知りと名高い宰相ザナルは、齢80を越えているとは思えない溌剌とした表情に珍しく深刻げな色を滲ませていた。その手にはエリシアが倒れた原因であり、シャナゼフィスが放り捨てた一枚の書面がある。

「誰か、至急ベルハーツ殿下を呼べ」
「はっ、直ちに!」
「ベルハーツ=ヴィーゼンバーグ、此処に推参致しました」

ザナルの言葉で踵を返した兵士は、今し方国王が駆け抜けていった戸口に佇む見目麗しい青年の姿を認め平伏した。
光を纏う美貌には涼やかな微笑が滲み、僅かに首を傾げた青い瞳は真っ直ぐ大臣へ注がれている。

「居ったのか、ベル王子」
「いえ、偶然通り掛かっただけですが、何やら騒がしい様子だったので。また父上に何かありましたか?
 物凄い勢いでエントランスへ走り去る後ろ姿を見送りましたけど」
「王妃がお倒れになったのだ」
「母上が?」

僅かばかり見開かれた青い瞳は優雅に腕を組み、暫し明後日の方向を見つめ、


「おや、甲斐性無しの父上がとうとう浮気しましたか、ああ愉快。大丈夫ですよザナル閣下、俺が居る限り兄さんにはお腹を空かせて泣き暮らす様な悲惨な思いはさせません」
「それが息子の台詞か」

眩いばかりの微笑みで国王を罵倒する息子に、ザナルの呆れた溜息が漏れる。

「陛下がどれほどエリシア様を愛しておられるか、お前達が一番承知しておろう」
「まぁ、突発的事象に弱い父上のそんな所に惚れた母上は、俺に似て賢くて俺に似てどうしようもなく美人ですからねぇ。側室を迎えようにも其処らの美女では霞んで見えてしまうでしょうからそれはそれで愉快な話だと思いますが同情はしませんよ、ええ」

果てしなく罵り倒すつもりらしい美貌が淀み無く言葉を紡いでいる様に、唖然とする臣下達は然し陶酔の表情で光に愛された美しい王子を眺めていた。

「好い加減にせんかベル殿下、事態は極めて深刻なのだぞ」
「ええ、存じ上げておりますよ。閣下の手に愉快な国の刻印が見えていますから。」

眉間の皺を揉み解している老人の逆の手を一瞥し、微笑を皮肉げな笑みへ擦り変えるベルハーツは、そうしているとまるで悪魔の様にも思える。
けれどその秀麗な容姿が見る者の網膜を惑わし、天使と錯覚させるのだろう。

シャナゼフィス誕生前からフィリスに仕えているザナルにとって、孫とも言える存在であるベルバーツの本性は重々承知の上だ。
どんなに好青年然した化けの皮を被っていようと、まるで効果が無い。と言うより全国民がベルバーツこそ真の悪魔だと知っているのだが、古今東西完璧な優等生よりも少々粗悪な方が好まれる傾向にあるのだろう。


「ふん、大陸の覇者ラグナザードが、伝統工芸と豊富に採れる果物で細々と生活している我がフィリスに何の用件ですか」
「用件ではなく、ほぼ命令だな。我々に拒否権は与えられとらん」
「…でしょうね」

つかつかと革靴の音を響かせザナルの手から紙を奪い取ったベルバーツは、それに記された文章をまるで汚いものでも見る様な目で流し読み、鼻で笑った。


「『黎明自衛団』を戴冠式にご招待します、ねぇ。…まぁ、こんなに丁寧な文面ではありませんけど。堅っ苦しい文章で嫌になりますね、俺はこう見えて左脳主義ですから」
「巫山戯けておる場合か。末尾に記された名は、彼の『魔王』だぞ」

書面の最後に綴られたスペルを一瞥し、唇の端を吊り上げた。

「3年前に我が国へ攻め入った事なんて忘れてしまったのでしょうか、物忘れの激しい宰相様は。あくまで自衛団呼ばわりするなんて、流石の俺も不愉快ですよ」

世界最強と名高いラグナザードは、東の最果てである小さなフィリスとは真逆に世界の中央にあるとされている最も大きな帝国で、帝国人を俗にラグナークと呼ぶ。
水と緑豊かなフィリスに反し、最も栄えている機械文明のラグナザードは大都会と言えよう。
元々大きな国だったが、特に先代皇帝レヴィナルドが好戦的な性格だった為に、周辺諸国は次々にラグナザードの陣門へ下っていった。現在世界の約八割がラグナザード領であると言っても過言ではない。


然し覇王と謳われた皇帝レヴィナルドも近年床に伏し、闘病虚しく先月遂に崩御したと聞く。
レヴィナルドには正室側室併せて十名の妻が居たそうだが、生まれた子供は王位継承権を有す嫡男二人だけだ。


その皇太子兄弟が、3年前レヴィナルドと共にフィリスを襲撃した。


「新皇帝の即位となると、やはり以前から有力視されていたフェインでしょうねぇ」

見るのも腹立たしい親書にはこう記されている。



玖代ラグナザード皇帝ロード=レヴィナルド急逝の喪明け近しい折柄、次代皇帝を据える戴冠の儀を執り行う旨、此処に全大陸へ報せる。
尚、フィリス永世中立国に於いても新皇帝誕生を祝福すべく、以下の者の召喚願い奉る。



黎明自衛団101代総帥
 金色を纏いし紅の精霊閣下 殿



本国はこれを公式の招待とし、フィリス永世中立国の参列を陛下以下一同が歓迎する。



ラグナザード中央議会宰相
 ジークフリード=スペリウム




宰相ジークフリード、神帝に従う魔王と名高い男の恐らく直筆だと思われるサインを最後に、到底友好的とは思えない文章は途切れた。

「然し、敵ながら天晴れなほど流暢な字を書きますねぇ、魔王の癖に」

現ラグナザード宰相は、第一皇太子フェイン誕生の翌月に王妃の元へ授けられたレヴィナルドの次男である。然し9代皇帝レヴィナルドは王妃の子ではなく、侍女だった側室の子を跡継ぎとし生涯譲らなかった。
異論を唱えた王妃は大陸の北の果てに身柄を移されたと言うが、その実レヴィナルド自身の手によって処刑されたのではないかと噂されている。

「正当な王妃の元に生まれた身の上なら、兄さえ居なくなれば皇帝になるのは自分だとか考えないのでしょうか」
「それはそなたの経験によるものか?」
「まさか、俺はもう全く考えた事もありませんよ。兄さんがフィリス王になろうがなるまいが、残ったどちらかが強制的にバルハーテへ左遷されるんですから。
 ああ、考えただけでおぞましい。…いっそフィリスもガヴァエラも潰してしまおうかな」
「民主主義のフィリスと実力主義のラグナザードでは、根本的に相違しておる。十番目の側室に漸く出来た長男坊はこのフィリスまで名が轟く男だが、3年前のあの最中では我が軍を地獄の手前まで陥れた、正に『神帝』だ」
「神帝、ね」
「如何に魔王であろうと、相手が悪い」

大陸とは名ばかりの島国であるフィリスは、初代国王の取り決めで最低限の外交を除き他国へは一切干渉しない。
現国王がバルハーテの女神と謳われたエリシア王妃へ再三の求愛をしたのは記憶に新しいが、それがなければ現在唯一の友好国であるガヴァエラとの親交も実現しなかっただろう。

それ程フィリスは閉鎖的環境下にある国だが、だからこそ自衛の為にほぼ全男子が武道を学び、成人した後に戦士として所属される王国直属部隊が遥か昔から存在している。



平和なフィリスで彼らが初めて出動したのは、3年前だ。



「さて、どうしたものでしょうね」

緋色の隊服で身を包むベルハーツは、一度曖昧な笑みを浮かべて一人掛けのソファへ腰を預けた。長い足を優雅に組んで、天井付近にある硝子細工の窓から差し込む陽光にその書面を掲げ、大陸の覇者を示す刻印を暫し眺める。
そう長いとは言えないこれまでの人生に於いて、一度だけ恐怖を感じた男の姿を思い出した。


銀に輝く長い髪は神々しくも人知を越えた威圧感を放ち、纏う黒鉄の鎧と顔を覆う銀の面から覗く紅玉の双眸が与えてきた圧倒的な絶望感。あの男こそ、前ラグナザード騎士団団長であり次期皇帝ルーク=フェインだと、嫌でも判る。

「代替りの事後連絡以外、黎明騎士団の内部情報は一切他国へは知らされていないが…金色を纏う紅の精霊などと言う比喩にならん指名は、…ほぼ確信しておるのだろう」

黎明騎士団の正規騎士に与えられる服装は、黒地に金糸で刺繍が施されているものだ。
その中で、緋色の詰め襟を纏えるのは代々、団長・副団長に任命された人間だけである。


「黎明騎士長である俺は、新たな皇帝陛下に余程恨まれている様ですねぇ」

3年前の悪夢で初めて出陣を果たした黎明騎士団は、幸いにも死者ゼロでラグナークを退却させる事に成功した。
王族は民衆、性別の境なく望む者は全て戦士として主君へ仕える事が出来るフィリスで、あの戦争はラグナザードへの畏怖を明確にしただけに限らず、有って無いに等しかった黎明騎士団の名を確固なものへさせる事となる。

その後も、ラグナザードへ続けとばかりに多くの傭兵や名も無い国の刺客達がフィリスへ牙を剥いたが、現在に至るまで宮殿へ踏み込んだ者は居ない。

「軍を率いて先陣を翔けた殿下が、奴等にとって類を見ない脅威に映ったのだろう」
「3年前追い返せたのは奇跡としか言えません。幸運に見舞われただけです」
「フィリスの太陽神さえ従わせる強運も、実力の内ではないか?」

穏やかだが敵とみなした相手へは情け容赦無く騎士団を動かすシャナゼフィスの名に於いて、3年前とはまるで変わった戦士達は今やラグナザードの騎士団に並ぶ屈強さが謳われている。
それは騎士団長ベルハーツの尽力によるものが大きい。

「どうせなら灼熱の業火で焼き殺してくれれば良かったのに…。気が利かない神様だ」
「罰当たりな事を仰せになるな、兄君でもあるまいに」
「兄さんなら『んなもん、とっとと蹴り殺せ』くらい言いますよ。過激な人だから」
「然し、それが本音ではございますな。ラグナザード領ではないが、南のストラや群島諸国の出席は確実だ。向こう方の思惑は判らんが、サロム法王が赴く席に我らが欠席を示せば、」
「フィリスはともかく、お祖父様が苦しい立場に立たされてしまうでしょうね。最悪、その場でガヴァエラ法王を処刑する…なんて言い出しかねない」
「考えたくもないが、神帝フェインが即位するとなると覇王レヴィナルドの時代とは比べものにならん混沌期へ全世界は陥るだろう」

ガヴァエラ皇国法王サロムは、エリシアの実の父だ。本来ならば一人娘のエリシアが婿を取り次期女王としてガヴァエラ皇国を治めるべき立場だったのだが、シャナゼフィスの人柄に惚れ込んだ法王の意向でエリシア王女はフィリスへ嫁ぐ事を許された。

堅物で知られるサロムだが、孫には甘い。今では二人も授かった孫のどちらかが跡目を継いでくれると豪語し、それまで現役は譲らないと息巻いている。

「弱りましたね。俺がとっととラグナザードへ殴り込んで、フェインの首の一つや二つ切り落とせれば万事解決なんですが…」

さらりと爆発発言を落とした光の王子に流石のザナルも言葉を失い、兵士達は益々尊敬の眼差しで己らの上司を見つめた。
然し、黎明騎士団の『悪魔』と名高いベルハーツの表情は何処となく優れない。

「不用意にその様な事を口にするではない」
「フィリスで二番目に強いこの俺なら楽勝に決まってます、ええ完璧です。3年前の様な不手際は二度としませんとも」
「あのな、ベル殿下…」
「然し、そうなると俺は嫌でもこの国を離れなければならない…」

ベルハーツ=ヴィーゼンバーグ、本来彼はどうしようもなく自意識過剰で自信家で利己的な男だ。世界最強の帝国だろうとその気になれば握り潰せるに違いないと考える彼は、それを納得させるに相応しい剣技と軍師をも越える知力がある。
それなのに躊躇っている様子を見せるのには、彼にしか判らない深い訳があった。

「留守はストルムやカッツィーオがベル殿下の代理を立派に務めましょう。陛下の国務ならば、僭越ながらこのザナルがご支援致す次第。殿下には何の心置きなく黎明騎士団101代総帥として御出発願いたい」

お前なら警護を付けなくても無傷で帰ってくるだろうよ、と言う副音声は心の中だけに秘めるザナルの滅多に変わらない厳格な顔を横目に、



「冗談はやめて下さい」

秀麗な青い眼差しが冷たく輝いた。


「俺が居ない間、我がフィリス至宝の妖精である兄さんを一人にする訳には行きません。かと言って連れていくなんて以ての外です、ああどうしよう」
「……………妖精…」

とうとうフィリス宰相ザナルが眩暈を覚えたその時、






「ひーーーなーーーたーーーーーァ!」



遥か上から凄まじい音と共に何かが落ちてきた。
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©Shiki Fujimiya 2009 / JUNKPOT DRIVE Ink.

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