紅き黎明の花嫁

唯一神の住まう玉座

声無き祈りは森羅万象へ

この数日、全部が全部落ち込んで過ごした訳ではない。
女性に囲まれるカイは、然し連れて歩くと俊目当ての男が寄ってこなくなる為、時折ふらっと外出する以外は黒煎茶一杯でぼーっとしているだけのカイを引っ張り、シエスタ中を歩いて回った。

富裕層ばかり暮らすシエスタの人間は、何処かフィリスを思わせる穏やかな表情をしている。然しそれも上辺だけのものだ。
聞き耳を立てずとも貴族の醜い争いや、中央区に次ぐ都市であるが故に他区を嘲笑する声を聞ける。比較的一般階級にある宿屋の従業員でさえ、隣区ガルマーナを毛嫌いしているらしかった。貧乏性の俊からしてみれば、寧ろガルマーナの人間の方が親しみ易かったと思う。

シエスタの住人はそれぞれ階級意識と言うものがあるらしく、故郷の英雄だけではく第一皇太子派・第二皇太子派と言う派閥もあった。
フェインこそ皇帝に相応しいと広場で演説する若者、聡明にして王妃の息子であるジークフリードこそ真の皇帝だと謳う老人。実に様々な人々を目にしたが、両者の派閥が啀み合っているだけで、当の皇太子兄弟は実に仲睦まじいのだとフォンナート派の女性が話していたのを覚えている。

前皇帝在任時には、皇太子兄弟はどちらも幾度となく命を狙われていたらしい。正妻である前王妃の子息を推す元老院の画策により、フェインの方が弟皇太子より危険な立場にあったと言う。
然し数年前に過激派閥は一掃され、宰相として遺憾なく手腕を発揮しているジークと戦場を真っ先に駆けるルークの組み合わせは国民の誇り、と言う見方が現在の主流となっている様だ。


少なくとも、貴族以外には。


「中央議会の方々だわ!」
「月条旗に光あれ!」

世間話には全く興味が無いらしいカイも、時折少しだけ教えてくれる様になった。
始めの夜はピヨンと共に寝室へ押し掛けると呆れた様な目を向けてきたが、今では寝る時間になると舟漕ぎを始めるピヨンを鷲掴んでさっさと寝室へ入ってしまう。遠慮など知らない俊は、宿屋のテラスから見える広場に設置された大型映写機に毎晩放映されている映画を、悠々自適にエンドロールまで観てから、カイの寝室へ忍び込むのだ。
一人では十分広いベッドも二人と一匹では随分狭い。三日目には寝室が三つもある一番豪華な部屋に移っていた。宿屋の看板娘の好意だが、明らかに彼女もカイの美貌に目が眩んでいる一人だ。何かと部屋を訪ねてくる彼女が頻繁に起こしに来てくれるのは有り難いが、カイが居ないと目に見えて落胆するのは勘弁して欲しい。居たら居たで、正面からカイの美貌を見られないらしく、不自然に俊の方ばかり見つめながら話し掛けてくる。全く相手にしないカイの代理でどうでも良い話ばかり聞かされる俊の苦労はかなりのものだ。

『歩いていけねェのかなァ、セントラル』
『不可能だ。中央区の境界には150メートルの壁がある。許可を得た飛行船、並びに鉄翼車以外は空路通過も認められない』
『マグネスカレーターには乗れるんだろ?』
『降車には許可証が必要だ。俺達の滞在理由を忘れたか』
『…そうでした』


夢見ていただけだ。
絵物語でしか知り得ない外国に。海と森で囲まれた小さな島国で育った生き物は、空に憧れる飛べない鳥の様に夢見ていただけだ。


こんな事になるなんて、ただの一度も。


「はいはーい、俺様の可愛い下僕達。面倒臭いお仕事でわざわざやってきた俺様の邪魔すんじゃねぇぞー?魔王から怒られんのは俺様なんですからネー」

ガイドブックで見た、金髪褐色肌の琥珀色の瞳を持つ美貌。留め具を全て外した白い上衣からは無駄のない褐色の胸元が覗き、如何にも気怠げな台詞を吐く口元の黒子が酷く目を引く。

「少しは真面目に取り組め、馬鹿者」

カイの黒髪に良く似た、けれど全く違う灰褐色の髪とサファイアの双眸を持つ美丈夫が続いて降り立った。
グレイブの他を隔絶した威圧感を携えた雰囲気、孫には甘いガヴァエラの祖父が一度だけ激怒した時の威圧感を思い出したが、それすら可愛いものに思える。グレイブが祖父と同等の存在感であると言うなら、もう一人の男は人間を越えている様にしか思えなかった。

「何だ、アイツ。…日向よりヤベェ匂いがする」

ジークフリード=スペリウム。フィリスへ手紙を出した男。総ての原因。
囁きは人が発てる喧騒に容易く呑み込まれ、自分の耳にさえ届かない。

ふと、青鋼玉の瞳がこちらを見た様な気がした。
何処か驚いた様な表情を浮かべた様に思えたが、それを確かめるより早くグレイブによって命じられた軍人達が引き摺って来た男の姿を認め、やはり見間違いではなかったのだと音にならない悲鳴を喉元で掻き殺す。

「はいはーい、ご注目ー。此処に見えるは先日セントラルで捕えた不法入国者だ」

グレイブの間延びした声が響き渡り、その背後に、拷問直後だと一目で判る無残な風体の、男。
引き摺られる度に舞う白茶色の髪が、嫌悪を隠さないエメラルドの瞳が、衆人環視の元に晒された。

「な、んで…」

声にならない問い掛けが届く事はない。むやみやたらに神へ祈りたくなったが、こんなに近くに居るのにその瞳が自分を見る事が無い距離に絶望した。
銀髪蒼眼など、街の風景の一つとして認識しているのだろう。


「この男はフィリス国籍のリヒャルト=ロズシャン。然し不法入国はコイツだけじゃないと言う情報を、既に中央議会は掴んでいる。今から発表する人間をラグナザード全土で指名手配犯とし、超一級警戒体制を強いて市民一同の尽力を求めたい。良いか!」

眼球が熱い。
心臓が煩い。
喉が渇いた。
鼓膜が痛い。
皮膚の下が、痒い。

「ルーク=フェイン陛下を亡き者とせんが為、フィリス王族であるベルハーツ=ヴィーゼンバーグがラグナザードの地へ踏み込んだ!」

煩い。
人間の騒めきが酷く耳障りだ。
黙れ。
その汚い手でリヒャルトに触るな。

「賊は三年前我らへ刄を向けた黎明自衛団の頭角だ!下手に庇い立てる奴はサブリナ監獄にブチ込むからな、覚悟しとけや!」


黙れ。
黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ、



「…耳障りな喋り方をするな、貴様は」

嘲笑を宿した静かな声音が、けれど自棄に響いた。表情を消したグレイブが振り返り、拘束具を付けられて尚勝ち誇った表情を変えないリヒャルトの冷酷な翡翠の瞳を、それ以上に冷めた目で見下す。

「聞こえなかったなぁ。もう一回言ってみやがれ」
「私の前から消え去れ蛮族、耳障りなだけでなく目障りだ。それともその腑抜け面、この私の手で切り落としてやろうか…?」
「…テメェ」
「控えろフォンナート、目に余る」

くつくつ肩を揺らすリヒャルトを蹴り付けた琥珀の瞳が、隣の男の言葉で舌打ちを零した。


 リヒャルト
 リヒャルト


声にならない呼び掛けを何度も繰り返す。今すぐ金髪青眼の姿に変われば目立つだろう、気付いてくれるだろうか。緋色の服も手放した、指輪は宿の寝室に置いてある、これでは到底ベルハーツと信じては貰えないかも知れない。

意味が判らない。
何故不法入国になるんだ。
アストリアレイクで手続きは受けた。役人から貰った労いの言葉も覚えている。なのに、どうして。


『ラグナザードはフィリスみたいな平和な国じゃねぇ。資本主義、なんて殆ど建前だ。皇帝が統べる玉座だけが真実、上が黒と言えば白も黒になる─────愉快な国だよ』

フレアスロットの台詞を思い出した。
ああ、何が愉快な国だろう。判らない。

「リヒャルト」

漸く。灼け付いた喉から小さな言葉が零れ落ちる。遠くから近付いてくる小さな羽音を聞きながら、誰かの呼ぶ声を聞きながら、グレイブを睨み据えていた横顔が小さく笑むのを確かに見たのだ。


「『おはようございます殿下。今日は随分お洒落をしてらっしゃいますね』」

聞き慣れない言葉を口にするリヒャルトに人々は騒めく。それがフィリス語である事を知っているピヨンが、人語を理解するニャムルとは思えない甲高い喚き声を上げながら近付いてくるのが判った。

「テメェ、何ほざいてやがる!」
「『頬にお米の粒が付いてますよ。ちゃんと食事は出来ていたんですね、安心しました』」

だから決して悟られてはいけません、貴方だけでも逃げて下さい、と。
言外に伝えてくるリヒャルトの瞳が、身動ぎを封じてしまう。今、迂闊に出ていけばリヒャルトは勿論ピヨンも、一緒に居るカイでさえ危険な立場になってしまうかも知れない。

暴動を起こしたノイエでさえ処刑されるのだと皆が噂している。皇帝の命を狙う外国の王族など、嬲り殺しに遇うのではないか。

「『私が必ずお救いして差し上げますから、今暫く耐えて下さい』」

何をしているのだろう、自分は。フィリスの中でも外でも、こんなにちっぽけな存在でしかないなんて。
満足に街中も歩けない、宿も一人では泊まる事が出来ない、たった数日の食事にだって、カイが居なければ事欠いて。今頃、本当に野垂れ死にしていたかも知れなかったのに。

「『太陽神の絶対なる慈悲と加護を、我が主に』」

胸ぐらを掴まれても揺さ振られても殴られても微笑を絶やさず異国の言葉を紡ぐ男に、漸く辿り着いた黄金のニャムルが真っ直ぐ向かおうとするのを。俊よりも早く別の手が止める。
翡翠の瞳が僅かに見開かれた。リヒャルトの胸ぐらを掴んでいたグレイブが何かに気付いたのかこちらへ目を向け、同じく驚愕を浮かべた琥珀の瞳で凝視してくる。

「『おや…、お友達が出来たんですね、殿下』」

酷くゆっくり見上げた先に、表情の見えない美貌があった。

「シェイド!お前こんな所で何してやがんだ!」

円らな瞳に涙を目一杯浮かべ、異国の軍人達をシャーシャー威嚇するピヨンを小脇にしたカイが、然し鋭い眼差しでグレイブを見つめている。

「…これは何の騒ぎだ、ジークフリード閣下」

カイの視線の先を追い、出会った男の顔に息を呑む。似ている様な気がしたのだ。何処となく。

「我が月宵騎士団が誇る師団長が、珍しい所に居るな。流石に驚いたぞ、仕事はどうした」
「その男がフィリスの黎明であるのは、誠か」
「悪いが、騎士団長如きに答える義務はない」

凍り付く様なカイの視線を受けながら、肩を竦めただけで終わらせるジークはその背後に見える銀糸を認めて僅かばかり唇を吊り上げた。

「そちらは?随分毛色が違うのを連れているじゃないか。ふ、神帝陛下が見たら何と仰せだろう」
「シェイド!テメェ、陛下はどうした?!テメェは皇帝直属騎士だろうがっ」

背筋が凍る音を聞いた気がするのは、幻聴だろうか。見上げた先の男が酷くゆったりこちらへ紫の双眸を向けるのを、視ていた。


「お前、フェインの騎士、なのか?…嘘だよな?」

随分表情を現す様になった、などと悠長な事を宣う余裕はない。眉を寄せ口籠もる美貌の胸元を覆う鎧を力なく叩き、笑いたくもないのに笑ってしまう唇をどうする事も出来ずに。同じ問い掛けばかり繰り返す。

「は、はは、嘘だよな?だってお前、毎日毎日黒煎茶ばっか…剣なんか、飾りみてェにさァ」

いつも無関心そうな顔をしながら、それでも律儀に街の散策には付き合ってくれた。
判らない事があれば言葉少なに教えてくれて、金や権力ばかりが全てではないと、貴族にも派閥争いにも興味が無さそうに見えたのに。

「フェインの騎士、なのか?だったら、アイツ、離してやってくれよ。なァ、別にイイだろ、王様だって、自分の騎士がお願いしたら、断んないんじゃねェの?」
「…」
「なァ、何でもするからさァフェインに会わせてくれよ。あ、あんな酷い事すんのやめてくれよ、アイツが何したっつーんだよ、なァ」

瞼が重い、眼球が熱い。
左耳には充電切れの耳飾りが煌めいているのだろう。使い捨てだから充電が切れたら新しいものをあげます、リヒャルトはそう言った。
いつも同じ装飾品では馬鹿にされますからね、沢山造って来ました。徹夜明けの赤い目元に微笑を滲ませて、ラグナザードへ行くと告げた時も迷わず付いていくと言ってくれた男。

「カ、イ」

神様。
神様。
神様。
神様には届かないなら、敵国の皇帝に祈ります。どうか、どうか。


「リヒャルトを、助けてくれよ」

何でもするから、神様。
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©Shiki Fujimiya 2009 / JUNKPOT DRIVE Ink.

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