紅き黎明の花嫁

唯一神の住まう玉座

後に語る総ての幕開け

「ジーク!」

凄まじい音を発てて執務室のドアを蹴り開けた男は、エルボラスの様なウルフヘアを乱雑に掻き上げながらズカズカ入ってきた。
中央役員を示す長い白地のコートを褐色の素肌に羽織っただけの、酷く雄々しい姿はいつもの事だ。

「何だ、騒々しい」
「俺様に何の断りもなくどう言う了見かお聞かせ願おうかぁ、ジークフリード宰相閣下」

ばんっ、と机上を叩いたグレイブ=フォンナートの酷薄な笑みを一瞥し、手元の書類へ目を落とす。苛々した様子のグレイブがその書類を凪ぎ払ったのは直後だ。

「仕事の邪魔をしに来たのかお前は」
「何でロズシャンを拘束した!テメェは陛下の許可なくフィリスとヤリ合うつもりかよ!」

今日知ったばかりの事実に怒り狂うグレイブへ、漸く姿勢ごと目を向けたジークフリードが万年筆から手を離した。

「陛下には報告済みだ」
「んだと?」
「カルマを飛ばした。あれに見付けられないものはない。例え自由奔放な兄上だろうが、な」
「…ちっ、お気に入りのカイザーニャムルかよ」
「カルマをただのニャムルと言うな」
「ニャムルなんざみんな一緒だっつーの。で、陛下はヴァルヘルムに居るのか?」
「ああ、カルマが言うにはグランエスタで発見したと」
「何でまた12区…」
「遊園地か花街かに用があると思うか?あの陛下が」
「…女なんか買う必要ないでショーよ」

意気を削がれたのか溜息を吐いたグレイブが金髪を掻き、然し落ち着きなく体を揺らす。ただの黎明騎士ならまだしも、フィリス宰相ザナル=ロズシャンの息子を拘束したとなれば国問題だ。
然もリヒャルトは単身でセントラル入りしていたらしい。

「で、ジェノ・ウェ・ポートで見付けたベルハーツの偽物だかは、何処に行ったんだ」
「別行動をしているとしか口を割らん。今のところ文字通り拘束しただけだからな。まだ手は出していない」
「はっ、…やんならとことん。生温ぃんだよ、軟禁なんざ」

ぺろり、と。
粗野な仕草で唇を舐めた男が踵を返す。万年筆を再び握ったジークフリードが微かに唇を吊り上げ、


「精々殺してくれるなよ。英雄殿」
「了解、─────魔王様。」









「お客さん、騎士様がお待ちですよ」

ちゅんちゅん、小鳥の囀りを聞きながら目覚めたと思えば、鼻提灯を膨らませる綿毛のドアップがあった。
決して広いとは言えないベッドを覗き込む女性を暫し眺め、脱ぎ散らかした自分の服を見るなり飛び起きる。

「きゃぁっ」
「うわ、わわわっ、ごめん、大丈夫、下は履いてる!」

下着一枚の姿にシーツを慌てて巻き付け、悲鳴を上げた割に目を反らしていない中々手強い女性にへらりと笑えば、隣に寝ていた筈の、と言うよりこの部屋の本当の借り主の姿がない事に気付いた。

カイがいつの間にか居なくなるのはいつもの事だ。

然し毎朝毎朝起こしにくる女性は違えども、男の裸体から目を反らさないのもいつもの事だから堪らない。恥ずかしさの余り泣きそうになるのはこっちの方だ。

「あー、えっと、俺の連れが何処行ったか知ってる?つか、…出来ればあっち向いててくれるとすこぶる着替え易いんですが。裸体に自信が持てなくて何かすいません」
「ああ、私ったら。うふふふ。騎士様でしたら明ける前にはお目覚めになって、今は下の食堂にお見えですよ。街のお嬢様方に囲まれておいでです」

またか、と半ばうんざりしながら起き上がる。シエスタに腰を休めて早一週間、ガルマーナの女将が言った様に、役場の仕事と言うのは繁盛している町医者より遅かった。
シエスタに到達した夜、魔法具店の店主に頼んで貸し鉄翼車を呼び付けこの宿に泊まり、翌々朝には興奮で眠れなかった俊とピヨンを率いたカイが役場で確かに手続きを済ませたのだが、それから丸一週間何の音沙汰もない。始めは煌びやかな街に目を輝かせていた俊も、この数日で食傷気味に陥った様だ。派手過ぎる街に庶民は適応出来なかったと言う訳だろうか。

すぐにシエスタから出られるだろうと期待していたのが敗因だろう。気掛かりだった遊園地も他区にある為、それとなくカイへ車で連れてってとおねだりしたのだが、大盛況の遊園地はチケットを取るのも困難らしい。人混みが余り好きではない俊には拷問に近い話だ。
であるからにして、必然的に外出はシエスタだけになる。シエスタの豪華な食事に慣れてきたグルメなピヨンの食費は嵩み、ちょっとでも街を散策しようものなら忽ち財布の中身が軽くなってしまう。ピヨンが涎を垂らしながら菓子屋の店先を見つめようものなら買ってやりたいのが親心、自分の分まで手が回らず切り詰めながらも早い内にすっからかんの有様だ。
ピヨンが色とりどりのお菓子を啄む姿を横目に唸る腹を抱えていれば、無表情且つ無駄に美形なデカイ嫁が同じ菓子を何処からか買い与えてくれる。無表情の癖に中々空気が読める嫁だ。嫁だけに。

然し騎士と言うのはそんなに儲かるものだろうかと首を傾げたのも暫くだ。目を離せばカイはお嬢様方に囲まれ、実に様々なものを貢がれている。
先日も然り。睨まれ目障りと言われようが、彼女らはめげなかった。

「騎士様〜、こちらのお菓子はシエスタでも最も有名な職人が作り上げたものですのよ。どうぞ召し上がって下さいまし」
「いやん、私だって特注のコートをお持ちしましたの。夜半は冷え込みますわ、どうぞ私だと思って常に身に纏って下さいませ」

と、まぁ、こんな感じ。

「かい〜、おはよ〜。ぴよん、ねむねむ、おっきした〜」

ふわわん、と欠伸を発てながら前足で目を擦る綿毛が、とんでもなく遅い速度でテラスを横切っていく。女性に囲まれながら然し相変わらず見事な無関心さで黒煎茶を前に腰掛けていたカイは、その長閑なニャムルの声に漸く顔を上げた。女性らの騒がしさなどまるで耳に入っていないらしい。

「漸く目が覚めたか。この俺を蹴り落として余程健やかに眠れたらしい」
「黙らっしゃい馬鹿嫁が。旦那様を放ってお姉さん達とイチャコラしやがってこの野郎」
「かい、うわき、めー。ぴよん、おけしょうおばけ、きら〜い」

先日の暴言を俊に怒られたピヨンが、化粧お化けに『お』を付けて丁寧語だが暴言を吐いた。珍しい毛色のニャムルが愛らしい声音で吐く毒に眦を釣り上げた女性らは、然し目付きは悪いが見目麗しい少年を前に目に見えて怯んでいる。
黒髪アメジストの瞳を持つ、絶世の男前。その眼差しの先に、銀髪蒼眼の貴公子。

笑ってはいけない。
目付きこそ悪いが笑えばそれなりに見られる俊はやはりシャナゼフィスに似ているのか、近頃では光のベルハーツに似ていると近辺で噂されているのだ。いや実兄なのだが。因みに言うと俊が似ているのではなく、日向が俊に似ているのだ。
で、愛嬌があり気さくな俊に従業員達の信頼も厚く、シエスタで切り盛りしている気難しい支配人もわざわざ朝の挨拶にやってくる程度には親しまれている。
また、先日宿泊客が口論から小競り合いの喧嘩に発展したのだが、皆が保安官に通報する前に拳骨で黙らせた俊にお嬢様方の見る目が変わったのも要因だ。

「で?何でテメーは相変わらず麗らかな朝に黒煎茶一杯なんだコラ、ちょっと目ェ離すと飯も満足に食えねェってのかこの阿呆が。さァせーん、エルボラスの肉団子大盛りとロドキャットの目玉焼き定食ご飯大盛り二つ、たい焼き八個にミルク一杯、ついでに黒炭酸下さーい」

貴公子の凄まじい注文光景も、そろそろ名物になってきたこの頃。
ラグナザードの黒煎茶は苦くて飲めたものではない事を学んだ俊は、此処の所、黒炭酸ばかり愛飲している。

変身具を用いて色を変えた俊だが、金髪蒼眼だった初日に似合っていると褒めたリヒャルトでさえガヴァエラ法王は勿論カッツィーオでさえ騙せないでしょうね、とぼやいた程だ。ベルハーツを知る者には効果がない子供騙しの変装だったのは否めない。
だが、金髪の時より麗しく見えるのは幻覚ではないらしい。変装具を使用している間、カイには適わずとも実に様々な人間から声を掛けられる様になったのだ。ピヨンを眺めながらうっかり微笑んでしまった暁には、何処からどう見ても男が駆け寄ってきて交際を申し込んでくる。背丈も大差ない俊相手に、だ。
とりあえず今のところ殺人拳骨で黙らせてはいるが、馴染めないシエスタが益々厭になった要因の一つだ。

一昨日はサーカス観覧中にいきなり口付けられそうになり、涙目でカイに抱きついた記憶がある。騎士に怯んだ相手は素早く居なくなったが、折角のエルボラス火の輪潜りも楽しめず帰って来たのが残念でならない。

「ったく、この街は男も女もどっか可笑しいんじゃねーか?此処にこんなイイ男が居るっつーのに、何で雄ばっか寄ってきて女は全部お前さんの方に行くんだ。不条理ではないか、実に不条理ではないか。…今日の肉団子も、んまいっ!」
「女に群がられて、何が嬉しい」
「喧しい。そりゃお前、男の浪漫だろーが。ジャスパー=ディブロみてェに何十人も嫁さん侍らしたい訳じゃねーけどなァ、何かこう、判んだろ?」
「判らん」

寧ろ煩わしい、などとピヨン以上の暴言を吐くカイに深く息を吐き、外見は貴公子でも食欲はエルボラス級の俊はやはりカイの分の肉団子にまで食指を伸ばす。ちみちみ箸を進めていたカイの眉が僅かに寄るが、肉団子を取られた事への不満ではなく条件反射だろう。
随分表情豊かになってきたものだと他人事の様に頷く俊は、ピヨンから肉団子を奪われていた。

「あーあ、今日も一日引きこもりかねィ。役場ってのは何であんなに混んでんだよ、毎日。文句言いに行こうにも、あの長蛇の列に飛び込む勇気はねェぞ、畜生」
「確かに、…随分待たせるな」

何処か苛立っている様に思える美貌が呟くのを聞き止め、炭酸水に目を付けたピヨンが一口舐めて痺れ悶えるのを慌てて宥める。

「しゅわしゅわ、しびびび〜」
「コラ、炭酸が抜けてから飲めっていつも言ってるだろー。ピヨンには刺激が強い大人の飲み物なんだからな。ほら、自分のミルクはどうしたんだ」
「俺の黒煎茶を混ぜて、苦味に悶えていた」
「砂糖入れろって言ってんだろ!ピヨンは砂糖二つにミルク9割の割合で作った黒煎茶じゃなきゃ飲めねェんだから」

それは最早黒煎茶ではないのではないか、と言う台詞を飲み込んだのか否か、宿の看板娘が持ってきた新しいミルクを痺れるピヨンの前に置き、痺れながらミルク皿へ顔を突っ込む綿毛を何ともなく皆が眺めた。

「何でこんなに可愛いのかよ、俺の女神」
「雄だがな」
「大変だぁ!」

ほうっと息を吐く俊にカイが冷静な突っ込みを与えた時、テラスの向こうで誰かが大きな声を上げた。
見れば宿の正面に面している広場に人だかりが出来ている。何事かと顔を覗かせれば、直ぐ様、空から鉄の塊が降りてきた。

アルザーク号とは比較にならない、巨大な飛行船だ。


「月条旗よ!」
「中央議会の方々だわ!」

誰かが口々に叫ぶ声を耳に、三日月の国旗を掲げた巨大な飛行船が着陸する様を目で追う。カイが音もなく立ち上がるのを認め、無意識に振り返った。

「どうした?」
「あれは、─────ベルセウスだ」
「ベルセウス?」
「ああ。…皇帝直属艦隊の一つ、軍でも上位の人間でなければ動かす事は許されない」
「って事ぁ、フェインが来たのか?サイン貰えっかなァ」

酷く鋭い眼差しで広場に降り立った飛行船を見据えるカイに続いて立ち上がった俊が、次の瞬間脇目も振らず外へ駆け出していく。宿を一歩踏み出せば物凄い人混みに行く手を阻まれ、然しそれを押し退けて広場の中心まで真っ直ぐ。

「な、んで…んな、馬鹿な話が…」

真っ直ぐ。


「鎮まれ!
 グレイブ=フォンナート閣下並びにジークフリード=スペリウム閣下の御前であるッ、改めよ!」
「一同は静粛に!神帝ルーク=フェイン陛下の命に於いて、直ちに取り調べを行う!」

俊が騒ぎの中央へ踏み込んだ時、軍人が声高に放った言葉と共に飛行船から降りてきた二人の長身を見た。


「はいはーい、俺様の可愛い下僕達」
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©Shiki Fujimiya 2009 / JUNKPOT DRIVE Ink.

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