「夜分にお邪魔して申し訳ない。つまらない物ですが、お納め下され」
「あらまぁ、ご丁寧にどうも…」
夕食の途中にやってきた来訪者から、数十年トップを守り通している超人気ご当地キャラがプリントされた菓子箱を貰った婦人は、おっとり首を傾げた。
「ええと、それで…タツヒトさんでしたかねぇ?名刺がちょっと…老眼が酷いもんで」
「リュウト、と読む。リュウジンだのタツヒトだの、紛らわしいと良く言われるの」
「ハイカラなお名前だこと…。それで冬月さん?貴方、どう見ても私より若く見えるんだけれども…本当に、あの人の?」
仏壇を前ににこにこ微笑んでいる男は、若いと評判の息子よりまだ若く見える。男前と若さでは右に出るものがいないと思える娘婿と、変わらない。
「信じられませんねぇ。シューベルトも高校生に見えるお肌だけど、貴方もすべすべ…羨ましいわね」
「人体実験を、ちとやり過ぎての。今ではこれが素顔になってしもうた。中身は老いぼれよ。龍一郎は儂の双子の兄だ」
漸く、医者の娘であり自身も薬剤師であった婦人は息を飲み、居住まいを正した。仏壇の前にある座布団に座ったまま向き直った男は、両手で垂れ気味の目元を吊り上げ、笑みを消す。
「儂は温い茶など飲まん!入れ直すがイイ!」
「あら、あらあら、まぁ、ホホホ!あの人の若い頃にそっくりだわ、ホホホ」
「だろう?儂らは目元が違うだけで、他は瓜二つだった。最大の相違は、儂が後に産まれたと言う一点だけじゃ」
目尻から手を離した男が再び笑い、婦人は立ち上がった。隣の居間へ案内し、家政婦へ声を掛けてから上座へ招き、自身も対面に座る。
すぐに茶と土産の菓子が運び込まれ、家政婦に礼を言った婦人は頷いた。
「貴方もお土産頂いて、今日はもうお休み。明日もお願いしますね」
「はい、奥様。それでは俊江さんと一緒に頂きます。それでは、ごゆっくり」
「かたじけない」
婦人と同じく、おっとりした家政婦はにこやかに踵を返し、二人きりになった居間で茶を同時に啜った二人は、どちらからともなく菓子へ手を伸ばす。
「くまモンちゃんのシュークリーム。孫が好きでねぇ」
「お嬢さんの息子さんかな?」
「ああ、そっちじゃなくて長男の息子の方。中学生なんだけど、中身は小学生のまんまなんですよ。お菓子とインスタントばかり好んでねぇ」
「そのくらいの子供は皆同じだ。儂の孫も、幼い頃は山で採ってきた山菜を揚げて、スナック菓子の様に貪っておった。芋だの栗だの、粉っぽい野菜を嫌っておって、ポテトチップスなど見向きもせなんだ」
「あら、お住まいは田舎の方で?」
「昔の話だが、首都圏の外れにのう」
ゆったりと雑談に花を咲かせる二人はほのぼのと微笑み合い、このままでは夜が明けそうな勢いだ。その最中、濡れた髪をタオルでガシガシ拭いながら、タンクトップと短パンと言う出で立ちでやってきた人物が、冷蔵庫に顔を突っ込む。
「はァ、湯上りは暑ィぜってばよ。さっき聞いたけど、お菓子があるんだろィ?ビールは?何か炭酸ねェの?」
「こら、俊江!お客様の前ですよ、なんて格好をしているんだね、お前さんは」
「客ぅ?どうせジジイの知り合いだろ?おっさんに気ィ遣って堪るか、」
麦茶のボトルを掴んで振り返った小柄な女性は、そのままパチパチ瞬いた。ぽたぽた髪から滴る水滴をそのままに、吊り上がったアーモンドアイを丸めている。
「おっさん…じゃ、ない」
「夜分に失礼しておるよ、お嬢さん。ほうほう、これはこれは…龍一郎によう似ておる」
「はィ?龍一郎って、アンタ…」
「天の君は、皇子よりも母君に似た様じゃのう」
「そらのきみ?ミコって誰だょ」
「…ふむ?お嬢さん、すまんがこっちに来てくれんか」
この辺ではまず見ない美形に手招かれ、警戒しながらもシュークリームを餌にされてしまえば、足が勝手に向かってしまう。ぎゅっとタオルの両端を握ったまま、母親と客人の間に当たる座卓の短い面に胡座を掻いた彼女に、イケメンは顔を近づけてきた。
「ふーむ、…ふむふむ。何じゃ、空蝉の術を使われたか」
「空蝉?」
「我が冬月宗家に伝わる、催眠術みたいなものだ。儂らが出奔して以降、知る者は居らん筈なんだが…」
「冬月さん、うちの俊江に何かあるんでしょうかね?この子、厄介な病に罹ってしまったんですよ」
「現代医学では心因性健忘だの、精神的逃避だの、正確な答えは出るまい。弱ったのう、空蝉の術は代々、当主にのみ伝わる―――――」
言いかけた男が垂れ目を丸め、顎に手を当てる。
「…そうじゃ、そもそもは陰陽師だった総本家の編み出した術。儂らが与り知らんだけで、現代まで受け継がれておったとすれば…」
「ちょっと、おい、兄さん」
「俊江、少しは女らしくなさい。アンタが覚えてないだけで、アンタはもう人様の嫁に行った身なんだよ」
「んな事言われても…」
「失礼だが、ご主人はいらっしゃるか?可能であれば、会わせて頂きたい」
背を正し、僅かに顔を引き締めた男に女性陣は首を傾げた。
「この子の旦那さんの事かねぇ?シューベルトは、…そう言えばそうだわ、俊江、シューちゃんに連絡したのかい?」
「だから会った事もない奴に連絡なんかする訳ねーだろっ」
「よもや、皇子を忘れてしもうたのか?」
「忘れた、と言うより退行したと言った方が良いかも知らんわねぇ。研修医だった頃まで、記憶が遡ってるそうなんですよ」
「それは可笑しい、空蝉の術にはそんな芸当は出来ん。精々、数分の記憶を撹乱する程度だった筈」
シュークリームを口一杯頬張る娘に何を言っても無駄だと頭を押さえ、婦人は茶を啜る。亡き亭主は職人気質と言おうか、医療や研究以外は無頓着で、出会った頃は会話をするまでに苦労したものだ。
何処で見つけてきたのか、父が気に入って招いた彼は、勤務当時から神がかったオペ技術を披露し、膨大な薬事知識もあった。当時では類を見なかった遺伝子治療にも率先し、学会を震撼させた程だ。
「龍一郎さんは、出自に関する話を殆どなさらなかったんです。ご両親の話は勿論、弟が居る事も知らなったんですよ。お恥ずかしい事にねぇ…」
「今一度思い出させる様で悪いが、龍一郎は本当に死んだのかな?」
「糖尿を煩わせて、ねぇ。自分の身にはちっとも構わなかった人だから…」
「はは、それは可笑しい。龍一郎は視力こそ捨てたが、60年前にはもう、恐ろしい細胞分裂技術を会得していた」
冷めた笑みを浮かべた男に、婦人は首を傾げ、口元に付いたクリームを指で拭った長女は目を細める。
「…何だィ、アンタまさか親父の弟だとか抜かすつもりかよ」
「その通り、儂は冬月龍人、龍一郎の双子の弟だ。同じ閏年に産まれた、冬月宗家の次男」
「馬鹿ほざくな、って言いたい所だが、信じてやるよ。糞親父は根っからの不審者だったかんな」
「酷い言い様だ」
「酷い?はっ、俺が何で医者になったか教えてやろうか、叔父サンょ。俺ァな、脳も心臓も停止した患者を真顔で生き返らせたあのジジイに、餓鬼の頃から違和感があったんだ。可笑しいだろ、何百人かに一人、奇跡が起きるんだ。共通点は、『珍しい血液型』」
目を見開いた男を横目に、意味が判らないと表情で伝えてくる母へ娘は目を向けた。
「母ちゃん、覚えてねェ?昔、苦学生が新聞配達の途中でトラックに轢かれて、内臓破裂の即死状態だったのに助かった話」
「あぁ…難しい手術だったのに、お父さんだけが諦めなかったって聞いたわ。あの後、テレビ局の取材が凄くてねぇ」
「あのジジイが生き返らせた患者全部、研修医になってすぐに調べたんだょ。共通点に気づいた所で、俺の記憶は終わってる」
アンタならどう言う意味か判るか、と。尋ねた意思の強い眼差しに、男は苦笑を零す。
「…そうだのう、恐らく判る。60億人に一人、と言う文字通り唯一無二の奇特な血液型を有して産み落ちた、親友の為だろう」
「親友、ですか?あの人に友達が居たなんて…」
「もしかしてそれ、ハーヴィ?」
娘の台詞で、男の表情から一切の血の気が引いた。普通の人間が知っていてはならない、それは神の本名だ。
「何故、師君はそれを…」
「親父の遺言書に書いてあった。昼間、それを聞きに来た外人が居たな…。もしかして、あれもアンタの知り合いかィ?」
「ブロンドにサファイアの瞳をしていたか?」
「サングラス掛けてたから判んね。金髪で、巨人だったのは間違いねェ。うちの石垣から顔出てたし」
「そう、か。…成程、ではやはりアレも信じておらんか」
「あ?」
「悪いが、龍一郎の話は此処までにしよう。確信はあっても確証がない」
「意味判んねェな、アンタ…」
「すまんのう、初めて会う姪に不信感を抱かせてしまうとは、儂も老いぼれた。昔はこれでも、老若男女問わずキャーキャー言われたもんだが…」
未だにキャーキャー言われていそうな顔で遠くを見つめた男に、二人は沈黙した。美形の考えている事は判らない。
「ともあれ、師君の現状は看過出来んの。己が記憶と現在が数十年も相違しておれば、如何にせよ不便だろうて」
「旦那の顔も息子の顔も思い出せねーってんだから、最悪な女なんじゃね?実感はまるでねェけど」
「師君の息子は、母親に似て意思の強い眼差しを持ち、どうやら中身は父親に似た様だ。…総本家の当主は代々、読めん人間が多かった」
「総本家って何だよ、さっきから」
「始まりは平安王朝時代、帝に寵愛された陰陽師を祖先に持つ神主の家。その名を、帝王院と言う」
頬に手を当てた婦人がおっとり頷き、三個目のシュークリームに手を伸ばした長女は麦茶をボトルのまま煽って母から抓られた。
「帝王院と言えば、うちの病院のスポンサーで俊が通っている学園の…」
「うむ、その帝王院だわ。古くは我が冬月と同じ流れを汲む家だが、冬月が分家末端となった今、その血は他人と同じ」
「ハハン、それで本家だの宗家だの御託抜かしてたんか」
「はは。冬月は戦国以降に枝分かれした家でのう、文明開化までは帝王院の隠密として仕えておった。今で言う、忍者じゃの」
「うっひょー、忍者?!カッケー!ハァハァ」
「東の皇、西の叶と言ってな。大正に入る頃には、政府お抱えの諜報部隊として警察官となった。二次大戦終結と同時に、後暗い我々は政府の荷物になると言うので解散し、今では名ばかりの家だ。事実、儂らの父は家財を売り払い診療所を作ろうと夢見て、身内から殺された」
「マジかょ」
悲惨な話に言葉がない。
仏壇で恐ろしい目つきを披露している遠野家大黒柱の遺影を思い浮かべ、遺族二人は息を吐いた。
「儂らが三つになる頃だ。終戦間もなく当主の父が急逝し、龍一郎に家督が渡った。だが、後見人として伯父が名乗りを挙げた。入婿だった男だが野心家でのう、屋敷も家財も売り払おうとした父と度々言い争っていた事があったと言う。確証はないが、儂はあの男が父を殺したのだと」
「成程、あの時代の診療所なんかボランティアみたいなもんだろうに、わざわざ私財叩くなんて…冗談じゃないわなァ」
「そうじゃの。それだけならまだ良かったんだが、伯父は幼い儂らを亡きものにせんと企てた。地下牢に当主である龍一郎を監禁し、幾度と家督放棄を要求した奴は、兄上が首を振り続けると地下に火を放ったんじゃ」
燃え盛る牢から兄を救い出したのは気弱な伯母で、泣きながら何度も謝った。そしてこのまま此処に居てはいけない、逃げなさいと。幼い双子に、宝石と少しばかりの紙幣を握らせた。
「儂らは右も左も判らぬ外へ飛び出し、ひたすら焼け落ちる屋敷から逃れた。だが戦後の動乱の中、幼子に生きる術はない。…三日程飲まず食わずで隠れ、屋敷に戻ったんじゃ。だが、無残な屋敷に人の姿はなかった。伯父は焼死、一族は処刑され、家は断絶していた」
「…処刑?」
「亡き父が、戦中に米国と繋がっておったそうだわ。あの当時、それは大罪だ」
重苦しい胃は、シュークリーム三つが原因ではないだろう。
「旧国主義派の、憂さ晴らしだの」
「マジか」
「うむ、多分」
「波瀾万丈じゃねェか、詳しく聞かせてちょーだい」
「これ俊江」
怒られた。