帝王院高等学校

陸章-刻まれし烙印の狂想曲-

沈黙に埋められし始まりの追憶

「…完全に、ネイキッドのコピーだ」

日本語だ、と。
スピーカーから流れてくる音声へ意識を傾けていた女性は顔を上げ、手にしていたカルテから目を離す。社訓とは言え慣れない外国語を訳すのに数瞬、さらりと金髪を掻き上げた。

「Exactly、それはつまり大成功なのよ。浮かない顔ね」
「劣化コピーじゃ話にならん」

自分の片言とは違う、流暢な発音だ。
白衣の襟を直した男は溜息混じりに呟き、傍らの女性は大袈裟に肩を竦めた。

「知能指数、判断力、身体能力の数値も悪くない。何が不満なの?見て、アコースティックセンスに高い反応が見られるわよ。彼は芸術肌ね」
「…冗談じゃない。我々の研究は黴の生えた楽曲を娯楽にする一般人の量産ではなく、完成された人間の補填だ。この程度で満足出来る方がどうかしている」

苛々と煙草を咥える同僚に、揶揄めいた笑みを浮かべた女性は、硝子一枚隔てた実験室の中へ目を向ける。
黒髪の少年が一人、表情なくモニタに向かって座っていた。

「クラシックの良さが判るのも人間らしいカテゴライズの一つ。植物にだって感じられるのに、アナタどうかしてるわ」
「いつから区間保全部に感化されたんだ。何なら異動しろ」
「I am willing to change to the Riot squad.(特別機動部なら喜んで)」
「保全部が良い、あらゆる音源を検索可能だ。クラシックからロック、童謡も」
「ランチBGMが近頃クラシック続きだからって当たらないでよ。黴が生えたなんて言い回し、本当に日本人じみてきたわ。メキシカンとは思えない」

これ以上の会話は無意味だとばかり、乱れた焦げ茶の頭を抱えた男は顔を逸らす。
恨みがましく見つめた先、実験室の中の少年は半年振りに帰国したとは思えない無感動な表情で、機械的に質疑応答を繰り返している。

『以上で質問を終わります』

機械音声と同時にモニタとスピーカーが沈黙し、実験室の中の少年が立ち上がった。それを認め、カルテで男の肩を軽く叩いた女性は、色気を含めた笑み、一つ。

「お楽しみのブレイクタイムよ。私はセカンドへ報告に行くから、熱いシャワーでも浴びてきたら?ああ、同じ浴びるならテキーラがお好みかしらアミーゴ?」
「…諦めの悪い女だな。ディアブロが何の利もない女を抱くと思うか」
「私はアナタと違って、研究漬けで人生終わらす気はないの。マスターみたいな失敗、死んでもお断りよ」

つかつか、パンプスを響かせながら退出していく女性が戸口で振り返り、もう一度、笑った。

「アナタの大好きなジェネラルマスターだったら、私の気持ちを理解してくれたわ。Successする筈のない失踪を企てて、大成功したんだもの」

反論する前に自動ドアは閉まり、残された男は深い溜息だ。

「…マスターオリオンを己の比較対象に持ち出すとは、何処までも図々しい女め。何故シリウスはあんな女を部署に留めておくのか」
「慢性的に人手不足ですからねぇ、技術課は」

聞こえる筈のない声に固まり、床を見つめたまま微動だにしないでいると、視界へ純白の革靴が割り込んでくる。汚れが目立つ白い靴を好む人間は限り無く稀で、技術課の研究者も勿論、白いのは白衣だけだ。

「おっと、予算不足で人材育成が適わなかった、と仰りたい気持ちは重々承知していますが、私の責任ではないので悪しからず。今の環境は、数年前まで勤めていた前経理課長の遺産です。困りますよね、科学の大切さが判らない堅物の倹約家は」

淀みなく注がれる台詞の半分ほども聞き取れない。漸く混乱が収まり、一つ息を吸った。
確かに数年前までの激貧振りは筆舌に尽くし難い最悪の歴史だったが、今の社長へ変わり随分マシになったのは単に、彼のお陰である。

「…ディアブロ閣下。恐れながらマスターは不在、でして」
「今回のメディカルチェックはどうですか?途中から見ていましたが、どうも宜しくない様ですねぇ」

ゆっくり、顔を上げた先。
細身のフレームに薄いレンズを嵌めた眼鏡を押し上げ、恐ろしいほど完璧な笑みを貼り付けた男が腰に手を当てている。投げ掛けた質問への答えはないが、突っ込むだけ無駄だろう。

「申し訳次第もありません。鋭意、努力して参ります」
「アレには細胞移植を行っていないので、ある程度の数値が見込めれば成功と言えます。こちらばかりに気を取られず、プロジェクトディアブロを進めて頂きたい」
「閣下、恐れながらいつ、此処へ?」
「『完全にネイキッドのコピーだ』辺りからでしたかねぇ。私はイギリス人との混血ですが、あれはアジアハーフですよ。そんなに似ていますか?」

背筋に冷たい汗が滴る感覚。
幾ら苛立っていたとは言え、余りにも油断し過ぎていた己を悔いても後の祭りだ。失言の全てを聞かれていた、と言っても過言ではない。

「た、…大変な失礼を」
「お気遣いなく。大半は放置しているとは言え、後見者として似てきたと言われては、嫌な気はしません。けれど『何の利もない女』から求愛されるのは、ちょっとねぇ…」

困った様に首を傾げた男の横顔は、相変わらず完璧な笑みのまま。格下を相手にするのも面倒臭い、と言った所か。気配を消して室内に潜んでいたのだから、彼女の判り易い態度に辟易していたのだろう。

「やっと来ましたか」

最高幹部である男が示す先、何も知らない青髪の少年と入れ違いに現れた別の少年が、チラリとこちらを見た気がした。
硝子一枚隔てただけ、とは言え、あちらからこちらは見えない様になっている。気の所為、だろうか。

「シンフォニアβ、先の身体能力診断では優秀な数値を弾き出しています」
「暫く見ない間に成長しましたねぇ。あれで青蘭と同じ年なんて、驚きました」

半年振りに見た『優等生』は、全てが面倒臭いとばかりに実験室の中、無機質な椅子へ腰掛けた。伸びた身長、長い手足を持て余し、モニタへ億劫げに手を伸ばしている。

「主被験者との適合率は97%。相違血糖であるのが悔やまれますが、全プロジェクトの最高傑作です」
「少し遊ばせて貰えますか?」
「と、仰いますと?」
「どうせいつもと同じ質問をするだけでしょう?休み明けには王子が日本へ渡ります。本校がノヴァのお膝元とは言え、用心に越した事はない」
「ヴィーゼンバーグが渡航する?閣下はどうなさるおつもりですか?」
「さて、どうしたものでしょうねぇ。とりあえず暫く様子見、ですかね。少なくとも、私の最新学歴は大学院ですから」

笑いながら、然し微かに冷めた声音で吐き捨てた美貌は、長い指でパネルのボタンを弾く。開始を告げるベルが鳴り響き、被験者は面倒臭げに頭を掻いた。

「ただいまより最終チェックを行います」

機械が告げるべき台詞をマイクへ投げ掛けた美貌は、ディスプレイに映し出されたデータを見つめ顎をトントンと叩く。

「社員認証、並びにプロジェクトポリシーを確認し」
『…コード:シグマ・コア「ベルフェゴール」、シンフォニアα二次被験体。シンフォニアβ被験体』
「被験の目的は」
『ベースαの生命維持、及びそれに起因した血清提供者ベースβの日常生活維持に於ける、疑似複製体化』

眠たげな少年の声変わりした声が響き、ディスプレイから目を離した男は眼鏡を押し上げた。

「近況は?日本の学校は不便ではありませんか、坊ちゃま」
『うぜー、何でアンタが紛れてんだ』
「予想の範疇でしょう?つれない態度を取ると軽く拷問しますよ。ああ、大切なお友達が心配するでしょうねぇ」
『ロクな死に方しねーぜ、アンタ』
「お褒め頂き有難うございます坊ちゃま。たまには父上に電話の一つも寄越しては如何ですか?」
『たまには実家に帰ったらドウデスカ』
「ふむ。思春期ですねぇ、質問に質問で返すなんて…。それより、いつの間にか声変わりしたみたいですが、少し早いですねぇ」

マジックミラー越しに一瞥してきた少年は、無造作な短髪を面倒臭げに掻く。

「10歳で身長168cm、体脂肪8%ですか。繰り返し忠告しますが、異常な細胞分裂を阻止する為に酵素を多く摂取する事。加えて過度の脂質摂取は、」
『肉なんか一口も食ってねー。蛋白は大豆と米で賄ってる。これ以上どうしろと』
「豆腐は低カロリーです、どんどん食べなさい。中性脂肪過多で使い物にならないなんてヘマしたら、お仕置きしますよ」

ポチっと軽やかにパネルを叩いた二葉がチラリと見つめてきたので、白衣の男は素早く立ち上がり、挨拶も早々に戸口へ消える。
研究室の中には、硝子一枚隔てて二人きりだ。

「さて、メディカルチェックの前に話しておく事があります」
『タリー』
「春から、君の本体が本校へ移ります。中等部進学を機に、昇校生としてねぇ」
『で?』
「弱った事に、殿下は君の正体も彼が提供者である事も知りません。近々元老院の右元帥に内定が決まっていると言っても、本人に自覚がなくて」
『つーか、今更どうしたって戻る気はねーだろ』
「そうも言ってられない事情がありましてねぇ。近頃、対外実働部と我が特別機動部の関係が悪化してるんです。私が目を光らせている間は、大事には至らないと思いますが…」

だったら自分で何とかしろ、と言った表情だ。少年が口を開く前にマイクへ身を屈め、

「急がば回れ、問題が起きる前に警護する事にしました。ただ、特別機動部の優秀且つ胆略的な社員が、強行手段を取らないとは断言出来ない。普段、陛下の警護や雑務で忙しい私が四六時中張り付いている訳にもいきません。勿論、海の向こうで問題が起きても、迅速な対処は不可能です」
『聞きたくねー』
「青蘭は既に接触しています。ああ、ご存知でしたね?『壊れたミューズ』も、ファーストの近くに居るそうで」
『…ちっ』
「おやおや、舌打ちまで似てきましたか。先程もねぇ、青蘭が私に似てきたと言われましたが、君も、」
『さっさと命令しろ、雑談はウゼーだけだぜ。…どうせオレには拒否権ねーし』

表情一つ変えない所は、やはり父親似か。

「一つ疑問なんですが、君の一途な性格は元からですか?」
『本題を簡潔に述べろ』
「青蘭は君の正体を知りません。あくまでアレは、表向きのスパイとして行動させます」
『スパイに表があんのかよ。面白すぎて笑えねー』
「君には、被験者に万一が起きた場合のストックの他に、αの極秘警護をお願いします。来年には彼も進級してしまうので、初等部の君には出来る限り親しくなって貰わなければなりません」
『面倒クッセ。オレが社交的に見えるのかよアンタ。頭オカシーぜ』
「カルマ、でしたか?」

眠たげな少年が舌打ちを飲み込む瞬間を認め、くつくつと肩を震わせた。外見はどうあれ、やはり10歳の子供だ。

「お友達のお陰で、ミッションはさほど難しくはないでしょう?βは来日後、ABSOLUTELYに所属します。表向きは中央委員会長の親衛隊だそうですが、三年前から陛下が事実上掌握しています。手っ取り早くノヴァの動向を探る為にね」
『…手回しが早ぇな。家出息子がおっ始めた遊びに絡んで、シンフォニア同士の接触を回避すれば良いんだろ』
「βから近付く事はない、と、思いたいのですがねぇ。公爵家での永い軟禁生活で、どうも変に遊び癖が付いてしまった様なので…困ったものですよ」

パネルの終了ボタンを叩けば、マジックミラーがするすると降下していく。漸く顔を合わせた二人だが、特に感慨はない。

「…オレには用心棒、テメーのコピーにはスパイの真似事かよ。あっちには何を命令したんだ、アンタ」
「我が社からのスパイ排除、並びにファーストの監視…とでも言いましょうか」
「…そう言う事かよ。警護の名目で、オレにも監視員をやらせるってか」
「困りましたねぇ、変な深読みはしないで下さい。我々は純粋に、嵯峨崎佑壱を守りたいだけなんです」
「は。万一ノアに何かあれば、次代は奴が継承する。血統継承の現男爵には後継者が居ねー。順当で、次はエデン=グレアムだろ」
「確かに仰る通りですが、事はそう単純ではないのですよ。正確には、現男爵は『代行』です」

眉を寄せた少年を横目に、叶二葉はそれ以上は沈黙した。


ナイト=ノアは行方知れず。
そしてルーク=ノアには、知られていない血が。
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©Shiki Fujimiya 2009 / JUNKPOT DRIVE Ink.

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