帝王院高等学校

陸章-刻まれし烙印の狂想曲-

目指すはメタボリアン世界選手権

打ち付ける熱い飛沫を無抵抗で受ける。
白濁する湯気を発て続ける浴室の天井に、顔に受けたシャワーが弾け飛んだ。

『Calling from England, would you accept about?(英国よりお電話です。受けられますか?)』

シャワーパネルへ手を掲げればすぐに水圧から解放され、濡れそぼった前髪を片手で掻き上げる。
額から頬を一息で滑り落ちた水滴が足元で跳ねれば、後は排水溝へ流れゆく水脈の寂寥めいた旋律のみ。

「Mr.Fein?」
『Mrs.Fein calling.(ミセス=フェインです)』

見るともなく見た壁鏡に映る髪は濡れて色濃く、日に焼けぬ肌は哀れなほど白い。
首筋を辿った先に鎖骨、胸板、腹筋、そのどれもに一つの共通箇所もなかった。彼は何処も温かく、唇は特に柔らかい。

「You candidature for leave a message that may I call her later?(折り返すとお伝えしろ)」
『All right Sir.』

18年も生き長らえた我が身を今更確かめた所で、それに愉悦を感じる事に興味を得た事などなく。
柚子湯たゆたう浴槽を一瞥し、壁に填め込まれたタッチパネルに触れた。

一度も主人を受け入れる事なく渦を巻き、消えていくイエローを見送りもせず浴室から出れば、恭しく待ち構えていた男が顔を上げる。

「…まだ居ったか」
「ご命令とは言え湯浴みのお世話を差し上げず、失礼を。せめてお体を拭く役目をお与え下さい」
「難儀な性分だ。構う必要はないと何度言えば納得してくれる」
「畏れながら、卑しいポーターの身ではあれどお声掛け頂ける日を夢見て、幾度となく眠れぬ夜を過ごして参りました」

饒舌な使用人を言い負かすのは容易だが、タオルを奪われてしまったからには、思うまま世話をさせた方が恐らく合理的だ。

「一般回線よりお電話が入っていましたが、」
「知っておるか」

皆まで言わせず遮ったのは、特に都合が悪いからと言う訳でもない。母方の祖父母が健在であると言う知らせは実に好ましく、肉親の情があるかと言えば、イエスと答えるだけだ。
英国北部の国境で平穏無事に暮らしている彼らは、迫害した男爵家の血で汚れた『混ぜもの』を孫と呼んでくれる。
何と愛情深い事だろうか。

「私如きの知識など、マジェスティと比べるまでもなく無きに等しものでございます。お髪を失礼、痒い所はございませんか」
「この国では、合理よりも道理が尊われる。アメリカでは考えられんな」
「我が国はあらゆる無駄を嫌います。然し、時に無駄こそ美徳ではないかと思う事もしばしば。この国の温泉なるシステムに甚く感銘を受けた者として、僭越ながら申し上げます」
「成程、利己的な感性だ」
「温泉で飲食を済ませるアイデアには、流石に脱帽致しました。入浴と晩酌を一度に済ませ、同時にリラクゼーションにもなるとは実に画期的です」

懇切丁寧に下半身まで拭き上げた男からバスローブを掛けられ、恭しく示されたリビングテーブルの上を見やりソファへ腰を下ろす。

「今宵のオードブルはフライドコンソメ、オニオンコンソメのタルタルソース、ベルギーワインでございます。本宅のジャグジーならお運び出来ましたものを、日本は自虐的なまでに合理的なコンパクト設計でして…心苦しい限りでございます」
「米国がコンソメブームだとは知らなんだ」
「使用人として主人の好みを取り揃えるのは当然の義務。スープはあちらのポットに」

テーブルの端に敷かれたナプキンの上、鉄製のスープ鍋が鎮座していた。これだけコンソメ一色なのにポテトチップスが見当たらないのは、アメリカ人らしい行動だ。

「陛下は特にカルビーがお好みと拝察し、具材には牛カルビを使用しました。残念ながらコイケヤの名の肉は見つからず、心苦しい限りに。何卒お許しを…」
「どうも物忘れが酷いらしい。そなたの職務は、会長秘書と盗撮マニアのどちらだったか」
「どちらもお間違えですマジェスティ。私の職務は、マジェスティへの忠誠と我が社の平和を祈る事」

胸元から取り出されたのはハンカチではなく、ハートマークに『らぶ開運』と掛かれた御守りだ。メイドイン京都の表記に、メイドキティが描かれている。
随分画期的な神頼みもあったものだ。恋愛とメイドが同時に花開くとは。

「…その懇親的な尽力で社は成り立っておるのだな。肝に銘じよう」
「勿体ない御言葉でございます、マジェスティ」

にこりともしない使用人、本来ならば居る筈のない男をとりあえず暫し見据えながらワイングラスを持ち上げ、口を付ける。
最後の記憶では、彼はホームレスに紛れて水で八割方薄めたウォッカを嗜む、毛むくじゃらのアウトローだった筈だ。

「如何でしょう、ワインのお味は」
「ポリフェノール、硫酸カリウム、銀、トリカブト、亜硫酸マグネシウム…蜂蜜少々」
「一点の曇りなき洞察力に、心から感嘆の意を申し上げます。世界のソムリエも陛下には歯が立たないでしょう」
「歯を立てる暇なく、大抵の人間は一口で致死量を超える」
「Because fly me to the heaven。素敵なフレーズに感服致しました陛下、どうぞ私をお供にお加え下さい」
「心清らかなそなたを冥府へは連れて行けぬ。…天国へは一人で行け」

この調子では、コンソメだらけのオードブルにも何かしら猛毒が仕込まれているのだろうと、ワイングラスから手を離し足を組んだ。

「ノー・サー、我が身も魂も常に陛下の膝元に跪き忠誠のキスを…」
「遠慮は要らぬ、一人が寂しくばセカンドをエスコートするが良かろう。善人を神の御膝へ導くは、美しい者の義務だ」

爪先へ躊躇わず口付けを与えてきた役者に無表情で囁けば、片眉を跳ねた使用人はオラクル眼鏡越しに見上げてくる。一寸の乱れも許さぬポマードヘアは七三分けで、眼鏡を填めていない左側の目は固められた髪で隠されたまま。

「畏れながら陛下、コード:ネイキッド=ヴォルフ=ディアブロは老若男女を惑わすデーモンだとご存知ないと?」
「望みが叶った様だな。迷わず冥府へ還るが良い」
「…ガッカリです、失望したと言って良い。時とは斯くも無慈悲か。老けてノリが悪くなられた」
「誉め言葉として受け取ろう」
「嫌ですなぁ、お父上ほど見目若けりゃ実年齢なんか気になんないもんですよ」

それまで表情一つ変えなかった使用人は、ゲラゲラ下品な笑い声を発てながら髪を掻き乱す。似合わないオラクル眼鏡も無造作に外され、残ったのは極平凡な使用人の顔。

「技術部の最新マスクですが、凄いでしょ?若かりしメル=ギブソンをイメージしたのに、いざ着けてみるとニコラス=ケイジ。悲しい事にモニターなんで文句は言えない、ただ一言どうしても言いたい言葉は…ファッキン!」

変装マスクの仕上がり具合も、好みの俳優にも興味はない。聞いている振りでフライドポテトのコンソメ味を頬張り、猛毒の気配がない事に目を眇めた。

「技術課への文句はシリウスに言え。私を無味無臭の新薬のモニターに据える前に」
「いえ、猛毒風味のノンアルワインは個人的に作ってみたのでお届けに。味はともかく、成分は人体に抗酸化作用以外の影響は与えません」
「ほう、…画期的合理的な発想だ。どの生物兵器よりも効果が見込める。環境にも配備したか」
「お気づきになられました?そう、頑なに黙秘を続けるエージェント達でも、猛毒のワインを飲まされたら泣いて喜んで社交的に。ただ死体を処理するのが面倒で面倒で…放っとくと腐るし」

二葉が聞いたら笑顔で共鳴しただろうかと考え、恐ろしいワイングラスから目を離す。

「つまり廃棄物の処理を解消する為だけに開発した、と」
「死なないからゴミにならない、エコなアイデアでしょ?特許出願中」
「すまんが私には何の権限もないと思え。商品化にはセカンドの許可を」
「ああマジェスティ、勿体ない御言葉ですが商品化はしません。世のテロリストや政府機関には気の毒ですが…猛毒なだけに。これは我が社でも、我が部署のワインセラーにだけ秘蔵します」

組織内調査部。
学園での左席委員会と同じ役目の、公安だ。全ての社員を罷免する権限を持ち、全てに平等である事を絶対条件として励む。

全社員の憎悪と畏怖の対象だ。
毎日顔を変え声を変え、その実態を知る者は少ない。

「ただ、敬愛せし我が神には一度お味見を頂こうと、こうして対陸管制部にたった四機しかないピンクのシャドウウィングを拝借し、ステルスモードで来日した次第に」
「…早速持ち帰り、合理的な職務遂行に励んでくれ」
「知ってますか陛下、最近のシャドウウィングは自動で荷物を運んでくれるんです」

亀の甲より、何とやら。
言葉の示す伏線に気づいたが、何の興奮もない。悉く読者の期待を裏切り期待以上に盛り上がるBL小説と現実は、悲しいほどに異なっている。

「ちょっと目を離した隙に同性愛に目覚めてしまった罪深きジューダスを諫める役目は…温泉を楽しんだ後にします」
「…好きにしろ」
「反抗的なマイ・ルーラー、何が貴方をそうまでさせるのか…Don't you hurt give me shake my heart♪」

飲み干したグラスの口を覆った手の甲で口元を拭い、ミュージカルスター気取りの男へ、

「I wont to coke every after take a bath.(風呂上がりにはコーラ派でな)」
「Oh, I am many many sorry Sir.(それは大変失礼しました) 糖質たっぷり微炭酸スパークリングがお好みとは…」
「良いか、シュガーレス強炭酸のエクスプロードだ」
「You are genius!(貴方は天才だ!) 適度なカーボニックは健康に良い。加えて糖質ゼロなら酒豪のお父さんも安心」

すぐにご用意しますと、恭しく頭を下げた男が踵を返したのを視界の端に認め、立ち上がる。出て行った瞬間全てのセキュリティーを発動するつもりだが、相手は先刻承知なのかドアの前で振り返り、

「俺とした事がとんだ失態を。実は新宿アルタ前のローソンで購入した土産がある事を忘れていました」

空のグラスを勿体付けて持ち上げた男は、再び使用人モードの表情で鎮座していたスープポットの蓋を持ち上げた。
シャワールームの様な湯気は見えない。

「メイドイン=コカ・コーラ、コーラZEROでございます。サントリーペプシスペシャルとキリンメッツコーラは、」
「…もう良い、そなたに任せる」
「それではどうぞお楽しみ下さい」

殆ど使われる事のない室内の受話器ではなく、サイドボードに放置されていた携帯電話を恭しく差し出してきた使用人に、グラスを煽りながら頷いた。

「既に解約済だ。フェインへは回線を繋げる。そなたは気に病むな」

最後に笑ったのは自分だったらしいと、ピクリともしない表情筋の下、喉を刺激する炭酸に目を閉じる。

「左様ですか。ではこちらは回収させて頂きます。貴重なレアメタル源ですので」
「大儀だ、下がって良い」
「失礼致します。ご帰国の際は是非御連絡を」
「心行くまで楽しめ、そなたの休暇は私から通達しておく」

ドアの向こうで恭しくお辞儀をした男の唇が笑みを描く光景を、迂闊にも見ていなかったのは失態としか言えまい。
ドアが閉まるのと同時に、自分でも解除するのに苦労するセキュリティーを発動させるべく指輪に唇を当て囁いた声は聞こえていない筈だが、

「親睦会並びに一斉考査のご成功を」

扉が閉まる間際の、およそ呪いめいた言葉は暫く脳裏を離れないだろう。

「温泉を楽しんだ後、華々しい同人誌即売会デビューを飾って参ります。」

他人の手に握られたレアメタル鉱山を認めた直後、重厚な扉は無情にも音を発てず閉まったのだ。



狼狽はない。
後悔もない。
何故ならば、そのどれもを淘汰した果ての残骸が自分である事を、遠い日に学んでいる。

「………」

キーボードの前に座り、ディスプレイを覗き込みもせず両手へ目を落とした。
白い皮膚、透けた血管が這う指、常以上に醜い我が身が小刻みに、震えている。



『裸の王様』
『…可哀想に。』


愛していると、何故。
罪深い爪痕を残すほど、耐えられなかったのだ。(限界だ)(耐えられない)(…今も)



『好きなら、仕方ないにょ』


黒羊にこの太陽の島国は、漆黒の夜でさえ、何と眩しい事か。
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©Shiki Fujimiya 2009 / JUNKPOT DRIVE Ink.

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