帝王院高等学校

陸章-刻まれし烙印の狂想曲-

春の夜の蝉の鳴き声にはご注意を!

「おふッ」

凄まじい衝撃を背中に感じた神崎隼人は、すんでのところで両足を踏ん張った。情けない声が出てしまった気恥ずかしさで口元を覆い、ギッと眉を吊り上げ垂れ目を補いながら、額一杯に青筋を発てる。
そもそもの余裕を無くすほど焦っていたと言う理由もあり、苛立ちは一瞬で顔を殺人的変化させるほど。

一撃で仕留める・と、振り向き様に蹴りを放った彼に罪はあるのか、ないのか。見事な蹴りがヒットした感覚に、彼が満足する事は、終ぞなかった。

「うぐ!」
「え」

派手に吹き飛んだ男に、隼人の顔から血の気が引く。回し蹴りが命中したらしい脇腹を押さえ、地に伏せる姿はどう見ても、

「え〜っ、サブボス〜?!ちょ、何やってんの?!あは。…うっそだあ、マジかよ」
「うぅ…コホッ。い、痛った〜ぁ、凄い音が…した…ゴホッ、っつー!」
「あちゃー、間の悪さ天下一品。派手に飛んでたけどさー…骨イってたりしないよねえ?死ぬなあ、生きろー」
「実践経験皆無の一般人を殺し掛けといて無理言うよねー、ごほっ、…やー、無理だねーこれ確実に死んだよねー…ぐふっ」

咳き込みながら脇腹を押さえる太陽は、冗談抜きで死にそうだ。遠巻きに窺いながら唖然としている他人らを睨み付ける暇はない。

「うへえ、かったりー。…医務室開いてっかなあ。こっから近いっつったらキャノンじゃねーか。冗談だろボケ、忙しいのにー」

呟きつつも太陽をそっと抱き上げた隼人は、地上から可動式のスポットライトを当てられている巨大な複合塔を見上げ、駆け出そうとして素早く振り返る。


奇妙な視線を感じた。
いや、まだ感じている。

顔も知らぬ生徒らの心配げな視線とは違う、不自然な存在感がある視線だ。なのに視界には、それと思わしき主の姿はない。


「…んだよ、舐めやがってクソ」

だが今は、この全身を舐める様な気持ちの悪い視線の持ち主を探している場合ではないだろう。
肌を粟立たせる視線から逃げる様に、漆黒の空に照らされた校舎目掛けて駆け出した。いつもは7時には戸締まりされている校舎の医務室だが、今夜は開いているのではないかと一縷の望みを繋ぐしかない。最短距離で行けるのは、離宮の小医務室だ。

「くしょー、隼人様を煩わせやがってドチビ。地獄で手当てされとけー」

寮内の医務室には常駐している職員が居た筈だが、明らかに時間が掛かる。寮の入り口にはわらわらと人集りが出来ているらしく、此処までも賑わいが聞こえているからだ。
裏庭を突っ切ると言う手もあるが、この時間帯の寮裏庭にはFクラスの住人が夏場のゴキブリ宜しく、それはそれはわらわらと集っている。そんな所に手荷物を抱えた隼人が行けば、格好の餌食だ。

今のFクラスは不法地帯と言って良い。
スヌーピー集団と化してきたエルドラドがある程度仕切っていた様だが、近頃は太陽のストーカー行為が表面化した所為で、その脆い均衡は崩れた。
殆ど姿を現さない祭美月は番長扱いをされているものの、実際彼がFクラスを統率している訳ではなかった。

「こんな時にアホ朱雀が居たら、猿を与えときゃ言いなりに出来たのに…はあ。鬼畜メガネ如きに潰されやがってー、雑魚がー」

第3医務室、通称、普通科医務室は文字通り、普通科の平凡な生徒か世間知らずな国際科の一部しか使わない。Fクラスの生徒は勿論、教職員でさえ近寄らない場所だ。

叶二葉と同等の性悪鬼畜が根城にしている医務室には、一度だけ行った事がある。以前クラスメートだった男と、昇級して間もない隼人は派手な喧嘩を繰り広げ、お互い瀕死で肩を支え合い足を踏み入れた。

関東とは言え都心育ちではない隼人に訛っているつもりはなかったが、その男には出会い頭から全く言葉が通じず、馬鹿にされたと思い込み怒り狂ったものだ。
実際は、中国生まれだった相手が中国漢字とデタラメ過ぎる日本語を乱用していただけだったのだが、それに気づいたのは後の話である。一度の勝負で互いの力量を認めざる得なかった二人は、だからと言って仲良くなる事もなく、片方が叶二葉に真っ向勝負を挑むと言う命知らずな愚行を起こし惨敗してからは、その行方は不明だ。

除籍扱いで今はFクラスに籍を置いている様だが、張本人は未だ復学していない。
日本語を使わないテストでは満点に近い点数を叩き出しているので、落第はないだろう。隼人が昇級する前は、帝君だった要に続く成績だったらしいが、字の書き違いなどのケアレスミスで健吾や裕哉より席順は後ろだった様だ。

「う…。ちょ、脇腹に響く…」
「サブボス、生きてるー?」
「あー…うん、薬草じゃ回復しない程度には瀕死かなー。っつー…」
「ヤロー、最近まで存在感皆無だった癖に、笑いのツボ押さえてんじゃねーかあ」

今こうして親しげな会話をしているのが、未だに不思議だった。恐らく太陽もそうだろうが、山田太陽と言う名前は知っていてもそれだけ、と言うクラスメートは多かっただろう。
実際、入学式典を迎えた当初、健吾も要も太陽の名前は知っていても、顔を思い出すまてに度々時間を要した。

「平均身長以下の癖に喉仏は人並みとか、21番の分際で笑かしやがってえ」
「2番の分際で良く言った、生き返ったら両足切り落とす」
「アナタ猫被ってたのね?隼人君の百万ドルの足を切るとか、母さんにも言われた事ないわあ」
「ちょい待ち、どんなお母様だい、それ。うちの母さんか」
「ちょい待ち、どんなお母様なの、怖すぎー」

安部河桜は幼馴染み以外に興味がない。周囲から浮かない程度には人付き合いをこなし、周囲から浮かない程度の愛想笑いをする。だからクラスメートからは憎まれない。
大河朱雀は己の快楽以外に興味がない。周りが何と言おうが己を貫き、けれど性格に嫌味がないので表立ってクラスメートから恨まれる事はない。

「いっそザオリク唱えてくれない?ラストエリクサー買ってきてくれてもいい」
「ザオラル」
「絶対、今の失敗したよねー…。うー、左半身が経験したコトがないくらいジンジンする」
「えっと…何てゆーか、ごめんね?」
「あはは、気にしないでいーよ。いきなし飛び付いた俺が悪い」

けれど山田太陽は、誰にも無関心で誰とも会話せず、まるで空気の様だった。居るのか居ないのか教師さえ忘れるほど、一種、病的な徹底だと今では思う。
今のこれが本来の彼なら、たった一月前までの彼こそ偽りで、然しそれに気付いていたのは担任の東雲と、恐らく叶二葉だけだ。

「って言うか、本気で重いだろ?ちょっと復活したから、下ろしてくんないかなー?」
「えー、普通科の医務室に向かってんだけどー」
「ざけんなドエス、俺を本気で殺す気かいっ」
「死なない死なない、お宅は不死身。あそこの消毒液ちょー滲みるけど、気絶しても死にゃしないよお、メイビー」
「お前さんとんだ最低野郎だよ、涙出てきたやないかい」
「なに見てんねやドカス、そんで睨んでるつもりい?涙目キモ、底無しの普通顔」
「ちーん!」
「きったね、こんのチビ、人の服で鼻掻んだあ!」

隼人のブレザーに包まれたTシャツの胸元、躊躇わず鼻水を擦り付けた普通顔は、続けて隼人の頬を両手で鷲掴むと、

「はー…ふぇっ、ふぇっ、ふぇ!」
「きゃー!クシャミだけは勘弁なすってえ!」
「あれ、山田君?」

太陽のクシャミは不発弾だった様だ。
号泣寸前の隼人が脱力するのを見計らい飛び降りた太陽は、着地の衝撃で脇腹を押さえながら膝を崩しつつ、きょとんとしているクラスメートを見上げた。

「やっほー、武蔵野君…いたた。まだ起きてんの?」
「天の君から頼まれた件で、国際科の演劇サークルとちょっと」
「その節もこの節もお世話になってます…今回は控え目な演出でいいからねー、本気で」
「…どうしたの?顔色が冴えないみたいだけど、お腹が痛いのかい?」
「聞いてくれるかい?ここのコイツに蹴られたんだよ」

ビシッと太陽が指差した先、足長不良は姿を眩ました後だった。痙き攣った太陽が舌打ちと共に拳を握れば、状況を把握したらしい武蔵野も痙き攣る。

「何があったか、聞かない方が良いかな?」
「気にしないで、ちょっと神帝と白百合のキスシーンにときめいて暴走した結果だから」
「はい?!」
「あはは…ごめん、ちょっと肩を貸してくれたら有り難いんだけど…」
「あっ、うん。体重掛けて良いから」

太陽より少しばかり目線の高い武蔵野は珍しく眼鏡を掛けておらず、男前な顔が晒されていた。成程これがギャップ萌か、と胸中だけで頷く太陽は若干爪先立ちで武蔵野の肩に腕を回す。

「いたた…」
「大丈夫?今夜は救護テント以外の医務室は閉まってた筈だから、少し遠いけど」
「わ、恥ずかしい事に知らなかった。左席ってホント名前だけだなー…。手当ては湿布くらいでいいから、申し訳ないけど部室エリアまで行きたい」
「駄目だよ!西離宮じゃないか!」
「大丈夫、どっかのエレベーターに乗り込めば…多分、何とかなるから」

親睦会当日だと言うのに救護テントすら知らなかったのだから、今更どうしようもない。だが立候補した副会長とは言え、遊んではあられないと息を吸い込む。狼狽える武蔵野には申し訳ないが、今は俊の元に帰らなければ。

「ちくしょー、俊には勝手な事すんなって言ってる俺が、こうしょっちゅう誘拐されてちゃ話になんないよねー…。理事長にもクソ変態会長にも宣誓してきたけど、流石に怒るかなー」
「宣誓?理事長に会ったの?」
「うん、見た。帝王院帝都、金髪だった。初めて見たよ」
「やっぱり、…灰皇院君に似てるのかな?」

声を潜めた武蔵野に太陽の動きが止まり、平凡な太めの眉が引き締まる。

「武蔵野君?」
「開会式の時、天の君の代理をしただろ?あれで、陛下に呼ばれたんだ」
「嘘…何もされなかったのかい?!何で言わなかったの?!」
「う…何もされては、ない、かな?多分、陛下は僕が偽物だって気付いてらしたと思うんだ。言えなかったのは、僕の所為で迷惑掛けてしまったから…」

口ごもる武蔵野を静かに見つめ、言い出し易い雰囲気を作った。無理に聞き出すのは簡単だが、武蔵野の強張った表情を見れば忍びない。

「怒らないから、いいよ。ゆっくりでいいから」
「陛下は…カルマって、仰った」
「もういい、判った」

生粋のレイヤーである武蔵野の徹底的な演技が悪いのではなく、彼を身替わりにした自分が悪いのだ。俊の機嫌が悪かったのは、もしかして、

「あんにゃろー、武蔵野君にセクハラしやがったのか!」
「な、何で、それ?!キスされそうにはなったけどっ、それだけだよ?!」
「OKOK、殺す。奴はもう爆撃する」
「山田君?!」
「…でも良かった、君まで懲罰棟に入れられてたらどうしようかと。野上君の事は気になるけどさ、溝江と宰庄司は何か大丈夫そうな気がするんだよねー」

エレベーターホールを目前に、少しだけ笑みを浮かべた武蔵野が唇を震わせる。

「山田君が天の君に気に入られた意味が、判る気がする」
「うえ?何だい、いきなり」
「自然体で偽ろうとせず、見栄も張らない。他人を蹴落とす事もない。林原はきっと、だから妬ましかったんだ」

肩を震わした太陽が顔を歪め、武蔵野はエレベーターへ歩を進めた。

「降格した林原に話し掛ける奴なんか居なかったよ。プライドが高かった彼は見栄ばかり張ってたから、ルームメートだった君しか優しくしてくれる人なんか」
「…俺、は。優しくなんか」
「自尊心の塊に君の優しさは毒なんだよ。惨めな気分を拭いたくて、甘えたんだ。彼は、君に」

瞬いた太陽に、胸元から取り出したメモリーカードを握らせる。憮然とした太陽を半ば抱え、エレベーターホールを一気に駆け抜けた。

「おえっ?!」
「山田君、エレベーターに乗ったらすぐドアを閉めるんだよ」
「へ?」
「溝江から聞いた事があるんだ。蜩のBGMは緊急の合図だ、って」

武蔵野の肩越しに、風紀のワッペンを付けた生徒らが駆け寄ってくるのが見える。どう言う事だと瞬けば、

「副局長が出動するって事、かな」
「…鬼畜性悪陰険眼鏡の仕業かい!」

腹より頭が痛い、気がする。
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©Shiki Fujimiya 2009 / JUNKPOT DRIVE Ink.

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