帝王院高等学校

陸章-刻まれし烙印の狂想曲-

無自覚スレーブドライバーの悲劇

静かな闇に星が瞬く。
地には光が犇めいていた。


「フフ、とても興味深いものを見てしまったヨ。こんなに楽しそうなものを使わない手はないネ」

昏い笑みに魘われた人影はひそりと闇へ呑まれ、残るのは静寂ばかり。
乾いた眼差しに光はなく、愉快げな声音には崩壊を希望する負の艶めきだけ。



「背徳を懼れぬ冒涜は、甘い蜜、かナ」


崩壊を望む者に祈りはない。

















静かな闇に星が瞬く。
地には光が犇めいていた。
街灯に誘われた夜光虫の様な群集が見える。あれは虫だ。空と大地の境を支配したつもりの、塵ではないか。

けれど邪魔ではない。
煩わしくもない。そんな事はどうでもいい。

「ふふふ。みーんな、楽しそうだな。イベントムード一色で、こっちもワクワクして来ちゃった」

彼方、闇雲に融け霞む月の下に、藍色の羅針盤。森を貫く巨大な真紅の塔が見える。
夜にも関わらず鮮やかな照明の群れに照らされた明るい下界には、暗い表情は見えない。誰もが幸せそうだった。

生活にはまるで不必要な装飾光は目障りなまでに。(或いは感動的なまでに)
大気の脈動も大地の胎動も群れを為す生き物の放つあらゆる音が、耳障りなほどに。(愛おしく感じている)

空と大地の境にあるのは、ただそれだけ。
そう教え込まれた思考回路にはどれも無感動に感じる。(けれど全てが新鮮で仕方ない)
キラキラ目映いフルムーンスターダストも、キラキラ目映い夜の大地も、キラキラと表情を輝かせる塵の群れも。(世界は余すところなく煌めいていて)

(そのどれもが新鮮で)(或いは深浅で)
(愛おしくて)(或いは無意義で)(無感覚)
(すぐにでも手が届く距離に居るのだから、つい)



壊してしまいたくなるじゃないか。



「早く会いたいな。何処に居るんだろう、ぼくの宝物…」

唇には笑みを。
瞳には悦びを。
湛えている相好は、有機物とは思えない。その稀薄さは、今にも幻の様に消え去る寸前に似ている。

(網膜に初めて映った男は言った)
(鼓膜を震わせた二人目の男は忌々しげに)

(お前は無軌道だ・と)


「でも先に『仕事』をしなきゃいけないんだ。人間って面倒だな。…そうか、『会えない時間が歓喜のスパイスになる』んだっけ。我慢、我慢…ふふふ」

存在自体が曖昧な彼は、巨大な塔の最上階から世界を見下ろしている。吹き荒ぶ漆黒の風に煽られても、その体躯が傾ぐ事はない。

「ぼくは」

呟いた声は微かに震え、何かを堪える様に唇を噛む。俯き小刻みに肩を震わせた彼は、焦点の合っていなかった瞳を輝かせ、弾かれた様に笑った。

「此処に」

(初めて鼓膜を震わせた声は言った)
(初めて記憶を埋め込んだその声は)

(お前こそが『完全』だ・と)

「…ぼくは此処に居る。ふ…はは、あはははははっ、そうだ、ぼくは此処に居る。空に手の届く所だ。ほら、大地を睥睨してるよ!ははははは!もう蟻じゃない、虫じゃない!ふふふ、ははははは…ああ、楽しいなぁ」

彼に名前はない。彼に素顔はない。
生きる為に必要な全てのものが、始めから与えられていなかった。


「…会いに来たよ。君もぼくに会いたいだろう?でも、今はまだ待ってて…」

いや、恐らく形ある全てのものが、必要なかったのだ。彼自身、必要としていないから。

「全部終わったら、君だけの羽根になって飛んでいくから」

名前も国籍も存在理由以外の、そう、全てが。



「今度こそ幸せにしてあげるからね、…ぼくの宝物。」


無機質に笑む色違いの瞳。
オラクル眼鏡が風に煽られ、闇へと消えた。







(聞こえているかい)
 (君の為に生まれたぼくは)
  (君を見付けて『幸せ』にする)
(約束したんだ)
 (必ず迎えに行くからね)
  (だってぼくは君の為に此処に来たんだ)




待っていて(もう一人にしないから)ぼくが君を幸せにしてあげる(寂しくないでしょう?)君が失った欠片を差し出して(君に宿る重い枷を消し去って)このあまねく不完全な世界から、



(深淵を俯瞰せし空と大地の境から)



不完全な君を解放してあげる。
(もう悲しむ事も傷付く事もない所へ)










体格の割りには軽い体を草むらに横たえ、汚れた頬を拭ってやる。あどけない寝顔に苦笑し、辺りを窺った。
本来ならば部屋まで運んでやりたい所だが、何しろ目立つ立場なのでそうもいかない。寝顔は精悍な長身を一瞥し立ち上がり、近場の木に跳び登った。

「悪いな隼人」

従った訳ではない。
生意気な弟分を見捨てられなかっただけだ。だからあの平凡な後輩に従った訳では、ない。名前だけのお飾りには何の権利もないのだから、命令される義理など何処に。


「…お前もカルマの犬なら我が身は自分で守れ」

宵闇を真空が密やかに舞う。
静かな虚空を見上げ、雲間に消えた月の光を認め、目を閉じた。


全ては彼の為に。
(犬としての努め)
例えそれが自己満足でしかなくとも、
(他に何も出来ないよりは救われるのではないかと)
裏切り者と謗られ嫌悪の目で見られたとしても、
(自分以外に助けを求める相手など、見つからなかったから)

己を(信じてはいないけれど)貫いてみようかと(初めて)思ったのだ。


「兄貴」

彼はもう、従うべき人間ではない。無慈悲にも彼は、忠僕である為の名を放棄した。だからもう従う理由も義務もない。か細い糸で繋いできた権利を、容赦なく剥奪されたのだから。

「総長じゃなくなっても、アンタは俺にとって、最高にカッケー兄貴っス」

騙されたのだ。年下の癖に。
などと、思った事は一度もない。

仲間には内緒で調べ上げた身の上を報告されても、恨みなどなかった。ただ、それが事実なのだと知らされただけだ。

「…そっちにとっちゃ、迷惑だろうけどな」

年の差に腹立ったのは教室が違う事くらい。下手な変装に腹立ったのは、あの神々しいまでの威圧感が霞んでしまっていたからだ。


口調が違う?だから何だ。
総長の座を退いた?だから何だ。


彼はいつもいつも回りくどかったじゃないか。
毎晩喧嘩に明け暮れていた佑壱に赤い首輪を差し出し、お前は俺の犬だろう、と。簡単に喜ばせておいて、本当は、無駄な喧嘩をやめさせただけ。
女性には手を上げるな。笑えるほど正論だ、偽善的と言っても良い。だからカルマの大半は、親から暴力を奮われた事のある子供ばかりだが、復讐はしない。どんなに恨んでいても、だ。

「アンタはたらし過ぎだ。ドイツもコイツも惹き付けて、その自覚がない悪人ですよ。寝ぼけて抱きついてきた癖に容赦なく蹴り飛ばす寝相の悪さも極悪だ。酔っ払った時のアンタは極刑になったら良いと本気で思ってた」

悲しみは長続きしない。
彼の言葉の裏にはいつも、優しさだけが敷き詰められていると知っているから、今は。言葉の裏の伏線ばかり手繰り寄せるのに必死だ。

「誰彼構わず食いもんと間違えて舐めたり吸ったり齧ったり…とんでもなくエロい面で言葉攻めしたりする癖に無自覚とか、刺されば良いのに…」

その全てがただの思い込みでしか、ないとしても。(自分勝手な妄想だとしても)
(絶望するのはもう、疲れた)


「俺如きが浅はかな事やってんじゃねぇって、思ってんのかなぁ」

難しい。
彼はとても強い人で、誰よりも優しい人で、恐らくとても、弱いのだろう。だから月に数回程度しか現れなかった。カルマにはあの人が居ない事の方が多かった。
呼べば会える。待っていればメールが届く。けれどそれは頻繁ではない。待ちくたびれて待ちくたびれて、いつも先に連絡するのは犬の役目。

「山田は多分、良い奴だ。多分、信用して良い。高坂もかなり良い奴だ。ルークよりずっと総長を大切にしてくれる…多分。はぁ」

甘い餌を仕込み、甘い餌をねだる。
腕によりを掛けた料理で、誉めて貰うのが何よりも幸せだ。

「でもあんな奴らは世界中に溢れてる。死に際には豹変する、本性は偽善者だ。人間なんざ信じたら…今度こそ殺される」

彼が望んだから、たった一通の置き手紙だけで姿を消した男を恨まなかった。
調べ上げた身上書を一つ漏らさず読み漁り、誰よりも先に見つけてやると心に決めた。全ては、神帝に奪われない様に。

「…だぁっ、畜生!汚名返上、名誉挽回、後悔なんて俺の辞書にゃ載ってねぇ!上等だ。人間不信・唯我独尊、とことん極めてやる…!」

ロッククライミングならぬウォールクライミングで辿り着いた寮の一室、部屋の明かりが付いていない事を確認しバルコニーに忍び込む。
近頃開く事もなくなった携帯をポケットから取り出し、データフォルダーを上から順に眺め更けた。未練がましいにも程がある。

メールにも画像にも動画にもデコメ一つにしたって全てに、思い出が染み込んで。どんなに強力な染み抜き洗剤でも、真っ白にする事は出来ないのだ。
未練がましい。けれど誰にも気付かせなければ良い。馬鹿な犬が飼い主を忘れて野良犬になった、良くある話だ。


どっちも選べない。(二人の皇帝)
つくづく未練がましい性格は、選べないなら選ばない道を選ぶ事にした。どちらも手に入れようなんて身の丈に合わない望みなど、初めから考えもしない。

漆黒に白銀を混ぜれば灰色だ。
二つは決して混じり合わない方が良い。

そう、言い聞かせてこれから、自分以外の誰もを有機物として扱わないつもりだ。
他人がどうなろうが構った事ではない。自分が自分である為には、幾らでも犠牲になって貰うだけだ。


「最近、暑くなって来たな…」

いつか大切だった人、どちらもを。選べないないから選ばないまま、守る為に。


未練がましい言い訳だ。
そのまま暫く膝を抱え空を眺めている内に、眠ってしまったらしい。









『兄様、用って何?』
『総長、珍しいっスね呼び出しなんて』

『来たかファースト、これを』
『やァ、イチ。誕生日はもう終わってるって聞いたけど、似合うと思って』

『え。石の髪飾り?…もしかして作ってくれたの?!』
『チョーカー…?お、う、マジかよ?!これ首輪じゃねぇっスか!ええ、えええ!』

『ディープシーサファイアとピジョンブラッドだ。そなたの瞳や髪に良く映える』
『やっぱり赤でイイみたいだ。切れ長の眼と綺麗な髪に良く似合ってる』


夢を見た。


『すっごく嬉しい!有難う兄様!大切にするからっ、一生、大切にするから!』
『やっべ、マジ…嬉し泣き直前っス。これで名実共に俺ぁ兄貴の犬、って事かよ!かーっ、苦節二ヶ月ッ、感動パネェ!…やべ、コンタクトずれそ』


『『そうか』』


それは酷く遠い昔の。
それは比べようがないくらい幸せな夢だった様な気がするけれど、内容はさっぱり覚えていない。



『ねぇ。お前は誰なの?伯父上の子供って、本当?』
『テメー、この俺を睨むたぁ良い度胸じゃねぇか…!正々堂々勝負しろ!』

『何、伯父の子供なのに子供が通じないんだ。…仕方ないから僕が教えてやる、まず時代錯誤な日本語はやめろ』
『コラァ!さっきから避けてばっかで舐めてんのか臆病者!んのっ、………へ?』


夢を見た。
覚えているのは、それだけ。



『嘘だろ、たった一ヶ月でもう英語覚えたの?』
『あ…?今、俺、空、飛んだよな…?』


『この調子だとすぐに世界征服するよ!凄い凄いっ、なんて頭が良いの!兄様っ、やっぱり兄様は神の子なんだ!』
『お前…アンタ…いや、兄貴!俺は嵯峨崎佑壱14歳っ、中二っス!背負い投げられたんが人生初だったんで、反応が遅れてスんませんっ!感無量っス!』



ただ、その時はこのまま目覚めなくても構わないと思えるほど、歓喜に満ちていた筈だ。




「…ちっ。何でンな所で寝てやがる、馬鹿犬が」


疲れ果てた表情で窓を開けた部屋の主の呆れた声にも、抱き上げられる刹那にも、全く気付かなかったのだから。
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©Shiki Fujimiya 2009 / JUNKPOT DRIVE Ink.

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