帝王院高等学校

陸章-刻まれし烙印の狂想曲-

未成年の飲酒淫行は御法度バッド!

幻想的な月明かりは雲間に呑まれ、夜の静寂に狂気が蠢いた。

こんな夜は早く瞼を閉じるに限る。
そう諭してきたのは理性の欠片だろうか。細い絹糸一本繋ぎ止めた意識は未だ、眼球を狂気から逃そうとしない。

「…は」

飲み干したタンブラーを怠惰に握る腕は腹の上に投げ出し、転がるボトルを投げ出した足の爪先で誘えば、中身を失った瓶は何の抵抗もなくローテーブルから転げ落ちる。
ソファの下は、ボトルシップの彷徨う死海さながらだ。健やかな寝息の主が見れば何と罵ったか。
無作法、怠け者、ロクデナシと、豊富な辞書から悪口だけ投げ寄越したに違いない。想像するだに情けないが、罵るだけ無駄だと無視された場合はどうだろう。およそ顔には出さず飄々面を演じて、底無しに落ち込むに違いなく。

そう考えた所で頭を振り、己の思考系統の愚鈍さへ苦々しく舌打ちしたつもりが、麻痺した舌は呂律どころか正常な機能の一切が怪しいかった。軽快な音を発てる所か上顎に張り付いた舌は、舌の根が乾いて剥がした瞬間チリっと痛みを走らせる。

充分過ぎるほど摂取した水分は喉をからからに干からびさせ、瑞々しい脳から思考能力を奪っていた。気を許せば一瞬で夢も見ない眠りの深淵へ落ちる間際にありながら、往生際悪くしがみついている自分は、どんな顰めっ面をしているのか。
舌打ちの代わりに溜息を零せば、生暖かいアルコールの匂いが鼻腔を犯す。判った事は、嗅覚の方が舌より役に立つなどと言う、何の役にも立たない状況観察だけだ。

腕も足も頭も重い。ズブズブと底無し沼に呑み込まれていく感覚。扉の向こうのワイナリーに行く気力は勿論、上体を起こし手を伸ばせば届く距離のミネラルボトルを掴む余力もない。
然しこの情けない状態で眠りに就くのは自尊心が許さず、加えて、艶やかなペルシャ絨毯の海に散らばるボトルシップを救助する者も居ない今、片付けなければならない事くらいは辛うじて、そう、広大な砂漠に落ちた一粒の雨くらいには判っている。


判っていても、そうはいかないのが現実だ。

ローテーブルの上に投げ出した足、一人掛けのソファには自堕落に酩酊する男が一人。自尊心だけは酔っ払いの癖に一人前で、窮屈な一人掛けのソファではなく向かい側の長ソファへ移動する事も出来ない。気力があったとしても・だ。
長ソファからはベッドが嫌でも見える。誰がこの配置にした、と今更怒鳴った所でどうなるだろう。怒りの理由を問われ言葉に詰まるのは誰か、明らかだ。

平穏に寝息を発てるベッドには、危機感のないお姫様。

「ひ、め?…違ぇ、」

我ながら酷い声を放ち、力無く頭を振る。誰に否定しているのかは不明だ。此処には人間は一人しかいない。尤も、まともな判断が出来る、と言う冠詞が付いていれば話は別だが。

「天使だ」

ローテーブルに投げ出した足を泳がせ、背凭れから離れようとしない生意気な背中を意地で正す。こんもり盛り上がったベッドには、『服を着た』眠り人。
獣の様に欲を求める強かな羊でも、それを貪る愚劣な狼でもない。


本物の狼。


同時に複数と交わる事を嫌い、ただ一匹の伴侶と行動を共にする愛情深い獣。無垢なほど潔癖で、強く気高い余り迫害され絶滅した、美しい獣。野生の王。

雌に狩りを強いる怠惰なライオンは、気が向いた時に決闘するだけの野獣だ。死ぬまで己が如何に愚かなのか、気付かない。

誇り高い狼は、自分の存在が他人にどんな影響を与えているか知ろうともせず、健やかに眠っている。自分がどんなに無防備であるか、自分がどんなに卑劣であるか、永久に気づく事はないだろう。

天使は無垢と言う、最大最強の武器で獅子を追い詰める。悪魔にも勝る卑劣な手段に正々堂々抗うには、怠惰な生活を送りすぎた。
真っ正面から見る勇気があれば、背中の翼が白ではない事を問い質していた筈だ。


真っ赤な髪の天使。夕暮れを背景に降臨した天使は、夜を運ぶ月船の運河が如く深い藍色をしている。

名前は聞かない。
天使なのだから、それ以上知る必要はないと信じていた幼い頃の自分は、どんなにおめでたい馬鹿なのか。

心優しい天使は『兄』を探していた。
心清らかな天使は悲惨な目に遭いながら、自らの身よりも『兄』ばかり案じていた。
一度も名を聞かないまま、また一度として名を聞かれないまま、燃える紅蓮の天使は姿を消した。馬鹿な子供の背に傷を、脳に鮮烈なまでの記憶を残して。

『ひなちゃん。ビーフジャーキーばっか食べてないの』

動物の肉を食べるなんて可哀想だ。
幼い頃から干からびそうな捨て亀や、痩せこけた野良猫を拾って来る父親に感化されたのか、動物は愛情を注いで野生に帰すか里親を見つけるまで保護しなければならないと、思っていて。
けれど天使は、目に見えるものは干し肉しか残さなかった。背中の傷も鮮烈な記憶も、自分では見る事が出来なかったから。

取り憑かれた様に半年ほど干し肉ばかり貪る息子に、両親は、主に父親は折れた。

無人島でも生きていけるだろう母親は、あらゆる牛肉料理を拵えても干し肉にしか手を伸ばさない息子を早々に見限り、最後に牛一頭を丸々食卓に飾りテーブルを壊してからは、普段の料理しか作らなくなったのだ。

なければ食べない。
母親似の頑固な息子に、父親は悲壮な表情でこっそり干し肉を差し出し、母さんには内緒だと念を押した上で、何がお前をそうさせた、と。哲学書のタイトルの様な台詞を投げ掛けてきた。書斎とは名ばかりの、超趣味一色に統一された教育に悪い隠し部屋、で。

天使に会ったと言った時は片眉を跳ね、嗜虐心をそそられたとばかりに揶揄の笑みを浮かべ、殊更しつこく冷やかした男は徐々に顔色を失い、最後には、

『ひなちゃん、ビーフジャーキーを食べるのはやめろ。良いか、現実には天使なんか居ないんだ。サンタは居ても』

判ったね、判ったな、良いからさっさと判ったと言え、ワレェ舐めとんのか糞餓鬼ぁ。

とうとう初めて父親から凄まれた息子は声の限り泣き叫び、様々な理由で慌てた組長は土下座した。


頼む泣くな母さんからパパ殺される、その前にこの部屋が見つかったら切り刻まれる、浮気のつもりはないんだ昔はアレがアレだったパパだけど今はママに心底惚れてるし、だから同人誌は純粋な趣味であって決して未だに生意気そうなネコ…ごほんごほん受けにタチ…げほっ攻めたい訳では………お願いだよぉうひなちゃん、泣かないでぇひなちゃん、見つかっちゃうよぉおう!おうおう…ぐすっ。

天使は居ます。
泣き落としならぬ泣き脅しで父は前言撤回し、息子は名前すら知らなかった天使の正体を知ったのだ。


エアフィールド=グレアム。
空白の、と言う名を持つ天使は神の妹の子。口さがない大人達からは禁断の子供として『エデン』と呼ばれているらしい。

けれど禁断の子供はまだ、居た。
ブラックシープと呼ばれている白髪の枢機卿には敵も多く、後から現れた彼を陥れ、彼よりも扱い易いエデンを後継者へと推し進める派閥もある。実際エデンはルークが現れるまで、筆頭後継者だったのだ。故に通称はファースト。貴族特有の自尊心高く生意気な性格だが、『セカンド』よりは捻くれていない。
反ルーク派の彼らが呼ぶ愛称が、エンジェル。母親が生まれたばかりの赤子をそう呼んでいた事に由来し、今ではエアフィールドと言う名を知っている者は限られているそうだ。

『エアフィールド。エアフィールド…アメリカの名前は格好いいです』
『今はもう、ある意味天使じゃなくなったみたいだがなぁ…』

天使は家出したと言う。
それも病院で出逢った赤毛のオカマが、天使の父親らしい。母親だと思っていた自分は、自分の母親が世間一般から逸れていた事をそこで初めて知った。


サガサキユウイチ。
サガサキ、ユウイチ。
呪文の様に繰り返した名前。

それさえあれば、地獄の様な異国の生活も耐えられた。何度となく毒殺され掛け、何度となくナイフを向けられ、ベッドには毒蛇が蠢き、湯船の入浴剤が硫酸であっても。
必ず爵位を手に入れてやるのだ、と。

『良いですかベルハーツ。次に屋敷へ戻る時は、家名に恥じない伴侶を連れて来なさい』

念願だった日本への一時帰国は、言わば最終試験だ。この地獄の深淵へどんな女を連れてこいと言うのか。
孫が殺され掛けていると言うのに見て見ぬ振りをする冷血な老女には、何の慈悲もない。

何故、幾ら誘拐しても連れ返された孫が長々留まっていたのか知れば、泡を食って追い出しただろう。血筋がどうだとは、この際目を瞑ってでも。

『公爵たる家名に相応しい、聡明にして万人を平伏させる器の伴侶を連れて戻った暁には、お前をヴィーゼンバーグの当主として認めます』

従順な振りで頭を垂れた夫の不義の子が産み落とした血の繋がらない孫が、

『仰せの通りに。…マダムヴィーゼンバーグ』

まさか、公爵家を筆頭に王国から追い出した悪魔の一族、に。


(隠居した後で喚くなよ、糞ババア)

近付く為だけに権力を求めたとは、知りもしない癖に。




天使は男爵家の家名に守られ、片や自分は裏社会家業の後継者と言っても一般人。
両親が悲壮な顔でやめろと諭した。頼むからと懇願した。それら全てを振り払い、意気揚々と地獄へ飛び込んだ子供は魔物共に鍛えられ、いつしか道を間違えたらしい。

『おいでピナタ』

優しい人だった。心底陶酔するのは、備えた清廉さと気高さに嫌みが全くない所だ。あれを嫌えと言う方が難しい。
敬意に値する威圧感、甚だ一般的ではない身のこなし、何を考えているのか読めない黒髪の男はいつしか銀髪がトレードマークになった。まるで、いつしかの枢機卿の様に。


そして二人の皇帝は出逢う。そもそも定められていた運命の様だった。


あれを嫌えと言う方が難しい。
人嫌いの人格崩壊者すら骨抜きにした恐ろしい男だ。悪魔よりもずっと質の悪い、妖魔かも知れない。ならば益々、人間があれを嫌えと言うのは愚かしい事だ。


彼を間近で見ている内に、好きになっていく心は純粋だった、と、思う。いっそ彼と生涯を共に出来たら『諦められる』のでないか。今でもそう、信じている振りをして、己を騙そうとしているのだ。

本当に大切ならば、あの地獄に連れて行こうだなどと、どうして考える?


打算。自分をも騙す強かな打算。
見抜かれてるに違いない。そう感じるのは疚しいからだ。ワインボトルを絨毯の海に沈め、どんなに惨めな姿を晒しても自分は、利己的な事ばかり考えているのだ。


あれなら大抵の人間は平伏すだろう。
あれなら大抵の魔物は適わないだろう。
あれなら老いぼれた自尊心高い女王を、容易く篭絡するだろう。
そして何より、彼が居る所には必ず、天使が。赤毛の天使が、舞い降りる。


甲斐甲斐しく料理を振る舞い、無垢なほど従順に徹する天使は、彼以外には従わせる事が出来ない。何故ならば狼は、一度決めた伴侶を決して変えないからだ。

例え哀れっぽく哀願しようと、快楽に溺れさせようと、力で抑えつけようと。
地獄まで付いて来て欲しい、などと言えば最後。不死鳥は迷わず嘲笑で焼き殺す。
飼い主には頼まれずとも付いて来る癖に。

「…阿呆犬の鼻息でしっかり興奮しやがって、糞情けねぇ」

空のタンブラーを握っていた手は全ての力を失い、腹に転がった。不埒な腹の下は仕立ての良いスラックスの下、泥沼の泥酔状態で尚、呆れる程の存在感を発揮している。
主の意気地なさに呆れているだろうか。頼まれればにべもなく、誰彼構わず服を剥ぎ取る手はグラスも握れず、ファスナーを解放してやる事もない。
ただひたすら他人の寝息を、息を殺して聞いている。服を脱がす甲斐性などある筈もなく。

寝顔を覗き込めば、その場で暴発必死だ。その内、甲斐性なしの持ち主を見限り別の雄の下半身へ移住しまうかも知れない、とは愚の極み思考。

心臓が爆発するかと思った。
何かの誓いの様に死守してきた唇が、他人の熱を覚えた時は。だから腕の中で喘ぐ真紅の睫毛を見た時には、木っ端微塵になったのだと。


眠りへ沈む間際の、言い訳。
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©Shiki Fujimiya 2009 / JUNKPOT DRIVE Ink.

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