帝王院高等学校

陸章-刻まれし烙印の狂想曲-

果てなき欲悪に彩られた刹那

渇愛。
愛のみを乞い喘ぐ、死の間際。



苦痛に歪む眉間へ繰り返し口付けを落とす。こんな刹那にさえ欲情する性は、存在し得るあらゆる罪のどれと比べても、最も重い咎ではないのか。

「少しは楽になったか?」

どんな薬も効果はないと理解した上で、出来るのは宥めの口付けと、アロマテラピーなどと言う民間療法だけだった。

何と無力か。
何と無能か。
悲痛に暮れる容貌を前に、出来る事など皆無だ。己がただの人間である事を、彼はつくづく思い知らせてくれる。


カイちゃん。

健気に応えるか細い声は苦悶の唸りに掻き消され、脂汗を滲ませる額の下の眼差しは、薄く開かれているが、それさえ彼にとっては精一杯なのだと判った。

眠れ、と。汗で張り付いた前髪を撫で梳き、言ってやるのは最大級の慰めになるだろう。然し身勝手な人間と言う獣は我が身可愛さに、愛しい生き物を眠らせようとしない。

「俊」

見ろ。
俺だけを見ていろ。
決して瞼を閉じてはならない。
その気高く脆い、跪く事さえ躊躇わせない意思の強い黒瞳を、斯く、開いていろ。

そして愛している、と。
嘘でも構わないから、その唇で、言葉に。

「…俺に言葉を与えてくれ」
「カ、イちゃ…っ、う、浮気、しちゃ…めー、ょ」

ゆったり、苦痛に耐え震える指が、伸びてきた。攫う様に抱き運ぶ最中、誰にも邪魔されまいと歩を早め、辿り着いたのは自室でも医務室でもなく、寮だ。
漫画と小説が散らばる一年帝君部屋は、最後の記憶から数日経っていても何一つ変わっておらず。念入り過ぎるセキュリティーで室内を固めてしまえば、もう邪魔に悩まされる事はない。

即売会に足を運んでくれた読者から貰ったのだ、と。大切そうに飾っていた淡い紫のキャンドル、およそ俊には似つかないオイルライターも誰かからのプレゼントらしいが、今日の今日まで新品のまま、油を差される事はなかった。

「何?」
「浮気…しないで、ちょーだい」

荒く上下する喉仏を見つめたまま、鼓膜を震わせた台詞はまるで呪いの様に。

「他の人に、ッ、ハァ、好きって…っ、言わな…」

ああ。
これで一生涯、哀れな動物は漆黒の双眸に囚われたまま、滅びるだろう。雄の性を容易く揺さぶる罪深い純朴の言葉一つで、すぐにでも平伏してしまう。
跪く事で陶酔を感じてしまうに違いない。一生涯、お前にだけ忠誠を、などと。

「判った。お前以外に言った事がないから、簡単だ」
「他の人に…、っ、ふぅ。チューしたら、うぇ、めーょ…!」
「…誓ってしない。他にはないか?何なりと従うから。俊、俺に言葉を」
「も…どっかに行っちゃ、駄目、ょ」

息が止まるのが判った。
ぎゅっと首に抱きついてきた体躯を受け入れ、縋る背を無意識で撫でながら、ああ。眼球が熱い。灼けそうだ。なのに、頬を滑り顎から滴ったのは、灼熱の溶岩ではなく、冷たい水滴だった。


何だ、これは。
瞬きと言う自発的行動を忘れた瞼から滴り落ちていくこれは、何だ。


ぎゅうぎゅう強い力で抱き付かれたまま、全身を這い上がる凄まじい罪悪感は、何故、消えようとしない?
判った、と。言えばこの素直な生き物は何の疑いもなく信じ、苦痛を忘れ笑みを零すのではないか?
満足させてやるのは簡単だ。何を躊躇う。
判った、お前に従う、と。さぁ早く、愛しい笑みを得る為の呪文を、今。


「カイちゃん」

耳朶に吐息が掛かるほど近くから鼓膜を震わせた小さな呼び声に、抱き締める腕を解いてやる事は出来ない。
真っ正面からその眼差しを受け入れる余裕が、全くなかった。それどころか益々力を込めた腕は、しなやかな背を砕かんばかりに尚も。顔を埋めた首筋に何度も口付けて、けれど顔を上げられぬまま。


「大好き」

神よ。
何処に居るのだ、斯くも慈悲深く残酷な万物の神格は。


己を恥じる。
斯くも真摯に我が身を厭う。
何故、こんな穢悪を世へ産み落としたのだ。
何故、こんな至極の魂を穢れた羊の元へなど、導いたのだ。

カプリコーンは死神を司る羊座の大鎌。
羊、黒羊、厄介者のブラックシープ、やはり自分は、産まれてはならなかったのだ。



「俊」

尽きぬ欲にかまけ、業を省みなかったこれは、天罰としか思えない。



裸の王様。

見透かした様に、いつか人の神は打ち付ける冷雨の中、嘲笑った。
つまらない敗北感か敵愾心か。退屈凌ぎに日向を揶揄うべく、初めて足を運んだカフェカルマには一通の封筒。
再会を回避する為に姿を消した様な男を、探し始めたのはただの、思い付きだ。


すぐに見つかった。
幾ら姿を変えてもあれを、見間違える筈はない。雑音だらけの世界で唯一、彼の奏でる音は吐息も脈拍も足音も全て、清らかな旋律の様に鼓膜を震わせる。


脆い皇帝よ。
何も彼も得て尚、他を見下し嘲笑う人の名付けた神皇帝よ。すぐに化けの皮を剥がし、己がつまらぬ人間である事を証明してくれる。
さすれば興味は消え失せ、いつか見透かした様に嘲笑った人間の敗北を世に知らしめるのだ。

これは復讐ではない。(言い聞かせる様に)
これは憎悪ではない。(父に良く似た、愛される躯)
羨ましいと、思った事など一度も。(望まれて産まれた魂)

(安普請のアパートに)
(転がる玩具は幸福の象徴とばかりに)
(父と見知らぬ女は微笑みかける)

(しゅん)
(しゅん)
(大切な我が子)

(お前が居れば何も要らない、と)
至極愉快ではないか。お前など要らないと言われた悪魔とは、雲泥の差だ


復讐などではない。
初めて正面から目にした人神皇帝が何者なのかは、火を見るより明らかだったが、名を問い質さなかったのは些細な、虚勢だ。

(お前も与えられたのか)
(駒の銘を)
(十番目の俺とは違い、両親が悩み名付けた名と共に)
(俺が何よりも欲しかった銘を、与えられのか)



『その罪は、』


(騎士、と)


『カイザーの身を以て償わせる』

退屈凌ぎには、最適だった。



そして気付かされる。
繰り返す偽りの日常で観察を重ねる内に、奈落へ呑まれて行く課程に。抗えない不可視の力に引きずられ、化けの皮を剥がされたのは、こちらの方だった・と。

思い知ってしまった。
(同時に、後戻りは不可能だと)


「しゅん」
「な、ァに?」
「お前は俺を許さない」
「ぇ…?」
「嘲笑うか。万物を見透かしたお前は既に、嘲笑っているのだろう?」

裸の王様。
仮面など何の防御にもならない。誰にも見せたくない本心を覆い隠し、いつしか自分自身にさえ見せまいと、虚勢を纏い生きていた、裸の人間。愚かな生き物。
脆く、穢れたブラックシープ。

「馬鹿な男に付き合って、心身共に差し出すお前は、酷い」
「カ、イ…ちゃ…?」
「息の根を止めるまで怒りを鎮めようとしないのだろう。…判っている、俺などに気高いお前が愛を与える振りをしてくれるだけで、業腹だ」

けれど辛い。
どんなに愛していると繰り返そうと、通じない現実に狂い死にそうだ。嘲笑われているだけと判っていて言葉を捧げ続けてしまう自分の愚かさに、脆弱さに、息の根を止めてくれと誰彼構わず乞うてしまいたい。

「許してくれ」

誰か今すぐこの口を、

「愛している」

これ以上、穢れた口が彼の怒りを煽らぬ様に。

「お前を、抱きたい」

慈悲深い神の嗜虐心を、これ以上。煽った果てに待つ絶望の威力を、どうか。


「どーぞ、召し上がれ」


清らかな笑みを浮かべる唇が奏でた呪文は、更に残酷だ。無垢を装う人神皇帝は最後まで、斯くも強かに容赦がない。

「カイちゃんが何したって許すわょ。だから泣いちゃめーよ、お目めが溶けちゃうにょ」

ああ、本当に愛されている様だと哀れにも錯覚してしまう。希望に満ちた優しい笑みと頬を挟む温かい手が、赤子の手を捻るより容易に、絶望へ突き落とそうとしている。

「カイちゃん」
「………酷い」
「いっぱい、大好きよ」
「地獄の王にも勝る、無慈悲な男だ」
「だから…何処にも行かないでちょーだい」

幸せな夢を見ている。そう思い込めれば、惨めにならずに済むのだ。



絶望へ続く誘惑は抗い難い甘美な響きを以て、彷徨える羊を手招いた。
意志の強い眼差しが網膜を焼き付けた刹那、人としての理性は覆い隠してきた本能に喰い殺され、塵と化す。


喰らい付いた唇は受け入れる様に薄く開き、処女の恥じらいを装う様に、愚かな雄の欲を震えながら寛容した。足りない足りない、もっと深く、受け入れろ。

絡み合う舌は結合を解く素振りなく、温かい体温を余す所なく弄る手はもう、誘惑に陥落している。喰らい尽くそうと足掻き喰らい尽くされる最中、


じわじわと、破滅へと突き進んだ。


繰り返し繰り返し執拗なほど、餓えた欲を口付けの合間合間に囁き、それと同じだけの愛を与えられる。
至福、苦痛、幸せ、辛い。もう自分が何を考えているのか、判らない。


「ん、ァ…!」

引き結ばれた唇を意識的に塞ぎ続けた。
少しでもこの痛いほど全身を満たす幸福が続く様に、皇帝が破滅の呪文を唱えるのを遮ろうとする。

貫いた肉の内側を狂った様に抉り、痛みと快楽が融合せし音を為さない声を逃がすまいと招き寄せれば、打ち付ける肉同士の爆ぜる音は一層強く。
諸共、砕けてしまえ、と。


人神皇帝の酔狂は、幾度となく精を吐き出しても終わりを迎えなかった。
白濁する意識の糸を紡ごうと健気に抱きついてくる体躯はいつまでも、聖母の如き慈悲を持って穢れた獣を甘やかしている。


愛していると、何万回、繰り返したのか。
届く筈のない哀れな言葉を幾度、罰当たりにも捧げただろう。


膨らみのない胸板が大粒の汗を浮かべ、荒く上下する。幾分なだらかな腹を撫で回し、突き上げる己が欲の証が獰猛に皮膚を押し上げる度に、負の愉悦に満たされた。


穢れてしまえ。
酔狂な皇帝が気づいた時にはもう、手遅れだ。気高い王よ。見下し嘲笑った男への憎悪を腸へ孕み、激憤するが良い。
何者にも屈しない漆黒の眼差しに絶望を宿し、己が過ちに嘆くが良い。

それこそ人間の証、後悔だ。

悔しいだろう、もどかしいだろう、死んでも死に切れぬと怒り狂った所で、過ぎた行いを正す術はない。


「しゅん」

神を犯す男の顔を刻み込め。
孕ませた黒羊を憎め、恨め、厭え、つまらない容赦を与えた己を恥じろ、全ては身から出た錆と。悔いた瞬間、お前は一生涯、忘れる事が出来なくなるのだ。

「俺を見ていろ」

人間は猿が進化した動物だ。
あらゆる欲に溺れ、あまねく罪を背負い愉悦に浸る。

「私だけを見ていろ。…そなたの躯胞を割り裂く雄の全てを、瞠目し、その聡明無垢な魂の根底に刻み込め」

烙印を。
消えぬ徴を。
手離した後、誰と睦み合おうが生涯お前は、忘れる事が出来なくなる。

「可哀想だ」

愛しい愛しい愛しい、その無慈悲で傲慢な魂がどうしても、愛しい。快楽に屈した素振りで甘く笑む唇の残酷さが、愛おしい。
人は須く危ういものに弱い生き物だ。禁忌の林檎へ手を伸ばす事を躊躇わない。

「神の傀儡である私よりも遙かに、哀れだ」

愛を知らないまま死ぬのか。
人の世では神として生きていかなければならない皇帝は、身を焦がす渇愛を知らぬまま死んでいくのか。
可哀想に。それが何より残酷な事だと知っている。今はもう、皇帝の仕掛けた罠に跪く事よりも、愛を知らぬまま滅びる方が怖い。


乾いた砂漠で水を求める様に繰り返し、愛を乞う。残虐な皇帝は鉄壁の仮面を剥がさずに、繰り返される執拗な求めに応えた。


哀れなのはどちらだ。
少なくとも自分は今、世の誰よりも幸福だと信じて疑おうとしない。後の崩壊を甘んじて受け入れられるだろうとさえ、思う。



「愛している」

くたりと力を失った体躯に尚、繰り返した。愛欲に抗えぬが故に大罪を喜んで背負う人間は、渇愛の果てに割愛を覚えるのだ。


あれだけ愛して欲しいと願った過去を忘却し、今ではもう。



「…憎らしいほどに。」

彼が与えるものならば、憎悪だとしても、構わないと。
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©Shiki Fujimiya 2009 / JUNKPOT DRIVE Ink.

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