紅き黎明の花嫁

未だ視ぬ海の果て

 ├3┤黒髪王子とハニーニャムル

膨れるだけ膨れた腹を抱えながら無駄に長い回廊を歩く男は、尻尾の様な黒く長い三つ編みを揺らしながらハフハフ満足げな息を零している。
無駄のない体躯は腹だけが無残にも飛び出しているが、纏う服は思うより伸縮性に富んでいるらしく主人を苦しめる事が無い。

袖が無い黒の上衣は肌にぴったりフィットし、襟口にあしらった太い金細工の輪は瀟洒な喉防具だ。鎖骨の中腹から肩口全て晒されており、日に焼けた褐色の肌が健康を滲ませている。
腕には指先から二の腕までを覆うロンググローブがあるが、使い古されたそれは爪先から指の根元まで破れ果てて、今や指無し手袋だった。

本来細い腰には3連の革紐で、膝丈程の白い腰巻きを巻いている。上衣と同じ黒の短いパンツは機能的だが太股を僅かに晒していて、残る快活な脚は膝から下全てを長く分厚い焦茶のブーツで覆われていた。
後ろ半分しか保護していない腰巻きは歩く度にゆらゆら舞い踊り、纏う人間の心境を表しているかの様に楽しげだ。


「アルザーク殿下、ご機嫌よう」
「おう、今日も暑いなァ。なのにガヴァエラは雪降ってんだろーな、憎悪」
「はは。ノイエ族の住まうストラ大陸では、きっと我々など生きていけないでしょう」
「ノイエは黒焦げの肌だとさ。黒胡麻団子の黒蜜掛けより黒いのか判ったら教えてちょ」

通り掛かる臣下達と適当に挨拶を交わし、庭園に差し掛かった所で休憩とばかりに腰を下ろす。
数メートル先にある木製の長椅子へでも、天使像が美しい白亜の噴水へでもなく青々とした芝生の上に、だ。

「はァ、エルボラスの肉団子の甘酢あんかけは相変わらず美味かったなァ。ブルーパプリカとロドキャットの挽き肉醤油炒めもどうしようもなく美味しかったし…。毎日あのご飯でも生きていけるぜ、俺」

13歳で止まってしまった身長は174cm、一昔前は同世代の誰よりも大人びていたアルザーク王子こと俊も、今や17歳の実年齢より二つ三つは幼い印象を与えるただの平凡少年に成り果てた。
昔は小さくて可愛かった弟はすくすく成長し、16歳にして180cmに届くほどの長身だ。色合いこそ違えども幼い頃はそれなりに似ていた顔立ちも、今や美貌のベルハーツと平凡アルザークほど似ていない。日向はその腹黒さを微塵も窺わせないやや垂れた目元をしているが、俊はやや吊り上がった大粒の木の実の様な目をしている。食べている時と絵物語を読んでいる時以外笑わない所為か、宮殿を訪れる吟遊詩人にとって精霊の国『唯一の闇』色を纏う俊は、ラグナザードの神帝に並ぶ存在に思えるのだろう。


「あー…然しマジ暑ィんだけど、何処も此処も…」

妊婦を思わせる腹を抱え、ぼんやり見上げた空は抜ける様に青い。
ピンピン跳ねる癖毛の黒髪と、サラサラストレートの金髪と言う色だけではなく髪質まで違う兄弟は、然し昔から髪型だけは同じだった。それはどちらかが影武者になる為、などと言うシリアスな事情ではなく、ブラコンである第二王子が兄の真似をしたがるからと言うしょーもない理由からである。


尤も、それも3年前までの話だが。


「俺もピナタみてェにバッサリいっちまおうかなァ。…寧ろ丸ハゲの方がモテるんじゃないかしら、迂闊だったょ」

代々王族が黎明騎士長を務めているのは公然の事実だ。着任式こそ身内だけで執り行われるが、騎士長が変わる度にその旨は全国へ通達される。
最後の騎士長交替の報告がなされたのは、3年前のラグナザード軍によるフィリス侵略の直前だった。その際13歳であるベルハーツが新黎明騎士長へ就任したのだが、ラグナザードはそれに乗じて攻め込んできたのだと言う見解が一般的な説である。

「ふー…、食ったら眠くなってきたィ」

本来ならば黎明騎士長だった筈の俊は、そんな面倒臭い事やってられるかと言う理由で名誉職と誉れ高いその座を弟へ放り投げた。宮廷直属の教師達に揃って『やれば出来る子なのに』と言わしめた第一王子のオツムは母親譲りであるのか、フィリス1の身体能力を誇るベルハーツでさえ兄弟喧嘩では未だ負け続けている。その殆どがブラコン体質の手加減だとしても、俊の能力は勉強の面でも実生活でも殆ど発揮されない。まるっきり宝の持ち腐れである。
3年前の戦争時にはあの騒乱の中にも関わらず何処ぞで『昼寝していた』と言うのだから、ある意味大物かも知れなかった。


「むー…むにゅ、むにゅ」
「ア〜ル〜お〜じ〜さま〜」

眠りに落ちる寸前で、王国図書館に文献が残っている『ギャルゲー』を思わせるふわわんとした声が、長閑な昼下がりをピンクに染める。


「…っ、ピヨン?」
「お〜じさま〜」


タラコ唇。
何処からどう見てもタラコ唇の黄色い猫が、…飛んできた


「お〜じさ〜ま〜」

比喩でも何でもなく文字通りふわふわと、背中に生えた黄色い小さな翼をパタパタ一生懸命羽ばたかせながら、殆ど使わないものだと思われるこれまた小さいふわふわな前足をかきかき動かしている、空飛ぶタラコ唇の猫。

「か、可愛…!!!」

円らな瞳と柔らかそうなタラコ唇から発せられるモエーな声が不気味な事この上無いが、俊の表情は一瞬で輝かしいまでに明るさを増した。

何処と無く赤らんだ頬は、愛しい者を目前にした純情少年そのものだ。


「ああ、俺の可愛いピヨン!ゆっくりでイイっ、そんなに急ぐと転ぶぞ!」
「ア〜ル〜お〜じさま〜、お〜じさま〜」

可愛らしい声で何度も俊を呼びながら近付いていく猫の速度は、とんでもなく遅い。蟻の子よりも遅いかも知れない。
然し俊の表情は真剣そのものだ。そもそも空を飛んでいる生き物がどう転べるのか想像も出来ないが、人語を介す黄色い猫ピヨンは円らな瞳を煌めかせ蛇行飛行を続けた末に、俊の胸へ飛び込んだ。



否、衝突した。


「ニャ。い〜た〜い〜」
「だ、大丈夫かピヨン。俺のオッパイが雪山の斜面並みに真っ平らだからお前に痛い思いさせた…!
 畜生、ベスタウォールの魔術師長に頼んでボインにして貰うしかねェッ」
「お〜じさま〜、ぴよん、トトたべた〜」

ふかふかの黄色い猫を両手で抱え、その愛らしさに今にも崩れ落ちそうな足を気丈に耐えているらしい俊は言葉もなくコクコク頷いた。

「そうかそうか、ピヨンも昼ご飯食べたのか。美味かったか?」
「トト、ぴよん、トトおたべ〜。トト、しっぽまでぎっしり〜」
「うんうん良かったな、大好きな鯛焼き食べさせて貰えて」

今日はカスタードクリームだったのか、と、魚食ではなく甘党らしきタラコ唇に残る黄色いクリームを拭ってやりながら、ふにゃけた笑みを浮かべまくる男はどうしようもない【親馬鹿】だ。

その昔存在したとされるオウムと、猫の混血であると言う説が有力視されているニャムル族は、本来一族だけで人里離れた辺境に身を隠し生活すると言われている。
一昔前に起きたニャムル乱獲が発端とされているが、彼らは総じて警戒心が強い。特に知能が高かったと言うカイザーニャムル族は、絶滅種に認定されて久しい。

然しフィリスに至ってはその閉鎖的な環境からか、そもそも隠れるほど領地が無い所為か、世界広しともフィリスしか生息しないハニーニャムル族の大多数が人間と共に暮らしていた。
従順で穏やかなハニーニャムルは愛玩動物として愛でられている。
ピヨンは生まれて間もなく城下町の裏通りに捨てられていた、捨て猫ならぬ捨てニャムルだ。

たまたま俊が通り掛かった時、酔っ払いに囲まれていた小さな綿毛がピヨピヨ泣いているのを見付けたのが全ての始まり。
一目で恋に落ちたんだなんて、と親馬鹿な第一王子は後に語る。


然し俊が殴り倒した相手は、捨てニャムルを保護しようとした心優しい酔っ払いだったのだ。


彼らは不幸だったとしか言えない。


以降、ピヨンと名付けられたハニーニャムルは国で一番大きな宮殿で自由気儘に暮らしている。どうしようもなく不細工でお馬鹿なピヨンは何をするにも遅く、未だに言葉の上達が見られないが、その陽気な口調と遅いながらも一生懸命な様子は腹黒ベルハーツでさえも心和むと言うフィリス人のアイドル的存在だ。

今やピヨンが迷子で泣いていようものなら、グレた不良少年達でさえ慌てて保護し城まで連れてくる。主人に似てすぐ腹が減るピヨンがお腹空いたと訴えようものなら、強欲貴族でさえ財布の紐も顔もゆるゆるらしい。


「トト〜、お〜じさまも、すき〜?」
「うんうん、この世の食いもんはどれも好きだけど、大好きなのはピヨンだけだぞ?」
「ぴよん、お〜じさま〜〜〜すき〜〜〜〜」
「く…っ、心臓に矢が刺さったらしい。もうっ、ちゅーしよう、ピヨンちゅー」

俊のファーストキスは生まれ落ちた瞬間シャナゼフィスによってあっさり奪われているが、彼の中でのファーストキスは何を隠そうこのピヨンである。いや、そこまでモテない訳ではない。寧ろベルハーツに並ぶほど民に愛されているのだが、俊の好みの女性が一種独特であるが故に全く実らないのだ。



『料理上手で小さくてふわふわで、一緒に遊んでくれる、優しい子』


俊の言う遊びの殆どが断崖絶壁での昼寝であるとか、険しい人跡未踏の地への冒険であるとか、宮殿の屋上から周囲を囲んでいる湖へのダイブであるとか、デンジャラスな肉体労働を課せられてしまう為、屈強な肉体を誇る騎士ですら手に負えない。唯一平然と付き合えるのは弟にして黎明騎士団長であるベルハーツだけだ。


女性には到底無理な話である。



「ん?ピヨン、首輪ン所の毛に何か付いてるぞ?」
「お〜じさま〜、りりむたべる〜。ぴよんのりりむ、おたべ〜」

ニャムル族の好物であるリリムの実がピヨンの綿毛に絡んでいた。リリムの実は人間には毒であり、そのまま口にすれば半日は下痢に見回れる下剤だ。
薬として精製したものでなければ普通口にする機会はない。

然し、リリムの実はニャムルにとってどんなデザートよりも美味しいご馳走なのだ。



「ピヨン…俺なんかの為にわざわざ採ってきてくれたのか?」

リリムの実はフィリス北東のバスティール樹林に自生するカラヤの樹にしか成らないものだ。それも収穫期である春を過ぎた今、奥地に踏み込まねば手に入れる事は出来ない。
良く良く見ればピヨンの黄色い毛は所々汚れていた。バスティール樹林自体はそう危険な場所ではないが、慣れない人間なら容易に迷う程度の樹海ではある。風呂に入れてやらねばならないが、感動の余り男泣きする飼い主にそんな気遣いをする余裕などない。

可愛い我が子の初めてのお遣い、今涙せずしていつ泣くと言うのか!



俊は親馬鹿だ。



「お前は一生俺の花嫁だ。何処の馬の骨とも知れない雄ニャムルにくれてやるものか…!」
「お〜じさま〜すき〜。お〜じさまも〜ぴよん、すきにょ〜?」

汚れたもなど何一つ知らないと言う純粋無垢な瞳が見つめてくる。


あの日、薄暗い裏通りでピヨピヨ泣いていた面影は何処にも無い。




「馬鹿ピヨン、俺の方がいっぱいいっぱい大好きに決まってんだろ」
「ゴロニャ〜ゴロニャ〜」
「ん、じゃあ一緒に昼寝するか?」


すりすりと頬摺りしてくる綿毛を抱え直すと、三つ編みの黒髪を背中で靡かせたフィリス第一王子は、碧い芝生を目指した。
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©Shiki Fujimiya 2009 / JUNKPOT DRIVE Ink.

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