唯一神の威光を知らしめんが為に
「続きまして区画保全部より、閣下の承認を賜りたくご報告致します」太陽なんて随分見ていない、と。
部下の声をBGMに、男は一度息を吐いた。
「9区ヴェバリー新空港建設案は順調に進んでおります。建設予定地確保も滞りなく、人材も既に集まりつつあります。皇帝陛下戴冠の儀を迎えた後、着工開始する旨ご報告を」
「16区アストリアレイクより、シュヴァリエ独立海底都市の新大統領に贈る大型潜水艦が完成しました事をご報告致します。完成品はジェノ・ウェ・ポートへ輸送済みでございます」
「3区グレアム南西8キロ、本国海上を無断停泊していた不審船は植民国であるレイゼンプール保有のメルチア漁船であり、動力機器の故障によるものでした。既に海上保安艦隊によって乗組員及び漁船は回収済み、身柄はグレアム地方検察局の支配下にあります。
レイゼンプール国主より本日謝罪の文書が届いておりますが、如何致しましょう?」
「先日起きた8区ガルマーナ内の暴動は、首謀者以下関わった人間全て検挙しセントラル検察局へ身柄を送検する事で一応の解決と相成りました。引き続きセントラル司法局への手続きを願います」
人間で溢れる広いフロアは一日中騒がしい。けれど外より室内の方が綺麗な空気を吸えるこの国は、やはり世界の何処よりも栄え、太陽から見放されているのだろう。
「…有給休暇、残ってたら迷わず使ってやる」
「閣下?」
矢継ぎ早に報告を受けた男は面倒臭いとばかりに頬を掻き、デスクの上に投げ出している長い足を胡坐の形に組み直す。
「こっちの話だ。まずヴェバリー国際空港の着工だが、出来れば早い内が望ましい。可能ならば明朝からでも始めて構わん。世間への公式発表を、戴冠の儀より後に繰り越せば良いだけの話」
「はっ、直ちに」
「アストリアレイクへは使節大使を送っておく。それらと共に対外実働艦隊でシュヴァリエ海底独立都市へ向かわせろ。
言うまでもないが、あのクソ狸に我が国の使者など名乗らせるなよ。あの外道を漬け上がらせると大分面倒だ」
「了解。中央議会とは無関係である男を関与させようなど考えにも及びませんでした」
「それで良い。で、グレアムだがレイゼンプールには厳重注意を促すだけで、事実上の不問にする形で済ませろ。精々勿体付けて、乗組員諸共ラグナザードへの忠誠を現状より一層確実なものにさせておけ」
「御意」
「残るはガルマーナか…」
広いデスクの大部分を覆い尽くす書類の山から迷わず一枚の紙を引き抜いた男は、顔の上でひらひらそれを泳がせると、緩慢な所作で足を下ろし椅子へ座り直した。
「あー…面倒臭ェなぁ」
ボリボリ頭を掻きながら、口調まで怠惰なものへ変化した様だ。
「首謀者はストラ出身、ノイエ族。あー…面倒臭ェ、ンなもんどうしろってんだよこの俺様に。も〜、無罪放免で良いだろーがこんなの。
お前等もそう思うだろ?な?」
「良い訳あるか、馬鹿め」
向かい合う部下達に同意を求めた彼は、然し背後から掛けられた低い声に飛び起きた。
「んも〜、いきなりビビらせんなよ阿呆マスター。俺様の心臓はぁ、繊細且つ幻想的なシルクで作られてんだから〜、そこン所ご理解下さいってカンジみたいなー?」
「鋼の毛が生えた心臓を持つ馬鹿が何を抜かす、とりあえず死んでみろ。お前に阿呆扱いされる様では俺も終わりだな」
魔王名高いジークフリードがその無駄に長い足で男を蹴り飛ばし、息をするのも面倒臭いと言わんばかりの表情で着席する。
椅子を奪われた男は頬を膨らませながらも立つのが面倒臭いらしく、その場に胡坐を掻いて座した。
「だってさ〜、ノイエ族っつったら大昔『海の支配者』とまで謳われた大海賊の末裔なんだろー?だからレヴィのおっさんが最後まで手ェ出すの躊躇ってたんでショ〜が」
「ノイエだろうがベスタウォールだろうが、我がラグナザードに刃向かう国は残らず潰すだけだ。ガルマーナを混乱に陥れたノイエ人は、残らず処刑しろ」
何と言う事でもない様に吐き捨てられた台詞に周囲は息を呑み、
「ノイエは主犯格だけよ〜。それに重傷者6名、公共物破損3件、死者0って言うショボい事件じゃ、禁固十年に事情を考慮して執行猶予ってオチが妥当じゃねぇんスか?」
口では同意を求めながらも、完全に面白がっているのが窺える揶揄を滲ませた目で見上げる男は、自分を蹴り飛ばした目前の長い足に擦り寄り敢えなく踏み潰される。
むぎゅ、と言う無残な呻きを上げながらもその肩は笑いを伴って震えていた。
「このノイエには前例がある。幼児略取誘拐暴行と言う、都合の良い前科がな」
「えげつないよね〜、こんな奴死んでしまえば良いっス〜。でも6歳の子供相手なんてある意味尊敬、俺様なんて16歳以上90歳以下のボインちゃんじゃなきゃ無理だし〜」
「喜べ、フォンナート上院審議部長。お前も十分変態の域だ」
「わーい、誉められちった。グレイブくん嬉し泣きー」
食えない笑みを滲ませる褐色の肌と金の髪を持つグレイブ=フォンナートは、涼しい顔の上司を横目に、何処ぞから取り出した飴玉を宙へ放った。
真っ直ぐ浮遊したそれは忽ち重力に任せてグレイブの口へ納まる。頬張った飴玉を口腔でもごもご転がせば、広がる甘さに折角の男前から締まりがなくなった。
「再三の要求に応じない戯れ者共に〜、魔王の裁きをー。全世界の生き物よ〜、全て俺の前に平伏すが良いー。
…ってカンジっスか、いやんカッコ良過ぎです宰相閣下」
「付け加えるなら、今正にお前の顔面に裁きの鉄槌を喰わせてやりたい、だろうな」
殺人的な早さで飛んでくる足を今度こそひらりと躱し、今までの怠けた態度が嘘の様な身軽さで立ち上がれば、ガリガリと砂糖菓子の砕ける音がした。
「ま、ノイエさえ居なくなれば、もうちっとうちの国も楽に世界征服出来んだけどな」
「恐れながら、ストラ海は世界の三割を占める豊富な水産資源。魚介類の値が下がれば民も国も潤い、枯渇して三千年以上と言われる石油も、ストラ海底ならば採掘出来るのではないかと」
「うんうん、流石我が国一番の水産地ヴェバリー課長。面倒臭い説明の代理有難う」
「部下に補足されてどうする」
蹴りが未遂に終わった宰相は片眉を軽く跳ね上げて、いつ見ても散乱している机上を何処か忌まわしく眺めている。
「何故こう、お前は整理整頓が出来ないんだ。誉れ高き中央議会の名が泣くぞ」
「男はイチイチそんな小せェ事に拘っちゃいけないんスよ、ジークフリード君。ほら、俺様って森羅万象を大らかに包み込むO型だから〜。
それに、散らかってる様に見せてるのは重要な組織機密を敵に奪われ難くする作戦みたいなものであって、俺様にはこれ以上無い書庫なんス」
どう言う言い分なのか全く判らない台詞をスラスラ並べ立てていく男に、さしもの実直な部下達の表情にも呆れが混じった。
「何処に何があるかなんて俺様には一目瞭然!完璧ですとも、ええそらもう。はい、ラグナザードで一番面倒臭がりな男前ジークフリードA型閣下にプレゼントっス」
グレイブから手渡された書面に目を向けながら、男性的秀麗な美貌ではあるが無愛想である男の表情に薄く冷笑が滲む。
フィリス報告書、と表記されたそれを確認するのは彼らの日課だ。
「敵から略奪される前にお前の給料を剥奪してくれる」
「あ、そんなコト言って良いんスか?陛下にチクっちゃうかも、俺様。上司のパワーハラスメントに耐えられません陛下の手であの首絞めてやって下さ〜い、なんてね」
「お前の首を切り落としてやろうか」
「…随分血生臭いな、ジーク」
文章を目で追っていたジークフリードの眼差しに残忍な色が滲むのと同時に、囁く様な低い男の声が全ての雑音を掻き消した。
書面から顔を上げた宰相が肩を竦め、ふらふら踊る様に体を揺らしていたグレイブがバランスを崩し無残に転げる。
「一同起立、宣誓!」
「我等ラグナザード帝国民、死は忠誠果たせぬ時、生は国と共に在る!」
「皇帝陛下仰せのままに生き、仰せのままに死するこそ最上の歓びであると知れ!」
「それら全て、唯一神の冥府揺るがす威光を須く知らしめんが為に!」
それまで職務に準じていた全ての人間が揃って立ち上がると胸に手を当てて背を逸らし、ラグナザードの歴史に燦然と輝く至上最高の存在へ深く頭を下げた。
「一同、カイザールーク=フェイン=ラグナザードの御前である。皇帝陛下へ敬礼!」
「構わん、各々業務に励め。私は未だ皇太子に過ぎない、敬称も要らん」
軍隊然した光景を片手で制しただけで解散させた男が、グレイブのどうしようもなく散乱した机上にも構わず近付いてくる。
未だ緊張が解れない職員らは然し皆一様に、天頂の存在である国主へ敬愛の目を注いだ。
「少しは大人しくお休み願いたい所ですが、フェイン殿下。丁度良い所にお越し下さいました、まずは喉でも潤しながらご確認を。
………見るだけ時間の無駄ですがね」
我が道を行く皇帝陛下に小言を言うのも面倒なのか、はたまた既に諦めているのか、前王妃譲りであるサファイアの瞳が確認し終えた書類を君主へ差し出す。
「アストリアレイクの間者からか。お前はもう目を通したのだろう、信用に値するか?」
「寧ろ疑う余地も無く中身ない報告書ですよ。ちっ、あのラズクートがフィリス出身ではあるのは事実だと裏も取れているのに、使えない…」
ラグナザード大陸の東側、今では休火山となっているアストリア山の麓に、海底から流れ込んだ地下水によって作られたとされる大きな湖がある。
本土の実に9割が砂漠化しているラグナザードは、千年以上も前に砂漠の上へ築かれた完全なる人工都市だが、アストリア湖を有する16区だけが数少ない自然を保有している地域だった。
そのアストリアレイクに、数年前から住み着いている男が居る。
「ラズクート=ハスゲイル、還暦過ぎの狸親父っス。此処ン所そらもう毎日毎日足繁く通ってくんスよー。
何処から仕入れたか知らねぇけど、陛下がフィリスにご執心だって知ってんでしょーね。あわよくばセントラルの役員にでも成り上がるつもりでしょーよ、糞フィリス人め」
「お前がそう貶めるのは珍しいな、グレイブ」
「『宰相閣下に会わせろ、神帝陛下は何処だ、お前じゃ話にならん責任者を呼べ!』
て、言われましたもん。ヴァルヘルムで三番目に偉いんだけどな、俺様。でもオトナの対応でお帰り頂きましたよ、誉めて下さーい。
…殺してやろうかマジで3秒は悩んだけどな」
祖国の情報を流してあわよくば陛下のペットになりたいんじゃない、などとプリプリ頬を膨らまして吐き捨てるグレイブの、残念ながら全く可愛くない仕草を白い眼で一瞥したジークフリードが気怠く腕を組み、深く息を吐き出した。
「こうやってフォンナートが毎回突っ跳ねてるんだがな…。今回の報告書は特に酷い、粗悪を通り越して虚無だ、中身が全く無い。
これを報告書と呼べる男の頭の中を是非とも拝見させて頂きたいものだ。…子供の読書感想文より劣る」
余程苛立っているのか皇帝の前にも関わらず敬語を止め、午後の休憩時間を知らせる放送と共に職員が運んできた硝子器を手に取る。
氷が浮かぶそれには黒煎茶がなみなみ注がれ、涼やかだ。一口呷るジークフリードに倣って、グレイブが大袈裟に手を挙げた。
「あ、俺様にもくれ。喉乾いた〜って思ってたんだ。で、これ何処の豆だ?」
「純リブルラムル豆です。冷たい内にどうぞ」
「おおリッチ〜、やっぱ黒煎茶はフィリス銘柄に限るよなー」
フィリス産のリブルラムル豆を煎って色と苦みを出す黒煎茶は、同じくフィリス国エルニーニャ湖の澄み切った天然水を用いる事で砂糖入らずの甘味と喉越しが味わえる趣向品だ。女子供はこれに牛乳などを加えて楽しんでいる。
然し一般に出回る黒煎茶はリブルラムル豆に自治領内で生産された豆を複数混ぜ合わせているブレンドもので、手軽に楽しめる国民茶ではあるが風味は断然劣る。苦みばかりが目立ちコクもなく、黒煎茶の名に反し薄茶になるまで水を足さねば飲めたものではなかった。
フィリス銘柄の澄んだ黒味が自慢の黒煎茶を口に出来る人間は、限りなく少ない。
「ったく、こんな美味いもん作れるのに自分達ばっか楽しむなんて何考えてんだか。最低限の交易すらご丁寧にガヴァエラを仲介してんだもんなぁ。フィリスから直で引っ張れれば、百グラム百万ベネラの超高級品ももう少し庶民的になるだろーに」
「ガヴァエラ法王はシャナゼフィス以上に食えん男だ。ベスタウォール特別自治国と友好関係にあるガヴァエラ皇国を、幾ら我がラグナザードであれど制圧するのは難しい」
優雅にグラスを傾ける魔王の言葉に、ちびちび舐めながら茶を味わっていたグレイブの機嫌が悪くなる。
「…ベスタウォールかよ」
バルハーテ大聖堂を主に信仰ばかり重んじるガヴァエラ如きに身動き出来ない現状が、眉間に皺を作り出した様だ。
「ガヴァエラ自体の戦力は皆無に等しいがな、ベスタウォールの魔術とフィリスの黎明が背後に在る事を忘れた訳ではあるまい」
「けっ。ちょっとそこで男らしく一気飲みしちゃってる陛下ぁ、ジークフリード閣下にバルハーテへ殴り込んで来いって言ってやって下さいよーぅ。うっうっ、安月給のサラリーマンは高級フィリス茶なんて手が届かないのにー」
「フォンナート閣下、宜しければお代わりもございますので…」
フェインが一気に飲み干したのではなく、グレイブが遅いだけである。ミルクを舐める仔猫と化した男に呆れ果てた部下が、茶器に残る黒煎茶を掲げて見せた。
誉れ高き上院審議部の責任者が安月給と言うなら、殆どが国民が貧民階級だ。
「何なら、我が艦隊を率いて群島諸国へ行くか、グレイブ?」
「え」
「既に使い果たしたお前の有給休暇をくれてやる、フォンナート。ストーンフォートの宿場町でも見物してから、ついでにバルハーテを掌握して来い。ゆっくりで良いぞ、どうせ期待してない」
「え、え?」
「「吉報を待つ」」
フェインの言葉に首を傾げれば、ジークフリードがグラスを片手にのたまい、二人を交互に見つめる男へトドメの一言が被さった。
顔半分を覆う仮面の所為で確かめる事は出来ないものの、恐らく弟以上に無愛想と思われる皇帝の「吉報を待つ」は底知れない恐怖を煽るに相応しい。
「うぇーん、もう陛下なんて嫌いだー。イケズー、苛めっ子ー、ハゲちゃえー」
「皆の者、皇帝を辱めたグレイブ=フォンナートを不敬罪で投獄しろ。暫く牢屋の中で働かせておけ、目を離せばすぐにサボるからな」
「ぎゃっ、ちょっとちょっと陛下!アイツあんな事ゆっちゃってますよ、この従順且つ勤務に忠実なグレイブ君を犯罪者扱いしてます、アイツこそ魔王ですよ魔王」
大人しく地獄へ帰れ〜、と宰相へ十字架を突き付けながら、黒一色の略式鎧で身を包んでいる皇帝に擦り寄る。
然し魔王は一人ではなかった様だ。
「そうか、断頭台に立つ時は私も玉座へ腰を据えよう」
「恐れながら、処刑台に貴賓席はありません、フェイン陛下」
「グレイブの首が落ちる前に改装しておけ、ジークフリード宰相」
「仰せのままに」
「びぇーん」
見た目だけなら色気と粗野をバランス良く合わせ持った優男風の美男子なのに、冗談が冗談に聞こえない兄弟からの追い討ちで幼児泣きである。
見苦しい事この上無い。
「酷い〜、馬鹿〜、阿呆〜、皆嫌いだ〜」
「グレイブ。任命式こそまだだが、お前の指名は決定している。幾らジーク宰相であろうと、優秀な部下を態々手放しはしない」
「俺は納得してないが、フェイン皇太子殿下直々の勅命だ。我が国の為、延いては皇帝陛下の為に精々働き尽くせ。お前が使える手駒である内は、黒煎茶の一つや二つ幾らでもくれてやる」
「は〜い、唯一神の冥府揺るがす威光を須く知らしめんが為に、誠心誠意頑張りまス!」
椅子の背凭れに全身を預けた宰相の溜息一つ、『中身の無い報告書』を一瞥した男が仮面の下で唇の端を持ち上げた。
「…ほう、前回は光のベルハーツを一面に讃えていたと記憶しているが」
「今回はその辺の子供でも知っている様な物語だ。奴は作家の方が向いているらしい」
天に輝く灼熱よ 光の果てに夜を視る
精霊の国 君臨せし闇の眷属
未だその姿 未知のもの
最も気高き光の王子 唯一適わぬは永劫の黒
人の王さえ呑み込む闇の精霊
月の番人は 平伏し忠誠を誓う
アルザーク 人成らざる闇の王子