その時、神に祈ったのは。
「つまり、ラグナザードがフィリスに手紙を送ってきたっつー訳だな」ピヨンの寝言を一通り聞き終えた男は、溢れる愛情故にその暗号めいたモエーな言葉を解読し、腕を組んでみる。
ラグナザードと言えば、絵物語に多く登場する大都会にしてこの世界で最も強いと言う勇者フェインが暮らす大陸だ。
カルマフォートと言う漫画があるが、ラグナザードを題材にした実在しない帝国を旅する銀髪の勇者の名をルーク=フェインと言う。
世界で一番売れている今流行りの冒険ものだ。作中で勇者が使う魔法はベスタウォールの大魔導師クラスで、いつもドキドキワクワクするものである。
密かに魔法の特訓をしてみた事もあるが、生憎フィリス産の庶民には火の玉一つ生み出す事も出来なかった。
悔し過ぎる。
まぁ、ベルハーツもしれっと超能力の練習をしていた様だが未だに自慢してこない所を見ると、兄弟揃って転職した方が無難だろう。
ベルハーツは騎士だが、アルザークは探検家だ。騎士と言えば何となく格好良い響きだが、トレジャーハンターと言えば探検家の方が格好良い様な気がしてきた俊は、もしかしなくてもただの馬鹿なのかも知れない。
「ルーク=フェインは俺と同じ王子なんだよなァ、確か。でもラグナザードのじいさまって何だ?ルーク=フェインの爺ちゃんか?
ふむ、まだまだ謎は残るぜ…」
「かめ、ラグニャザード…じ〜さま、たんそくー。すぴぴ」
「短足ッ?俺か、俺の事なのかピヨン!」
末尾の最も発音が良かった台詞に反応し、芝生の上でジッタンバッタン一頻り悶え転げた俊は、そんなに短くはないと思っていた己の足を涙目で凝視し、
手っ取り早く両親を憎む事にした。
「…くそ、ベスタウォールの魔法品で一瞬にして足が伸びるモンねーのか。いや、今はとにかくラグナザードが先だ、先だとも」
自称愛の狩人は愛しの黄色い綿毛がむにゃむにゃ呟き続けた寝言で仮説を立てる。
大国ラグナザードがフィリスに書簡を送り、その書簡には黎明騎士団を呼び付ける記述があった。
理由は定かではないが、ラグナザードはフィリスを忌み嫌っており、騎士団長であるベルハーツを呼び付けて何か企んでいるに違いない。
所々で『かめ』やら『じいさま』と言う意味不明な単語が窺えたが、それを省略したとしてもこれは只事ではない事態だ。
「兄ちゃんの俺が言うのも何だけど、ピナタの性格は子供を苛められたエルボラスの親より狂暴だからなァ…。
また何かしでかしてラグナザードを怒らせたんだ、きっと」
政治に全く関心がない俊にとって、世界が恐れるラグナザードは未だ見ぬ都会でしかない。
常々ラグナザードの悪口を言うガヴァエラの祖父が、以前一度だけルーク=フェインの名を出した事がある。
『奴は真の天才、言わばカリスマじゃ。纏うあの威圧感、気品溢れる佇まいは敵ながら天晴だと言わざる得まい。レヴィナルド如きには勿体無いのう…』
ガヴァエラ名物の菓子を頬張りながら、羨ましげに呟く祖父を見た様な気がする。
『何を言うかクソジジイ、俺と言う素敵な孫がありながら!…ちぇ、家出してやるにょ!』
『何を言うかシュンシュンーっ!爺ちゃんはシュンシュンが一番可愛いんじゃぞぅ!ルーク=フェインなんかポイっ、じゃ!』
『うふ、なら許してあげるけどー。お菓子のお代わり下さるかしら?』
あの時は何の話だかさっぱり判らなかったが、日夜絵物語を読み漁って過ごしている漫画愛好家の俊には、ルーク=フェイン=勇者だ。
このまま見過ごしておけば、フィリスなどプチッと一瞬で消されてしまうかも知れない。
何せあの父とあの弟が国政を担っているのだから。
「何が何だかちっとも判らんが、日向を絞め上げた所で妙に口が堅いアイツが口を割るとは思えねェし、ザナルのじーちゃんは勉強勉強うっさいし…。
こうなったら、独自調査する必要がある気がする」
すぴすぴ寝息を発てているピヨンをそっと抱き抱え、城下町でも国務室でもなく騎士宿舎へ足を向ける。
弟王子が関わっているなら、既に黎明騎士へも報告が行っている筈だ。
「それとなく聞き出して、ついでにラグナザードの情報も集めてやるぜ。
…黎明と月宵、どちらでもない俺が、な」
風を切る足取りの軽さも、その異様に溌剌とした笑みも、誰も知らない。
空は何処までも青い。
そう言ったのは誰だった?
『父ちゃんは母ちゃんを守るもんだ』
赤。
赤。
赤。
赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤紅い、空。
『…泣くな、美人が廃るぞ母ちゃん』
何故、こんな時に役立たずなのだ。
何故、今頃になって気付くのだ。
『ほら、空は何処までも青いだろ、
カイちゃん』
助けてくれ、神様。