3.ガヴァエラ皇国
「御屋形様、御屋形様ぁっ!」常に静寂と信仰で包まれているガヴァエラ皇国首都バルハーテ、ガヴァエラ大聖堂を揺るがす事件は、一人の神官の大声から始まった。
「…何だ騒々しい、大地の神ガイアの御前じゃぞ。静粛にせんか馬鹿者」
「も、申し訳ございません。
然し恐れながら申し上げますっ、先日フィリス永世中立国より、ベルハーツ第二王子殿下様が南のストラ大陸へ御出立したとの報らせがありました!」
「何じゃとぉうッ?」
祭壇の前で祝詞を上げていたガヴァエラ法王サロムの恫喝に怯み、全ての神官が礼拝をやめる。
法王が大声を上げても仕方が無い出来事だ。
ストラ大陸のノイエ族と言えば、ラグナザード以上の蛮族として有名な一族であり、世を揺るがした戦の半分にその名が関係していると言われている。
「黎明騎士団左席隊長トロイ=カッツィーオと共に、群島諸国最南端ストーンフォートへ燃料補給にお立ち寄りの後、先程ストラへ向かわれたとの事ですが…」
平和と太陽と娯楽を愛するフイリスがストラへ赴く理由がない。それもあのベルハーツ王子が、なんて。
異常事態だ。
「ストーンフォートの民が皆ベルハーツ王子殿下の魅力に惑わされ、ストーンフォート内は只今、全病院のベッドと花占い用の花が不足している始末!
領主奥方様が部屋に閉じ籠もって同人誌を書き綴っていると、領主から非常警報が発令されております!」
神官は口々に『同人誌て何ぞや』と囁き合い、祭壇へガクリと両手を付いた法王は、
「わ、わしがどんなに哀願しても正月しか顔を見せない日向が、何故にストラなんぞへ…」
「それが良く判らないのですっ。然し続けて入った報告では、ラグナザード帝国へ向かうフィリス船籍の飛行船を見た者がおります。
一種独特な装飾の、光輝く飛行船が本日にもラグナザード領アストリアレイクへ到達するのではないかと!」
「ラグナザードじゃとぉおうッッッ?!
光輝く飛行船なんぞ見た事も聞いた事も乗りたいと思った事もないがっ、我が最愛の孫にして黎明を担う日向ならば断じて有り得る!
リヒャルトの手によって劇的ビフォーアフターされた『ベルハーツ号』に違いない!」
「落ち着きなされ御屋形様。
もしもそれが真実ならば、ストラへ向かった筈のベルハーツ殿下は何者でございまするか!よもや平和なフィリスに影武者などありますまい」
重鎮の神官に諭されて法王は低く唸る。あっちにもこっちにもベルハーツ、そんな事があって良いのだろうか。
いや、あの根性悪第二王子ならば何が起こっても可笑しくはないのだろうが、幾らベルハーツだろうと分身の術は有り得ない。してたら恐い。
「ストラとラグナザード、我が孫ならば恐らくストラを選ぶじゃろう。フェインの戴冠式なんぞドタキャン上等、サボってナンボくらいにしか思うとらん。
わしには判る、アレは若りし頃のシャナゼフィスに似て君子危うきに近寄らずじやからのう…」
「ならばラグナザードへ向かっていると言う光輝く飛行船とは、これ如何に?」
皆が一頻り頭を悩ませた揚げ句、同時に同じ考えへ辿り着いたのか青冷めた。
そうだ、フィリスには悪魔が二人居る。
いや、天使の顔をした大魔王と悪魔の顔をした『欲望神』だ。
吟遊詩人が歌っているではないか。
気高い宝石光のベルハーツ、然し彼らは真に恐ろしい男を歌わない。それはフィリスのみに限らず、ガヴァエラ皇国が護ってきた宝石だからだ。
「せ、戦争はいかん。戦争はいかんぞぉう、日向がぶちギレてフェインの首を狙うやも知れんっ!
断じてそれはならんぞぉう!」
「まだ決まった訳ではございませんぞ!万一、ラグナザード帝国へ向かうフィリス船籍が、ア、アルザーク第一王子であるならばっ、シャナゼフィス国王並びにベルハーツ王子のお二人に何かお考えがあるのではありませんか?」
「
馬鹿者ーっ!
そんな末恐ろしい考えなどあって堪るかっ、あの可愛いシュンシュンに何かあれば、親馬鹿シャナ弟馬鹿日向、そしてジジ馬鹿のわし!
果てはエリシアまでがラグナザードへ喜び勇んで殴り込むのじゃぞぉう!
シュンシュンの可愛さを知らんのか!」
ガヴァエラ大聖堂の祭壇の前に佇む女神像のまだ向こう、超巨大アルザーク肖像画が掲げられている聖地に在る法王の信仰など、フィリス第一王子の前では皆無に等しい。
「可愛い、と仰られても…」
キラキラ眩しい装飾が施された肖像画は美化無限、一目ではベルハーツ王子と見間違えてしまう程に神々しい美少年は、何を隠そう俊である。
正月にしか顔を見せない第二王子とは違ってほぼ毎月菓子をせびりにやってくる俊は、ガヴァエラ法王の目に口に耳に入れても全くこれっぽっちも痛くない可愛い可愛い孫だ。
毎月フィリスへ迎えに来るガヴァエラ船にピヨンと共に乗り込んでくる俊は、食べるだけ食べて遊ぶだけ遊んで、さよならの言葉もなくいつの間にか帰っていく。
それでも良い。
老い先短い年寄りの相手をしてくれるだけで良いのだ、シュンシュン。
「むぅ、よもやベルハーツ号ではなくアルザーク号では…。然し、我が最愛の妖精にしてちっとも勉強が出来んシュンシュンに、飛行船を操縦する技術など無い筈じゃが…」
「騎士団に所属しないアルザーク殿下に、付き従う騎士など居りませぬでしょう。やはり我々の早計では?」
「むむむ…。じゃが、ストラへ向こうた日向にも引っ掛かるものがあるのう。
…今の今までストラになぞ興味が無かった奴じゃ、アレの思考回路の9割はシュンシュンと言って良い。
我が孫ながら天晴なブラコンに、シュンシュンを置き去りにして海外出向など出来る筈が…」
十字架を幾つも繁げられた首飾りを揺らしながら、まんじりとしないのかうろちょろ歩き回る法王は豊かな白髭を弄ぶ。
むうむう唸った揚げ句、血走った目で『我が最愛のアルザークの肖像』と刻まれた嘘っぱちの絵を見上げた。
「…行くぞ、わしも戴冠の儀に招待されとるのじゃから」
「えっ、ギリギリまでわしは行かん嫌じゃ、と渋っておられたのに…」
「喧しい!わしが直々に確かめてくれるわっ。おのれルーク=フェインめ、万一わしのシュンを誑かしおったならば容赦せんぞ…いやっ、ジークフリードと言う伏兵も居るかッ。
おのれ何処までも小賢しい!」
世界の美男と名高いラグナザード皇太子兄弟が、平凡を絵に描いた様なアルザーク王子をどう誑かすのかはこの際捨て置き、孫への愛情で普段の厳格さを失っているサロム=ガヴァエラは意気揚々と大聖堂を後にする。
もしシュンシュンだったらラッキー、二人で遊園地にでも行こう。
「ふんふんふーん♪たらったらたらった♪」
「お待ち下さい御屋形様っ」
「お供致します御屋形様!」
還暦をとうに過ぎた足取り、否スキップは、
…軽い。