紅き黎明の花嫁

唯一神の住まう玉座

敗北した双頭は光輝く闇を視る

「…はぁ?」



部下の開口一番を聞いた男は、寝そべっていた窓辺から転がり落ちそうになるのを密かに全力で耐え、間の抜けた声を放った。

「ですから、16区のジェノ・ウェ・ポートで、ベルハーツ=ヴィーゼンバーグ並びにリヒャルト=ロズシャンの名で入国受理したとの報告がありました」
「ベルハーツはともかく、ロズシャンっつったらフィリス宰相の名前じゃねぇかよ!」

ザナル=ロズシャン宰相と言えば群島諸国での評価も高く、レヴィナルド在任時には皇帝自らラグナザートへ引き抜けと命じた事がある。
然しザナルは再三の伝令に首を振り続け、それが発端となって3年前の侵略戦が起きたのだ。


「然もフィリスのリヒャルトっつったら、世界最高の芸術家だろ。
 ガヴァエラを通じて各国の王宮に何らかの作品を飾らせてる。…陛下の部屋にも壺やら何やらがあったよなぁ」
「ええ、然し管理局の職員が証言するに、リヒャルト=ロズシャンはフォンナート閣下とそう変わらない年頃の青年だったと」
「こちらが監視カメリアによるリヒャルト=ロズシャンと思わしき男の写真です」

差し出された写真に鮮明に写る二十歳そこそこの中性的な男の顔を認めて、グレイブの表情に妖しい笑みが浮かんだ。
そうしていると端正な顔立ちに男性的な色気が引き立って、蛮族ノイエ以上の凶悪さを与えてくる。


「…へぇ、どえらい別嬪じゃねーか。ぺったんこな胸が残念でならないが、この細い腰が大変良い。
 うちの陛下とどっちが細えだろうなぁ、目移りすんなー」

大陸で最も無駄のない体躯と評されるフェインは、190センチを誇るグレイブよりまだ上背がある。
然し放っておけば数日食事を忘れると言う職務中毒者である為、筋肉以外は骨と皮、腰の下まである長い銀髪が恐るべき皇帝を女性的に見せてしまうのだろうか。

あの仮面の下がどうなっているのかなど、レヴィナルド没落の今となっては側近でさえ知り得ない。

恐らく、弟皇太子である魔王宰相のみが知る所だろう。



「で、この別嬪の後ろで、…何処からどう見ても1本十ベネラのうんめー棒らしきお子様のダチを貪り食ってる金髪の横顔は、何だ。
 …まさかこれがベルハーツなんて言わねぇよな、あ?」
「それが、別角度で撮影した全ての映像に、その、金色の影が写り込んでおりまして…」
「影ぇ?」

論より証拠とばかりに続けて差し出された写真へ目を向ければ、言葉通りそのどれもに金、と言うより黄色の何かが写っていた。
影と言うより綿飴の様な、ふんわりした何かが。


「タンタラスの卵を赤塩に漬けた加工品にそっくりなモンが写ってる、のは、俺様の目が可笑しいのか?
 …働き過ぎて目が悪くなっちまったんだな」
「どう見てもタラコですね」
「どう見てもタラコです、今朝の朝食に添えられておりました」
「このリブルラムル豆にそっくりな粒が、見つめてくる様な気がするのは、気の迷いか」
「はっきり申しましょう、閣下。このタラコもリブルラムルも恐らく、顔だと思われます」
「こんな不細工なニャムル、見た事もありませんが」

金髪三つ編み少年の顔を隠す、と言うより自らピントに割り込んでいる様に思える綿毛を前に、グレイブ=フォンナートの表情から血の気が引いた。


ぞぞぞっと走った悪寒が、彼の褐色の肌に鳥肌を刻んでいく。



「ニャ、ニャ、ニャムルだと…?!
 駄目だ駄目だ、俺様はニャムルが大ッ嫌いなんだーッ!」
「落ち着かれて下さい閣下、これはただの写真です」
「奴等は大人しい顔をして噛むは引っ掻くは、悪の権化なんだぞ!」
「昔飼ってたキジニャムルを可愛がり過ぎて、嫌われただけだろう」

部屋の隅にまで飛びながら逃げたグレイブが吠え立てるのに、職務放棄したまま帰らない部下を探しにきたらしいジークフリードが白々しく吐き捨てる。

「今日は地下で昼寝か。俺の記憶が正しければ、昼食まで3時間近くある筈だが?」
「やん。何で皆、毎回俺様の居場所が判るの〜?閣下に至っては、最早ストーカーっスね。
 惚れないで、股間に余計なモンぶら下がってる奴を相手するほど俺様も暇じゃない」
「毎回毎回サボりまくる貴様を絞め上げる暇のない俺に、それを言うか。良かろう、面倒だが致し方ない。今すぐ我が剣でその頭叩き割ってくれる」
「スイマセンデシタ、オシゴトサセテイタダキマス」

喉元に突きつけられた白銀の刃を凝視しながら痙き攣る笑みを浮かべ、グレイブは両手を上げた。
普段無愛想な男が笑みを浮かべている。目だけ笑っていないのが正に恐怖だ。

「それで、随分愉快な話をしていた様だが」
「吃驚するほどあっさり呼び出しに応答しましたよ、あちらさん」
「その様だな」

黄色い綿毛の邪魔を受けていない唯一の横顔写真を手に、ジークフリードの表情が気怠げなものに変化する。
同じくグレイブも面倒臭いと言わんばかりの仕草で肩を竦めた。

「左手の中指に見える、太陽の指輪。黎明の隊員章で間違いないっスね。二人共それを持ってるって事は、少なくてもこのフィリス人はどっちも黎明騎士でショー」
「金色の長髪、か。どう思う、フォンナート?」
「3年前に俺様が見た餓鬼に良く似てます。先障を切る黎明兵の中に、緋色の服を纏う金妥の三つ編みを見たのは俺様だけじゃぁない」
「ああ、俺も確かに見た」
「でもねぇ、」

琥珀色の瞳が眇められ、乱雑に切り揃えられたアシンメトリーの金髪を掻く男の薄い唇から大きな溜息が零れ落ちる。


「去年までフィリスに攻め込んで敗れてった負け犬達が、揃って言うんスよ。
『赤い服を着た金糸の悪魔』は、頬に髪を靡かせていた…ってねー」
「だから此処数年で、光の王子の肖像画が変化した変化した。俺と大差無い短髪のものヘ、な」
「まぁ、鬘かも知れないし、噂が間違ってたっつーのも有り得るんスけどねぇ。なぁんか納得行かねー、コイツだったら絶対サボると思ったのになぁ」
「似た者同士の勘か」
「閣下だってコイツが大人しく来る筈ないって思ってたでショ?」
「どちらにせよ最終的には来ざる得ない状況に進めるよう、手は打ってあったんだが。こうも手応えがないとはな。…俺の時間を返して貰いたいくらいだ」
「ご愁傷様デス。」

写真に残らないフィリスの王族は、五代前で伝鋭の人物になると聞いた事がある。
初代皇帝から一つも欠かさず証明写真が飾られるラグナザードに於いて、文明を放棄した国の中身は謎だらけだ。

「影武者かも知れませんよねぇ。
 唯一、定期的に足を運ぶって言うガヴァエラ法王の呼び掛けも、減多に応答しないって前に何処かの官僚が言ってましたしー」
「フイリスの『悪魔』だ。一筋縄では行かない男だと思うが、…これではな」
「うんめー棒っスもんねぇ、どう見ても…」
「二十歳前の子供だと言うから、無理もないのだろうが」
「十六歳っスよ、ベルハーツは。然しどうしまショ、陛下は『また』お出かけっスよね」
「放っておけば戻って来るだろうが、何の連絡も寄越さないからな、あの人は」
「まぁ、あの人に襲い掛かって無事で済む人間なんか居ないでショーし、心配は全く無いんスがー。
 ………ある意味最強王子同士、町中で鉢合わせでもしたら…」
「陛下は酷く黎明に興味がおありだ。気位の高い悪魔が、絶好の機会を逃す筈が無い」
「アハー、町一つ吹き飛ぶかもーv」

グレイブの呑気な台詞は酷く現実味を帯びていた。状況を窺っていた職員が怯んだ様子を見せ各々走り出したが、会話の主達は全く動く気配がない。


「ま、陛下の傍には我等がラグナザード騎士団の新星が付いてるっしょ。ベルハーツがどうなろうと、うちの陛下が無事なら万事安泰」
「…シェイドの事を言っているのか?」
「そうですとも」
「お前にしては珍しいな」
「ふん。3年前いきなり現れてあっと言う間に隊長の座を奪い取って行ったあの超絶美形野郎なら、バルハーテ制圧も簡単なんでショーけど」

琥珀色の瞳が何処か遠くを見つめ、瞬いた。


「俺様は認めてねぇからな。アンタが何と言おうが、一生認めねぇ」
「騎士長の座を奪われた逆根みか」
「冗談でショ、アンタだって本心では認めてねぇ癖に。アンタは奴と戦ってねぇから」

皇帝に従う世界最強の騎士団、3年前まで騎士長は二人居た。



師団長ルーク=フェインの名の元に、グレイブ=フォンナートとジークフリード=スペリウム。
フィリス撤退後、皇帝レヴィナルドが病床に伏してから現れた、たた一人の男に破れるまで、双頭と謳われた騎士長は最強だったのだ。


最強でなければならなかったのだ。




「陛下が適わなかった相手に、俺が適う筈がなかろう」

鋭利な美貌に凛とした佇まい、それはまるで神帝フェインに酷似している様にさえ思えたのに、団長であるフェインすら退けて、その男は頂点に君臨した。

敗れたフェインへ目を向けるでもなく、既に立ち上がる気力さえ尽きていた病床の覇王レヴィナルドが、その男へ手を伸ばし満足げに笑ったのだ。
そして息子であるフェインから師団長を剥奪し、その男へ与える事になる。


「何考えてるのか全く判らない黒髪の男なんて、陛下の隣は似合わねぇ」

前皇帝が笑う様は、それが最初で最後だったと思う。
破れたフェインは仮面の下で何を思ったのだろう、自分が負けなければ良かったのだ。

「…クソが」

自分があの無礼者を討ち取っていれば、フェイン自ら剣を握らず済んだ筈なのに。
言葉を喋る事さえ出来なくなっていた死に損ない皇帝など、早い内に殺してしまえば良かった。あんな男に従う者など誰一人居なかったのだから、不敬罪で首を落としてしまおうが構わずレヴィナルドの心臓を貫いてやれば良かった。

「あんな男に負けたのかと思うと、レヴィナルドに天寿を全うさせたなんて思うと、後悔ばっか、…好い加減嫌になるぜ」
「死んだ人間を構うな」
「アンタがそれを言うな!アンタの所為で陛下がどんだけ傷付いてきたかっ、アンタなんかが生まれた所為でどれだけっ、」
「ああ、知ってる。だから俺がレヴィナルドを殺せば良かったんだ、もっと早くに」


父親の為だけに生きてきたフェインでさえ、笑う父親の顔など知らなかった筈なのに。
それはフェインの為に生きてきた宰相が、誰よりも一番知っているのだ。



「けれど、あんな男でもたった一人の肉親だったんだ。生み落ちた瞬間に母を失ったあの人にとって、あんな男でも家族だったんだ。
 だから俺にはどうする事も出来ない」
「………」
「俺には兄上さえ世界に存在すれば他に望むものなど無いのに、兄上の世界に俺は含まれていない。

 けれど、レヴィナルドの世界に兄上さえ在れば良かった。兄上さえ幸福なら誰がどうなろうが知った所ではないからだ。

 だから、殺さなかった。いや違う、殺せなかった。
 …奴が、レヴィナルドが俺を殺せなかった理由と同じだ」
「…ちくしょう」
「俺が死んでいれば、良かった」

ああ、言わせてはならない台詞を何の感慨もなく言わせてしまった自分に腹が立つ。
この男の世界は単純だ。ラグナザードで唯一、恐らく誰よりも唯一神を崇拝していて、神帝が望まずとも己が神帝の邪魔になると考えれば今すぐにでも喉を掻き斬るに違いない。

自分が、そうなのと同じ様に。



「畜生、馬鹿な事を言いました。アンタは悪くない、ンな事は判ってんだよ!クソっ」

時折現れては騎士相手に剣を揮い、気が付けばまた姿を消す奇妙な男。
風に靡く黒髪が酷く存在感を放つ、名前以外全てが謎に包まれている現世界最強の、騎士。




「…でもさぁ、俺様だってまだまだ二十四歳の若者なんですからネー、ちょっとくらい愚痴りたくなる時もあるんスよ。
 同じ学校で学んだ者同士、判ってくれるでショー?」
「お前はどうしようもない馬鹿で、どうしようもなく賢い難儀な男だからな」
「俺様だってそこそこつかかなりイケメンだし、強いし、素直だし、たまには掃除だってするし、脱いだら凄いし、サイコーにイイ男じゃん?」
「言うだけタダ、聞くだけムダ」
「あんな男がラグナザードで息をしてるのかと思うと、…腹が立つ」

負けなければ、などと。
ただの負け犬には憤る権利さえ無いと言うのに、情けない。
現実には完膚無きまでに惨敗して、あっさり騎士団を奪われてしまった。だからもう、月宵騎士団員を名乗る事は生涯無いだろう。

ジークフリードと共に、辞めてしまったのだから。レヴィナルドの葬儀で遺体を前に『ざまーみろ』と密かに嗤い、誓ったのだから。



「もう二度と負けねぇ、俺様は。フィリスに負けてあの陰険野郎に負けて。…一生分の負けを使い果たしたんだ、ざまーみろ負け犬の神め」
「…馬鹿も此処まで来ると潔いな、グレイブ」
「うっせ、馬鹿馬鹿ゆーんじゃあない阿呆ジーク。泣いちゃうぞ」



何故フェインは、あんな男を傍らに置くのだろう。
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©Shiki Fujimiya 2009 / JUNKPOT DRIVE Ink.

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