廃墟と化した絶望の町、ガルマーナ
空は何処までも暗い。空は何処までも暗い。
そんな事、誰もが知っているのに。
『お前を作ってくれた人に、感謝してやる』
そんな事、誰からも教えられなくても、知っていた筈なのに。
『見てみろよ』
それは、誰の声?
『空はいつでも、─────青いんだ。』
順風満帆に思えた空の旅は、実に呆気なく幕を閉じた。
祖父の元から度々失敬してきた燃料は、フィリス・ガヴァエラ間を2往復は出来る程の量ではあったが、その面積だけで群島諸国を全て収めてしまうラグナザード大陸では、それまでの移動に懸かった燃料を差し引いた分での飛行距離など、高が知れていた様だ。
「…あれ、また行き止まり?」
ジェノ・ウェ・ポートを飛び立って早半日、数時間で着陸を余儀なくされたアルザーク号エグゼクティヴエディション(見た目が派手なだけ)は、ガルマーナと言う薄暗い町で羽を休めた。
「また同じ看板だ。8区ガルマーナ…どうなってんだよ、この幽霊出そうな町は」
鉄屑だらけの風景は単にタ暮れ時と言うだけではなく、辛気臭い。
通り過ぎる人々の表情も何処か陰欝で、緋色の軍服が明らかに浮いている外国人を遠巻きに眺めながら何事か囁きあっていた。
「ぴよん、トトたべる〜」
「そっか、確かに腹減ったよなァ。もうウィスプ時を過ぎてるもんな…」
マグネスカレータ乗り場を求めて陸路を出発して数刻、一人と一匹は見慣れない町並みに目を奪われている隙に唯一の保護者であるリヒャルトと逸れてしまっていた。
見渡す限り他人を信用していない荒んだ目をした人間達と、工事中の看板が立て掛けられた建物、散乱する鉄屑。明らかに治安の悪い町を、然し俊とピヨンは観光気分で歩いている。
通り掛かる人間へ片っ端から話し掛け、無視されては首を傾げ、ぐうぐう煩い腹を抱えながらしょんぼり肩を落としてみたり、また誰かに話し掛けてみたり。
「さーせェん、ちょっとお尋ねしたいんですがー」
「さ〜せ〜ん〜、ぴよん、トトさがしてます〜」
然し誰一人足を止めてくれる所か、目を逸らし逃げていく始末。
これでは埒が開かないと、きゅるきゅる空腹を訴えている小さな綿毛の腹を撫でてやりながら息を吐いた。
「漫画で良くある、スラム街って奴かィ。参ったなァ、実際こんな所に来ちまったらどうすりゃ良いんだ?
黒前茶売った金も、………リヒャルトに渡したまんまだし…」
「おかね?ぴよん、おさらあらいする〜」
「いや、ピヨンにそんな事させなくても俺が立派に食わせてやる。ちょっと待ってろ、RPGじゃこう言う時、絶対何処かに糸口があるんだ」
健気なニャムルの台詞に感涙を禁じえない俊は、元々良いとは言えない人相を益々荒ませ、睨む様な目でこちらを窺っていた町人達を見渡す。
「ひ、ひぃ」
「こっち見たぞ、やベぇ逃げろっ」
「ノイエがまた来たぞぉっ、ノイエがまたしでかすぞぉっ」
恐怖に痙き攣った表情で足早に消え去った町人達を呆然と見送った俊は、首を傾げた刹那司会を遮った黒い影に眉を寄せた。
「あ?黒いモンが目の前に…」
「お〜じさま、アルお〜じさまにもどった〜。ぴよん、アルお〜じさま〜すき〜」
「俺も大好きだ、」
可愛らしい声に微笑み返そうとして、己の背中にある筈の三つ編みを掴んだ。
「…黒に戻ってる。」
慌てて煤汚れた建物の硝子窓に駆け寄ってそれを覗き込めば、黒髪黒目の自分が映っている。
どうやらリヒャルトが懸念した事態が現実のものとなったらしい。
「ちっ、電池切れかィ。充電器は…リヒャルトの荷物の中、だな。宿屋を探すにも所持金がねェし、売れるモンっつってもなァ…」
左中指に輝く金の指輪へ目を落とす。黎明騎士を示す太陽の文様が燦然と輝いていた。
「ゆびわ、め〜。りゅーと、ゆびわ、だめ〜」
「そうだな、リヒャルトを怒らせると面倒だょ。ピナタのモンは俺のもの、俺のモンはピヨンのものだからな。ピヨンがそう言うんだったら、売ったりしねェよ」
「たびびとのふく、うる〜。アルお〜じさま、いらないぼうぐ、すてないにょ。お〜じさま、えるぼらす、うる〜。みゆく、おかね、もらうにょ?」
ピヨンの言う『みゆく』には二つの意味がある。大好きな牛乳などの乳飲料と、黒煎茶だ。
「…成程、その手があったか。流石ピヨン、俺の女神っ」
「きゃ〜」
ガヴァエラの祖父からほぼ毎月買って貰っている機械遊具で、特に冒険物は俊のお気に入りだ。
外で遊ぶのに飽きた時や天気が悪い時などに、狭っ苦しい自室に閉じ篭もってピコピコやっているのだが、主人公の初期装備は大抵他の仲間に着回すか道具屋で売り払っている。
『やくそう、8ベネラ。さっきのまちより、たかい〜』
『だからこそ売るのはこっちの方がイイんだ。あっちなら2400ベネラの鎧が、こっちなら2900ベネラで売れる』
『2900ベネラひく、2400ベネラは〜、5300ベネラ〜』
『うん、足し算は完璧だなァ、ピヨン』
それを隣で見ていたピヨンが、見た目も派手で上質な生地を使っている黎明騎士団の礼服を売れば良いのではないかと提案しているのだろう。
因みに俊が今現在纏う緋色の衣装はベルハーツ王子の衣装部屋から失敬してきたものだ。何十着と同じ物を所持している弟王子は、2・3着無くなった所で気付かない筈、多分。
「よし、そうと決まれはちゃちゃっと着替えちまうか。そんで、買い取ってくれそうな店を探すぞピヨン」
「ぴよん、こーえき、する〜。かう、やすい〜。うる、たかい〜」
「天才だ。買う時は安く、売る時は高く。お前はニャムルを越えた天才大商人だぜ」
大変頼もしいピヨンを尊敬の眼差しで見つめる親馬鹿は、工事中の建物の影で素早くいつもの服装へ着替えた。
日向の緋色の騎士団服とは違い防御力は皆無に等しいが、動き易さが違う。
「へへ、やっぱこっちの方が俺らしいだろ」
「お〜じさま、かっこい〜」
「そーか、でもなピヨン、此処では俺を王子様って呼んじゃ駄目だぞ?」
黒髪の王族などまず存在しない。
ストラ大陸に住まうノイ工の若き族長、ジャスパー=ディブロが黒髪の統治者として名高いが、目まで黒い人間などノイエ族にも存在していないと言う。
大昔に起きた天変地異が原因で人の遺伝子に何らかの変化があった、と言うのが現在主流となっている説だが、実際の所は定かではない。
水と緑豊かなフィリス以外は、ガヴァエラを含め極寒の島々か、ストラやラグナザードの様に大陸のほぼ全士が砂漠化している。一年を通して同じ気候にあると言う国々は太陽の恩恵を受ける事がない。
ストラ大陸の様に昼間は灼熱、夜は凍土と言う極端な温度差を有す国が存在していると言うのは、子供の内に習う一般常識だ。
「俺がフィリスのアルザークだってバレると、皆が困るんだ」
「ぴよん、アルお〜じさま〜、すき〜」
「…ピヨンみたいなお日様色の髪だったら、俺も好きになれたんだけど」
「ぴよん、しーするにょ」
パタパタ羽ばたきながら近付いてきた綿毛が腕の中にちょこりと収まり、ハニーニャムルには珍しい濃い茶の目で見上げてくる。
「ぴよん、しーするにょ。お〜じさま、アルお〜じさまってゆったら、めー。アルお〜じさま、お〜じさまってゆったら、めー。ぴよん、しーするにょ…」
小さい頭で悩んだ結果、『王子様』と呼べないなら黙るしかないと考えた様だ。
上達しないながらお喋り好きなピヨンが、その可愛らしいタラコ唇を噤んでしまうのは望む所ではない。
「そうだなァ、俊って言ってみろ。シュン、言えるか?」
「ちゅんお〜じさま」
「ちょっと違うな、シュンだ、シュン。
まだフィリスがフィリスって名前じゃなかった時代に使われてた古い字でなァ、こう書くんだ」
煤汚れた地面に『俊』と言う一文字を書いて、覗き込む小さな頭を撫でる。
「す、すん、しゅ、しゅん、お〜じさま」
「そう、凄ェぞピヨン、上手だ。でも、最後の王子様は要らないからな?」
「しゅん、さま」
「様、も要らないんだけどなァ…。王宮暮らしで礼儀正しく育ち過ぎちまったみたいだ」
「しゅんさま、しゅんさま〜」
誉めてくれと言わんばかりに言わんばかりに覚えたての名前を連呼する様を一度笑って、荷物を抱え直す。
小さな肩下げ袋には駄菓子と探検道具が幾つか、最も嵩ばる緋色の衣装も売り払ってしまえばすぐになくなってしまうだろう。
「しゅんさま〜、しゅんさま〜」
「ま、いっか」
見知らぬ土地に一人、と言えば酷く心許ない。けれど今、誰よりも力強く勇敢に羽ばたいていく太陽の化身が、振り返り小さな前足で呼んでいる。
「トト、はたらかざるにゃんこ、たべちゃ、めー」
「にゃんこ、じゃなくて、ニャムル…。うん、それもまァ良いか。
さてと、…じゃあ今から売買交渉に行くから、手伝ってくれよピヨン」
「こ一えきにょ、こ一えきにょ。ぴよん、だいしょうにんになるにょ〜」
「う一ん、フィリス製の服を売るんだから、交易で間違いねェかもなァ。
全く、俺に似ないで本当に賢い奴め」
淀んだ空の向こうで、アーメスは微笑んでくれているだろうか。