兄の様だと笑った『闇』へ、忠誠を。
「セントラルに辿り着けばガヴァエラ法王がお見えかも知れませんが、」どうします、と言う問い掛けと共に彼が振り返った時、そこに居る筈の人物は影も形もなくなっていた。
どうします、が、どうしよう、に変化するのは容易い。
「殿下、ピヨン?!」
慌てて周囲を見回しても、薄暗い町並みに溶け込んだ人間達は揃った様に目を逸らし、話し掛ける隙を与えず逃げていく。
「ア、アルザーク殿下…、ピヨン…?」
つい今し方までアレ何コレ何と周囲を見回しては袖を引っ張ってきた俊も、アレたべるコレたべると強請ってきたピヨンも何処にも居ない。
元々突発的事項に強いとは言えないリヒャルトは半泣きだ。よりによって敵国ラグナザ一ドの地に、護るべきの王族を置き去りにしてしまうなど全く以て有り得ない。
恐らく置き去りにされたのはリヒャルトの方だろうが、自由奔放、悪く言えば自己中心的な行動が目立つ第一王子を知り尽くしているので、出国前から油断大敵と密かに誓っていたのである。
有り得ない失態だ。
然しそれが有り得てしまっている今現在、ぐずぐず泣いている場合でもなかった。
「こんな事が団長に露見したら、私は勿論ラグナザ一ド全人類の命が危うい…」
フィリス第二王子にして黎明騎士団の悪魔団長であるベルハ一ツに知れてしまえば、彼は迷わずラグナザードへ攻め込んで来るだろう、然も単身で。
そして躊躇い無く皇帝へ刃を向けるに違いない。
『愚かな蛮族の分際で、この俺を怒らせるとは愉快ですねぇ…』
─────麗しい微笑を浮かべて。
「ど、どうしようお義父さん…」
育ての親にしてフィリス幸相であるザナルの厳格な顔を思い浮かべる。
最愛の妻を早くに亡くしたザナルには子が無く、2歳にして両親を亡くしたリヒャルトを引き取り今日まで育ててくれた恩人だ。
壮年だが聡明で誰よりも厳格な義父は、然し養子であるリヒャルトに何一つ強制せず自由に学ばせてくれた。
手先が器用なリヒャルトを誰よりも評価し、男子であれば剣を持って修練に励む年頃へ成長しても、騎士になりたいと望んだのはリヒャルト自らの意志であり、ザナルがそれを強いた事は無い。
「駄目だ、しっかりしなければ…。太陽神アーメスの子に在る限り」
初めて作った木彫の万年筆を、義父は今でも大切に使ってくれている。
初めこそ誉めてくれていた人々もリヒャルトの作品に慣れたのか、最近ではロに出して評価してくれる事がない。
それ所か美しいものを使ってはいけないと考えている節がある。
利用されてこそ物に意味があると考えているリヒャルトにとって、それは何よりもの侮辱で寂しい事だ。
確かに無意味に汚されるのは我慢し難いが、大切に使われて汚されていく分はこれ以上無い職人冥利である。
未だにリヒャルトの作品を躊躇無く使い古してくれるのは、ザナルと俊くらいだろうか。
だからこそその二人の近くで、国の役に立つ職を全うしたいと考えた。
十年以上前、幼かったリヒャルトの頭を撫でながら一度だけザナルが零した台詞を覚えている。
当時から国民に支持されていた第二王子の名ではなく、ただの一度も表舞台に顔を出さない第一王子の名を呟きながら、
『賢すぎると言うのも、…時に残酷なものだな』
それが何を示しているのかその時は判らなかった。けれど今ならば痛いほど判る。
「あの方は、無益な事などなさらない」
王族で唯一黒を身に宿す魂。
きっと誰よりも賢いからこそ、誰から命じられた訳でもないのに常に日の当る場所から身を隠すのだろう。
誰からも無条件に愛される弟を妬むでもなく寧ろそう差し向けて、『闇』と呼ばれる事を誰よりも望んでいる。
「あの方は誰よりも優しすぎる人だから」
だから唯一、光のベルハーツを従えさせられるのだ。
『リヒャルト、バスティール樹海に飛行船があるぞ。ラグナザード式の』
『ええっ?それは本当ですか?!』
『ああ、アルザークって書いてあったから母さんにそれとなく聞いてみたら、俺の誕生祝いにじいちゃんがくれたモンみてーだぜ』
『うわぁ、ラグナザード式の飛行船がフィリスにあるなんて…』
『見に行くか?』
『えっ、でもバスティール樹海にはエルボラスが出るんですよー…。僕、まだ騎士見習いだし…』
『もうすぐ12歳だろ、リヒャルト。12歳って言えば、昔は「中学生」って言う成人だったんだろ?』
『あ、またお義父さんの文献勝手に読みましたね、王子様』
『む。…そんで、飛行船が見たくないのか見たいのかよ、リヒャルト』
人が恐怖を感じながらも安堵を覚え眠りに身を委ねる夜の色を宿しているから、光の化身を従わせる事が出来る。
『み、見たいです…』
『何だったら、中に入ってみたくない?』
『入りたいです!』
『エルボラスなら任せろ、親父の宝物庫からパチってきた太陽の剣があっから、一刀両断だぜ!』
『えっと、その剣はお返しして、僕がお義父さんに頂いた剣で僕が戦います…』
『そっか、』
あの人を、
『やっぱ、リヒャルトって兄ちゃんみたいだなァ』
「あの方を、護らなければ…」
太陽神アーメスの慈悲が届かないこの国で、神が役に立たないならば、
「─────この手で。」