紅き黎明の花嫁

唯一神の住まう玉座

銀と黒の月条旗

「あらら〜」


糸目で恰幅の良い、如何にもお母さんと言った風情の女性が、頬に手を当てて感心した様に息を吐いた。



「まあまあ、気持ちがいいくらい良く食べるわねぇ」

彼女が切り盛りしている食堂は、ガルマーナで唯一活気がある。

恐らく仕事帰りだと思われる男性客で溢れる食堂は、光を灯さない照明の代わりに沢山のランプや蝋燭で幻想的な明るさを保っていた。そのお陰でまだ日が落ちたばかりだと言う夕飯時にも関わらず、店内は食堂と言うより酒場の雰囲気だ。

片や麦酒の泡が減っていくのにも構わず硝子器を傾ける手を止める客、片や美味しそうな湯気を発てる料理を前に呆然と箸を休めている客。


彼らの視線の先には、怒濤の勢いで次から次に皿を積み上げていく異国の少年とニャムルの姿があった。
酷く珍しい黒髪黒目の少年の向かいには、同じく黒髪の壮絶な美丈夫の姿。


「そんでこっちの旦那は、ちっとも食べないわねぇ…」

味と安さが売りの食堂で、その美貌は明らかに浮いていた。ラグナザードで最も使われている黒鋼の鎧は、動き易さを重視した略式のものだ。
必要最低限の急所を防護している金属以外は、黒衣で無駄ない体躯を覆っている。


「夜の国旗に肖って、軍人は黒を好むって言うけど…。アンタ達、見た所ノイエじゃないね?ノイエの髪は癖が強いから、アンタ達みたいに綺麗な直毛の黒髪なんて珍しい」
「女将ぃ、でもそっちの良い男はともかく、こっちの目付き悪ぃ兄ちゃんは軍人っつーより踊り子みてぇな格好してんぜぇ?」
「我らがジークフリード閣下も黒に近ぇ濃灰茶の髪だが、こんな真っ黒な奴ぁノイエ以外に見た事がねぇ」
「つーかよぉ、前の皇帝が生きてりゃ、兄さん方、二人共城に抱え上げられてただろうなぁ」

店の奥に色褪せた旗と、9代皇帝の肖像画らしい額縁が飾られてある。
随分古いものだと思われるそれは、三十歳と言う若さで皇帝の座に就いたレヴィナルド就任時に作られたものだろう。野心に燃える眼差しの鋭さを差し引かずとも、やはり秀麗な顔をしていた。
雄特有の何処か危うい色気、とでも言おうか。

「ジークフリード閣下は瓜二つだからなぁ、前皇帝に」
「じ〜さま?ぴよん、じ〜さま、たべた〜」
「ピヨン、じーさまは喰えないぞ。で、ジークってのがラグナザードの前の王様?」
「おっ、兄ちゃんレヴィナルド陛下を知らねぇってか?とんだ田舎モンだなぁ」
「兄ちゃん、ガヴァエラのサロム法王は知ってっか?」

ぽろり、と肉団子を落とした俊は、皿の上に落ちた食べ掛けの肉団子を黄色い綿毛に奪われつつ水を飲み干す。


「はふん。…イヤって言うほど知ってるにょ」
「ん?で、そのサロム法王とレヴィナルド陛下は同世代なんだがな、二十歳っつー若さでガヴァエラ法王の座に就いたサロム法王はそりゃあ頑固な男で有名で、レヴィナルド陛下が何度足を運んでも、」
「『貴様なんぞの指図は受けん』ってな、突っ跳ねて来たんだ。だから未だに、群島諸国で唯一ガヴァエラだけがラグナザード領じゃない」

程良く酔っ払った男性客達が、フィリスの酒場では絶対に聞けないだろう他国の裏事情をまるで見てきた様に話すのを聞きながら、細切れの肉だけ先に食べた野菜炒めに箸を伸ばした。

「おやさい、いらな〜い」
「野菜も食べねぇとぶーちゃんになるぞ。はっ、でもピヨンは少しくらいぶーちゃんの方が可愛いかもっ!」
「どっちも気狂いの部類に入る統率者同志だからなぁ、あのレヴィナルド様も法王の暴言は聞き流してたって言うぞー」
「何だ言っても、二人は仲が良かったんじゃねぇか?どっちも結婚は早かったけど子供が出来るのが遅かったしなぁ」
「法王の娘エリシア王女はまだ30代だろ?フェイン陛下もジークフリード閣下もまだ24歳だしなぁ」
「エリシア王女誕生の宴にはレヴィナルド陛下もガヴァエラに足を運んだって話じゃねぇか」
「やっぱ仲が良かったんだなぁ、きっと。だからこそ友の支配は受けん、なんだろ」
「………違ェ、じーちゃんはそいつの事が本気で嫌いだったんだ。ブルーパプリカが入った野菜炒めにも同じ様な事言ってたもんなァ」
「何か言ったか?」

何処か遠くを見つめる黒髪の少年の呟きに男性客達の視線が注がれたが、当の俊はブルーパプリカの緑色を見つめ『こんなに美味しいのに』と残念顔だ。


「然し、こっちの真っ黄々なニャムルは魂消るほど不細工な面ぁしてやがる。おいおい、タンタラスの赤塩漬けみてぇな口にタレ付いてんぞー」
「ぴよん、ぶさいく?ぴよん、たまごいろ?」
「ガハハ、うちの母ちゃんよりよっぽど美人だ!」
「違いねぇ!ギャハハ」

酒に満ちた硝子器を片手に、皿へ噛り付く綿毛を覗き込んだ客達は孫を見る様な眼差しを注ぎ、

「美味いかぁ?」
「おいし〜にょ。おやさいも、おにくも、ぴよん、トトぜんぶすき〜」
「女将の料理はどれも美味ぇからなぁ。お前、美味ぇもんが判るなんて中々賢いニャムルじゃねぇか。おい、オレの飯も食えや」

鳥肉の炒め物に顔を埋めていた綿毛の口元を覗き込んで、朗らかに笑いながらそれぞれの皿から料理を差し出してやる客達へ女将が苦笑を零す。


「ぴよん、びじん?ぴよん、かしこい?
 ぴよん、おかみさんのトトすき〜。ぜんぶ、すき〜。おかみさん、びじん〜。ぴよん、かしこい?」
「おやま、賢いニャムルはお世辞まで言えるのかい。参ったね、おまけしてやらないと」
「姉ちゃん、この肉の揚げ物ってやっぱエルボラスかィ?初めて食った味だけど、とにかく美味い。大変美味しいです、お代わり下さい」

ニャムルの美人発言に万更でもなかった女将は、俊の台詞で益々頬を赤らめ、ふくよかな腹をパシッと叩く。

「姉ちゃんだなんて、こっちのお兄さんもお上手だねぇ!
 アンタぁ、3番のお客さんにエルボ唐揚げ追加と、ロネスジーテの刺身盛り合わせ持ってきてやんな!」
「ったく、うちの母ちゃんはすぐ乗せられるんだからよぉ。商売上がったりだ」
「旦那も尻に敷かれて苦労するなぁ!」
「あのデカ尻に敷かれちゃ、オイラ死んじまうよぉ!」
「「「わっはっはっはっ」」」

一人と一匹を囲む客達が笑顔を見せた事で、女将の快活な表情に安堵の色が滲んだ。

「アンタ達が店に入ってきた時は、またノイエが何かしに来たんじゃないかって身構えたもんだけど、久し振りにガルマーナが明るくなった。…本当に感謝してるよ」
「確か、爆弾仕掛けたんだっけ」
「ああ、ガルマーナの地下には上下水道だけじゃなくマグネスカレータのパイプや、街の全域に電力を供給している電線があるのさ」
「弟が変電所で働いてたんだ。あの爆発で全身大火傷受けて、グレアムの病院に担ぎ込まれちまった!オレァ、あのノイエだけは一生許さねぇぞ!」
「うちは変電所の真上の宿舎に往んでたんだが、あの爆発で吹き飛んじまった」
「海賊王ジャスパー=ディブ口は、荒くれ者を纏め上げる勇猛な男さね。ガルマーナで暴れ回ったノイエは海賊王の怒りに触れてストラから追い出されたんだそうだ。入国は比較的楽なラグナザードしか、行く所がなかったんだろうね」
「入国『は』?」

酷く色の薄い黒煎茶を一口口にしただけで手を止めたカイの前に並ぶ皿から、箸休めの副菜を摘んでいた俊が顔を上げる。
女将の台詞が気に掛かったからだ。

「何か、それじゃ出るのは難しいって言ってる様に聞こえるけど」
「本当に何も知らないんだねェ、兄ちゃん。ラグナザードの住民権を持つ人間は、ラグナザード領以外へ引っ越す事が出来ないんだよ。
 他国への旅行も、下手すれば何ヵ月も待たされちまう特別な手続きを通してからじゃないと駄目だ。無断で国を出れば処罰される」

男性客達が補足するにはこうだ。
領地拡大を公務にしていたレヴィナルド政治時代に取り決められた出国規制法は、ラグナザードへ少しでも多くの人間を取り込む為のものであり人口がそのまま勢力となる戦争に有利なので、逆に人員流出を防ぐ為に作られた法律だ。
また、他国から情報を持った人間を手早く囲い、ラグナザードの情報を他国へ流さないよう警戒したものでもある。

「嘘だろ?フィリスだって出国に規制なんかしねェぞ。ガヴァエラみたいにビザが何たら煩い事も言わねェし、精々『気を付けて楽しんでおいで土産楽しみにしてる』ってなモンだ」
「へぇ、本当かい?変な事は詳しいんだねぇ」
「りんどらーむ、ぴよんのおうち〜」
「リンドラウム?それってフィリスの首都じゃあ…」
「あわわわ、この間読んだ漫画にフィリスの事が書いてあったんだァ。俺と一緒にそれ見てたから、ピヨンは今フィリスのお姫様気分になってるんだきっと、うん」
「はっはっはっ、うちの息子も漫画ばかり読んで勉強なんか一つもしやがらねぇ。こんくらいの年代ってのは何処も同じなんだなぁ、女将ぃ」

お喋り好きにも程があるピヨンにだけ見える角度で唇に人差し指を当て、どうやら上手く話を逸らせたらしいと皆の笑い声を聞きながら、箸を握り直す。

と、紫水晶の様な瞳がじっと見つめていたのに気付いた。


「何だよ、ケチ。今更ブルーパプリカ返せって言われても一度胃袋へ旅立ったモンは戻って来ねェぞ。ホームシックになったら戻ってくるかも知んねェけどなァ…ゲフ」
「お前は、…やはり太陽の匂いがする」

囁く様な声音に俊の眉間へ皺が寄る。
リヒャルトの手で耳飾りへ改造された変身具は、充電切れのまま一見ただの金細工として左耳を飾っていた。今の俊の服装には余り相応しいと言えない代物だが、外してしまえば無くしてしまう自信がある為に外せない。


「かい、まぁるいトト、ちょ〜だい」
「…お前からも、太陽の匂いがする」
「さっき着替えたんだ、そりゃお日様の匂いがするだろ。ピヨンは昼間ずっと俺の頭の上で寝てたから、取り込んだばっかの布団と同じ匂いが…ん?唐揚げの匂い?」
「ぴよん、おくちから、ほーむしっく。ケフ」

ぽこんと膨れた腹を突き出して仰向けに転がる綿毛が、ケフケフ可愛らしい息を吐いていた。


「大丈夫か!妊婦になってるじゃねェかピヨン、俺の子か?!責任は取るからなァ!!!」
「何言ってんだいこの兄さん達は、洗濯物を外に干す奴なんか居ないよ」
「は?」
「さっき言っただろう、うちの国は月条旗、銀と黒の国なのさ。前時代まで月の女神ルミナスが国神だった、夜の国」
「今は神帝が国神だもんなぁ」
「アーメスもルミナスも、ルーク=フェインにゃ適やしねぇや」

まるで当然の事の様に笑う女将や客達の顔を何ともなく見上げれば、







「太陽が見える場所なんて、ラグナークの何処にも無いんだよ」


背後で誰かが嗤った様な気がする。
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©Shiki Fujimiya 2009 / JUNKPOT DRIVE Ink.

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